後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「梅雨の鬱陶しさを忘れさせる印象派の油彩画」

2020年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム
毎日雨です。梅雨は鬱陶しい季節です。こういう時には印象派の油彩画を見ると気分が良くなります。
ここ数日はインターネットで印象派の油彩画を数十枚見て梅雨の鬱陶しさを忘れています。
そこで今日はルノワール(Pierre-Auguste Renoir )の油彩画を7枚お送りいたします。
ルノワールの油彩画はフランスやアメリカで何度も見ました。そして2016年06月、東京の新国立美術館での「ルノアール展」は感動的でした。ルノワールの103点の油彩画が一堂に展示してあったのせす。この「ルノアール展」は圧巻でした。
ここにお送りする絵は私が好きなものです。特に「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」が大好きです。屋外で語り合う家族やダンスを楽しむ人々の明かるい表情と空気感に魅せられます。

1番目の写真は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」です。(1876年。油彩、キャンバス、131 × 175 cm。オルセー美術館蔵。第3回印象派展出品。)

2番目の写真は『ピアノに寄る少女たち』です。(1892年。油彩、キャンバス、116 × 90 cm。オルセー美術館蔵。)

3番目の写真は『浴女とグリフォンテリア』です。初期の作品です。(1870年。油彩、キャンバス、184 × 115 cm。サンパウロ美術館蔵。1870年サロン入選。)

4番目の写真は「舟遊びの昼食」です。(1880-81年。油彩、キャンバス、130.2 × 175.6 cm。フィリップス・コレクション蔵(ワシントンD.C.)。第7回印象派展出品。)

5番目の写真は「2人の姉妹」です。(1881年。油彩、キャンバス、100.4 × 80.9 cm。シカゴ美術館蔵。)

6番目の写真は『ラ・グルヌイエール』です。(。1869年にモネとともに『ラ・グルヌイエール』を制作した頃からは、セーヌ川やモンマルトルの風景を明るく描く印象主義的な手法を確立していきます。}

7番目の写真は「ポンヌフ」です。(』1872年。油彩、キャンバス、75.3 × 93.7 cm。ナショナル・ギャラリー蔵、ワシントンD.C.)

ここでノワールの略歴をご紹介しておきます。
ルノワール(Pierre-Auguste Renoir )は1841年に生まれ、- 1919年に亡くなりました。フランスの印象派を代表する画家でした。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB
彼はにフランス中南部のリモージュで貧しい仕立屋の息子として生まれ、1844年(3歳)の時、一家でパリに移り住みます。
聖歌隊に入り、美声を評価されていたそうです。1854年(13歳)に、磁器の絵付職人の見習いとなったが、1858年(17歳)、失業します。その後は扇子の装飾など職人としての仕事を手がけています。
しかし1861年(20歳)の時、画家になることを決意してシャルル・グレールの画塾に入り、ここでモネ、シスレー、バジールら画家仲間と知り合ったのです。
彼等とはフォンテーヌブローの森で一緒に写生もしていたのです。
1864年(23歳)にサロン・ド・パリに初入選し、以後度々入選していました。これでノワールは印象派画家として有名になったのです。
しかし始めは経済的に苦しく、親友バジールのアトリエを共同で使わせてもらった時期もあったのです。
1869年(28歳)、ルーヴシエンヌの両親の家に滞在している時、モネとともに行楽地ラ・グルヌイエールでキャンバスを並べ、印象派の特徴の一つである筆触分割の手法を生み出してたのです。
1870年(29歳)、普仏戦争が勃発し、騎兵隊に従軍します。その後、1871年(30歳)、パリ・コミューンの動乱に揺れるパリに戻りました。スパイと間違われ、一時逮捕される出来事も起きます。
このようにいろいろな事がありましたが、ルノアールは常に絵筆を握り感動的な絵画を78歳で死ぬまで描き続けたのです。晩年にリウマチのため絵筆が握ぎれなくなっても、絵筆を腕に括り付けて絵を描きき続けたのです。 ノワールの絵画に対する情熱に心が打たれます。

梅雨は鬱陶しい季節です。今日はこの鬱陶しさを吹き飛ばすために印象派の油彩画をお送り致しました。皆さまの気分も良くなりましたでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)