7月7日の掲載記事は、 「人種差別、植民地主義への反対運動で変革する欧米社会」でした。
その記事では現在、欧米社会が人種差別、植民地主義への反対運動で激動していることを紹介しました。植民地主義への反対運動は燎原の火のように燃え広がっているのです。
そこで私は欧米人の植民地主義の被害者へ謝罪文を探しました。
そうしたら欧米諸国の政府による謝罪文が見つからないのです。 しかし唯一、謙虚に謝罪した2015年のフランシスコ法王の言葉と、1992年の法王ヨハネ・パウロ2世の謝罪を見つけたのです。
今日は欧米人の植民地主義の被害者へ謝罪について考えてみたいと思います。
2015年にフランシシスコ法王は中南米を訪問しました。各地で熱狂的な歓迎を受け、大勢の信者たちと共にミサを捧げました。
そしてボリビアではかつてスペインやポルトガルが南アメリカを武力で征服し植民地にしたことを謙虚に謝罪したのです。この謝罪は先住民団体の代表らを前にした演説で行われました。
以下は当時の朝日新聞デジタル版の2015年7月11日の記事です。
「南米を訪問中のローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は9日午後、ボリビア東部サンタクルスで、15世紀以降のスペインなどによる中南米征服の歴史に触れ、「謙虚に謝罪したい」と述べた。教会の布教の一方で先住民の虐殺や奴隷労働があった負の歴史について、歴代法王より踏み込んだ表現で謝罪した。
先住民団体の代表らを前にした演説で、法王は「神の名の下に、先住民に対したくさんの深刻な罪が犯された」と発言。「はっきりと言いたい。アメリカ大陸征服の際、先住民に行われた犯罪行為について謙虚に謝罪したい」 と語った。
会場には、先住民出身のボリビアのモラレス大統領も同席。会場は大きな拍手に包まれた。一方で、法王は「先住民の側に寄り添って布教を続けた司教や司祭がいたことも覚えていてほしい」とも付け加えた。
スペインやポルトガルによる中南米の植民地化の歴史では、キリスト教の布教が強く関わった。スペインやポルトガルによる中南米の植民地化の歴史では、キリスト教の布教が強く関わった。1992年には、当時の法王ヨハネ・パウロ2世がドミニカ共和国で過去の征服を謝罪した。」(朝日新聞デジタル版:2015年7月11日、アスンシオン=田村剛)
このフランシシスコ法王の謝罪は1992年の法王ヨハネ・パウロ2世の謝罪に続く2度目の謝罪ということを強調したいと思います。
日本人のなかには西洋人を非難する場合によく南北アメリカでの原住民の虐殺行為を取上げる人がいます。
しかし良心的な西洋人はその負の歴史を現在でも重荷として背負っているのです。
けれども植民地支配を進めた欧米諸国の政府は絶対に謝罪しません。
ヨーロッパ人が公式の場で真摯に謝ったのはヨハネ・パウロ2世が初めてなのです。
その謝罪は1992年でした。スペインやポルトガルの南米侵略から実に500年後です。謝罪までに500年もかかったのです。
人間は愚かな存在ですが、法王ヨハネ・パウロ2世とフランシシスコ法王の謝罪は人類の将来に明るい光になるのではないでしょうか
一方、欧米人のアジア諸国での植民地主義の被害者へ謝罪はどうなっているのでしょうか?
イギリスはインドにおいてムガール帝国から徴税権や行政権を獲得し、インド東部を実質的に植民地化して支配し始めます。
そして19世紀中頃になると、インド領土のほぼ全部とビルマ(現、ミャンマー)をも植民地化しました。
続いて オランダは19世紀初頭に、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島など(現、インドネシア)、マレー半島(現、マレーシア)等を植民地化し、フランスは19世紀後半に、カンボジア、ベトナム及びラオスを相次いで植民地化し、さらに、イギリスは19世紀末にマレー半島及びボルネオ島の一部をオランダから奪い取ったのです。尚、フィリピンは始めスペイン後にアメリカの植民地になります。
その結果、19世紀末から20世紀初頭にはタイ王国以外の東南アジアを植民地になってしまったのです。
私は欧米人のアジア諸国の植民地支配の謝罪を探しました。見つかりません。
これはどのように考えたら良いのでしょうか? 不思議です。
皆様はどのように考えていらっしゃるのでしょうか?
