後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

残雪の山稜を背景にした桃の花の写真を撮りに行く

2016年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム
甲府盆地は美味しい桃と葡萄の産地です。共撰所という場所に買いに行くと新鮮なものが買えるのです。
共撰所とは収穫した果物を集めて撰んで箱に入れて出荷する大きな建物です。その片隅で小売りもしています。選別の基準に合わなかったものも大量に格安で売っています。
昔、ブドウをバケツで買ってブドウ酒をつくったこともあります。
桃のほうは鳳凰三山や甲斐駒の下の韮崎市の「長府の共撰所」で買います。
そして春には同じ場所に行って残雪の山稜を背景にした桃の花の写真を撮るのです。
毎年、同じ場所で写真を撮っているので桃畑の何処に行ったらどのような写真が撮れるか分かっています。農家の人が寛大で花に触らない限り自由に写真を撮らせてくれます。昨日もこの恒例の桃の花の写真を撮りに行きました。その写真をお贈り致します。

上の写真は桃の花そのものの美しさを見て頂きたくて若草萌える地面を背景にして撮った写真です。

上の写真の背景は鳳凰三山の地蔵岳です。桃の花の梢と共に撮った風景です。

上の写真は山稜の前の桃畑の広がりを示す写真です。

上の写真は反対側の桃畑の写真です。八ヶ岳の麓の山並みが見えています。

上の写真はその方向の梢の桃の花の写真です。

上の写真は重なるように咲いている花の写真です。このままでは美味しい桃は出来ないので、間もなく摘花という作業をします。花を間引いて一本の枝にまばらに花を残すのです。摘花の済んだ桃の花の枝の写真は淋しい風情になりますが、それも何とも言えず良いものです。

上の写真は桃畑の中の木の配置と枝の剪定の工夫を示す写真です。桃の木は間をおいて離して植えてあります。枝は摘花や収穫の作業がしやすくするために横に低くなるように剪定します。冬には大量の家畜の糞をやります。一年中丹精込めて美味しい桃を作っているのです。

上の写真は農家の努力を想いながら見て頂きたい山稜と桃の花の写真です。美味しい桃を鳳凰三山が見守って育てているように感じられます。私の思い過ごしでしょうが。

桃の花と言えば隣の中国では紀元前のはるか以前から愛されていました。
最後に詩経の中にある「桃夭」という詩を、http://manapedia.jp/text/3801 からご紹介いたします。
この漢詩では、嫁ぐ若い女性の美しさを桃のみずみずしい美しさに例えています。このことから桃夭とは「女性の嫁入り時、婚期」を意味するようにもなりました。

「桃夭」   (原文)

桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家

桃之夭夭
有蕡其実
之子于帰
宜其家室

桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于帰
宜其家人


書き下し文

桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼たる其の華
之の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ
其の室家に宜しからん

桃の夭夭たる
蕡たる有り其の実
之の子于き帰ぐ
其の家室に宜しからん

桃の夭夭たる
其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之の子于き帰ぐ
其の家人に宜しからん

現代語訳(口語訳)

桃の木々の若々しさよ。
燃えるように盛んに咲く花よ。
(その花のように若く美しい)この子が嫁いでいく。
その嫁ぎ先にふさわしいだろう。

桃の木々の若々しさよ。
たわわに実る桃の実よ。
(その実のように子宝に恵まれるであろう)この子が嫁いでいく。
その嫁ぎ先にふさわしいだろう。

桃の木々の若々しさよ。
盛んに茂る桃の木の葉よ。
(その葉のように栄える家庭をもつであろう)この子が嫁いでいく。
その嫁ぎ先にふさわしいだろう。

昨日は桃の花の写真を撮りながら中国人と桃の花のかかわりをいろいろと考えていました。そしておぼろげながら「桃夭」という言葉をやっと思い出しました。帰宅後、調べたところ上で示した詩の全文を見つけました。桃の風景写真を2000年以上も前の中国人の詩とつなげて見るとまた一段と味わいが深くなります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考====
詩経とは:
『詩経』は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。