後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

親子関係の不可思議さ、そして人間の幸せと不幸

2016年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム
親子関係ほど不思議な関係はありません。
そして人間の幸せや不幸はどのような親の子として生まれたかによって大きく左右されるものです。貧乏な親のもとに生まれ、進学もできず一生苦労する人もいます。貧乏でも優しい親の愛情をいっぱいうけ幸福な一生を送る人もいます。
その上、親子の関係ほど強い絆は無いと思います。
強いだけに一旦こじれると修復が非常に困難です。修復には20年、30年と長い年月がかかる場合もあります。そして世間体の為に親子関係が円満なように装っていても心の底では深い問題を抱えている場合もあります。

一番書きにくい人間の絆ですが、今日は気楽にさらりと書くことにしました。
親子関係を父と息子の関係と母と息子の関係だけに限定して描くと明快に整理出来そうです。
一般的に父親は息子が自分の思うようにしないと直ぐに立腹し叱る傾向があります。
息子に理想的な人生を歩んで貰いたいと思うあまり、つい失望したり怒りを感じるのです。しかし息子は父親とは違う自分の考えを持っています。
そんな訳で父と息子の関係は多くの場合良くないのが不思議ではありません。
しかしその問題も孫が出来てから次第に解消してきます。
ところが一方、母親と息子の関係を見ると、ほとんどの場合、始めから仲が良いのです。娘と母親の関係も同じようです。
この世で母子の関係ほど強い絆は無いというのが本当ではないでしょうか。
街に出ると幼児を連れた若い母親によく会います。幼児が可愛いので見とれていると母親が挨拶をします。「どうです。素晴らしい子でしょう!」という自慢が笑顔に見え隠れします。女性にとって一番幸せな時期なのです。
このように書くと結婚していない人や子供のいない人は気の毒に思えます。ですから子連れの母親に会った時は子供のいない人の心に寄り添うようにしています。
話は飛びますが私は許嫁を日本から呼び寄せてアメリカのオハイオ州で結婚式を上げました。そんな事情からアメリカの親子関係を観察する機会が多くありました。
雑駁に言えばアメリカの親子関係は日本ほど濃密でないのです。子供が高校生くらいになると親離れをして精神的には独立します。赤ん坊の育て方も一見冷酷で、泣いても抱き上げてはいけないと言います。寝室も別です。要するに子供を甘やかさないのが理想的な育て方だと信じているのです。
ですから息子は父に頼りません。父も息子の就職や結婚には一切意見を言いません。
日本では里帰りを毎年行う人がいますがアメリカでは人にもよりますが家族で両親に会いに行くのは数年に一回くらいです。誤解を恐れずにはっきり書けばアメリカの親子関係は疎遠なのです。日本では親子関係が濃密過ぎて不幸になる場合が多いのです。良い親子関係を保つには疎遠と思える位の距離を置いたほうが良いと私は考えていました。
したがって、私はアメリカ人は理想的な家族関係を持っている一番幸せな人々と信じていました。
ところがその後何度もアメリカに行って彼等と親しくなってみると私の理解が完全に間違っていることに気がつきました。ある統計調査によると彼等が一番困って、悩んでいる人間関係は親子関係だと分かりました。
これは案外、日本でも同じかも知れません。
悪い夫婦関係は離婚すれば一件落着です。しかし親子関係には終わりが無いのです。
また話は飛びますが、親が死んでしまったり、いろいろな事情で親と別れてしまった場合について一言書いておきます。
私の家の近くにサレジオ学園があります。事情があって親と別れた子供達が一緒に住んで、サレジオ学園の小学校と中学校に通っています。高校からは一般社会の高校に行きます。その学園の中に大きなカトリックの教会があります。近所の人たちもサレジオの子供達と一緒にミサに参加していた教会でした。私はある年のクリスマスに、そこのミサに出ました。そうしたら昔、サレジオ学園で育った人々が家族連れでミサに出ていたのです。里帰りです。それは感動的な光景でした。忘れられない光景でした。親子関係を書く以上このようなケースについても考えるべきと思っています。
それはさておきアメリカの幸せな親子関係を示す一例として友人の家族の写真を示します。

上は親友のRobert Rappさんと奥様のHeidi、ハイヂさんの4人の子供と孫たちの集合写真です。
奥さんのハイジさんが左端に写っています。夫は何処にいるのか判然としません。一人のハイジさんという女性がこれだけの人数の人間を幸せにしている事実に驚嘆します。そして親子関係の不可思議さに心が打たれています。
この家庭には何度か泊めて貰いました。
奥さんのハイジは何事にもおおらかで、やさしくて、家庭的な女性でした。庭に草花を沢山植えていて、飼い犬の世話をしながら2人の息子と2人の娘といつも仲良くしていました。
彼女はドイツ人で、夫とは1959年にドイツのゲッチンゲンで知り合い、翌年結婚したのです。
一 昨年12月にフランスに住んでいる娘の一家を訪問している間に心臓発作に襲われ1月になってから亡くなりました。享年84歳でした。 火葬後の遺灰はアルプスの麓一面に広がる雪原に散骨したそうです。
これは幸運な女性と子供たちの親子の一例です。
しかし不運にも親子の絆が無くて公的な施設で育った子供たちも沢山います。しかし彼らは自分の気持ちを克服して幸せに一生を終えた人も少なからずいます。親子の絆は一番強いというのも事実です。しかし親のいない人々も世の中に沢山います。
そして幸せや不幸は人それぞれです。どちらにしても死ねば夜空の星の一つになるのです。倶会一処なのです。
今日の挿し絵代わりの写真は昨日撮ってきた都立水元公園の風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)