それにつけてもドイツのヴァイツゼッカー大統領の真摯な反省として有名な演説、「荒野の40年」の感動的な謝罪を思い出します。(2018年09月14日掲載記事)
尚、日本帝国の朝鮮や台湾そして満州の植民地支配については何度も書いてきましたので今日は省略しました。
今日の挿絵代わりの写真は昨日撮って来た「花と緑の広場」での写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和を心からお祈り申しあげます。後藤和弘(藤山杜人)
その記事では現在、欧米社会が人種差別、植民地主義への反対運動で激動していることを紹介しました。植民地主義への反対運動は燎原の火のように燃え広がっているのです。
そこで私は欧米人の植民地主義の被害者へ謝罪文を探しました。
そうしたら欧米諸国の政府による謝罪文が見つからないのです。 しかし唯一、謙虚に謝罪した2015年のフランシスコ法王の言葉と、1992年の法王ヨハネ・パウロ2世の謝罪を見つけたのです。
今日は欧米人の植民地主義の被害者へ謝罪について考えてみたいと思います。
2015年にフランシシスコ法王は中南米を訪問しました。各地で熱狂的な歓迎を受け、大勢の信者たちと共にミサを捧げました。
そしてボリビアではかつてスペインやポルトガルが南アメリカを武力で征服し植民地にしたことを謙虚に謝罪したのです。この謝罪は先住民団体の代表らを前にした演説で行われました。
以下は当時の朝日新聞デジタル版の2015年7月11日の記事です。
「南米を訪問中のローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は9日午後、ボリビア東部サンタクルスで、15世紀以降のスペインなどによる中南米征服の歴史に触れ、「謙虚に謝罪したい」と述べた。教会の布教の一方で先住民の虐殺や奴隷労働があった負の歴史について、歴代法王より踏み込んだ表現で謝罪した。
先住民団体の代表らを前にした演説で、法王は「神の名の下に、先住民に対したくさんの深刻な罪が犯された」と発言。「はっきりと言いたい。アメリカ大陸征服の際、先住民に行われた犯罪行為について謙虚に謝罪したい」 と語った。
会場には、先住民出身のボリビアのモラレス大統領も同席。会場は大きな拍手に包まれた。一方で、法王は「先住民の側に寄り添って布教を続けた司教や司祭がいたことも覚えていてほしい」とも付け加えた。
スペインやポルトガルによる中南米の植民地化の歴史では、キリスト教の布教が強く関わった。スペインやポルトガルによる中南米の植民地化の歴史では、キリスト教の布教が強く関わった。1992年には、当時の法王ヨハネ・パウロ2世がドミニカ共和国で過去の征服を謝罪した。」(朝日新聞デジタル版:2015年7月11日、アスンシオン=田村剛)
このフランシシスコ法王の謝罪は1992年の法王ヨハネ・パウロ2世の謝罪に続く2度目の謝罪ということを強調したいと思います。
日本人のなかには西洋人を非難する場合によく南北アメリカでの原住民の虐殺行為を取上げる人がいます。
しかし良心的な西洋人はその負の歴史を現在でも重荷として背負っているのです。
けれども植民地支配を進めた欧米諸国の政府は絶対に謝罪しません。
ヨーロッパ人が公式の場で真摯に謝ったのはヨハネ・パウロ2世が初めてなのです。
その謝罪は1992年でした。スペインやポルトガルの南米侵略から実に500年後です。謝罪までに500年もかかったのです。
人間は愚かな存在ですが、法王ヨハネ・パウロ2世とフランシシスコ法王の謝罪は人類の将来に明るい光になるのではないでしょうか
一方、欧米人のアジア諸国での植民地主義の被害者へ謝罪はどうなっているのでしょうか?
イギリスはインドにおいてムガール帝国から徴税権や行政権を獲得し、インド東部を実質的に植民地化して支配し始めます。
そして19世紀中頃になると、インド領土のほぼ全部とビルマ(現、ミャンマー)をも植民地化しました。
続いて オランダは19世紀初頭に、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島など(現、インドネシア)、マレー半島(現、マレーシア)等を植民地化し、フランスは19世紀後半に、カンボジア、ベトナム及びラオスを相次いで植民地化し、さらに、イギリスは19世紀末にマレー半島及びボルネオ島の一部をオランダから奪い取ったのです。尚、フィリピンは始めスペイン後にアメリカの植民地になります。
その結果、19世紀末から20世紀初頭にはタイ王国以外の東南アジアを植民地になってしまったのです。
私は欧米人のアジア諸国の植民地支配の謝罪を探しました。見つかりません。
これはどのように考えたら良いのでしょうか? 不思議です。
皆様はどのように考えていらっしゃるのでしょうか?
それにつけてもドイツのヴァイツゼッカー大統領の真摯な反省として有名な演説、「荒野の40年」の感動的な謝罪を思い出します。(2018年09月14日掲載記事)
尚、日本帝国の朝鮮や台湾そして満州の植民地支配については何度も書いてきましたので今日は省略しました。
今日の挿絵代わりの写真は昨日撮って来た「花と緑の広場」での写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和を心からお祈り申しあげます。後藤和弘(藤山杜人)