今日のカトリック関口教会の年間第27主日のミサの風景です。
ロシアのミサイル攻撃前のキエフは美しい町だったのです。
2019年のこの写真の出典は、https://globe.asahi.com/article/12813015 です。
今日のカトリック関口教会の年間第27主日のミサの動画配信です。
10月8日10:00 司式 天本昭好神父(主任司祭)
https://www.youtube.com/watch?v=R0IZz90UeSI
入祭の歌 カ典12 神はすべてのものを治め
いつくしみ・栄光の賛歌 ミサ曲610・612
答唱詩編 典80④⑤⑥ 神よわたしに目を注ぎ
アレルヤ唱 典270 年間第27主日
信仰宣言 ニケア・コンスタンチノープル信条(1)
奉納 カ典30 流れのほとり
感謝・平和の賛歌 ミサ曲613・614
拝領 カ典310 キリストはぶどうの木
閉祭 典387 神はキリストのうちに
添付の写真は、東京のカトリック関口教会の写真です。
10月8日10:00 司式 天本昭好神父(主任司祭)
https://www.youtube.com/watch?v=R0IZz90UeSI
入祭の歌 カ典12 神はすべてのものを治め
いつくしみ・栄光の賛歌 ミサ曲610・612
答唱詩編 典80④⑤⑥ 神よわたしに目を注ぎ
アレルヤ唱 典270 年間第27主日
信仰宣言 ニケア・コンスタンチノープル信条(1)
奉納 カ典30 流れのほとり
感謝・平和の賛歌 ミサ曲613・614
拝領 カ典310 キリストはぶどうの木
閉祭 典387 神はキリストのうちに
添付の写真は、東京のカトリック関口教会の写真です。
ウクライナとロシアの戦争はベトナム戦争のように10年以上続くと思います。理由は明白です。ウクライナ側がクリミア半島を奪回し東部のロシア占領地からロシア軍を完全に駆逐するまで続くのです。それまでは絶対にウクライナは停戦に同意しません。誰の目にも明らかです。
ロシアはクリミア半島と東部のロシア占領地に強固な防衛陣地を構築してしまったのです。ウクライナ側がこれを攻撃し占領するまでは10年以上かかると考えられます。たとえ停戦交渉が始まったとしても合意には長い年月がかかります。ウクライナ側はロシア軍を完全に駆逐するまでは絶対に停戦には合意しません。
その上、ウクライナ側のロシアに対する怨念は歴史的な背景もあるのです。
歴史的にみるとウクライナとロシアは兄弟国です。仲の良かった時代と悪かった時代が交錯した複雑な関係です。仲の悪かった時代はコサック時代でその後のロマノフ王朝時代はロシアとウクライナは一体化しています。そしてウクライナはロシア革命のさなか独立し、ウクライナ国民共和国でした(1917〜20年)。しかしソ連時代になるとその独立が破綻するのです。
そしてソ連崩壊後に悲願の完全独立が達成されたのです。
今回のロシアによるウクライナ攻撃は上記の複雑な関係史の延長なのです。
・・・ソ連時代のウクライナ・・・
1922年に成立したソ連は、制度上は各共和国の自由意思による結合の連邦国家で、ウクライナもソ連を構成する共和国の一つでした。しかしスターリンの時代になると、モスクワに完全に統制されソ連の一行政単位となったのです。
1923年ソ連は、各共和国の民族、文化に応じた施策を慫慂する「土着化」政策を進めます。これは、1917年末から1921年末まで続いた内戦でモスクワの共産党に執拗に抵抗したウクライナを取り込むための政策でもあったのです。これによってウクライナでは、ウクライナ人の登用、ウクライナ語化などが進められました。
これがソ連崩壊後のウクライナの独立につながったわけです。
・・・ウクライナ正教会の「独立」・・・
ウクライナはわずかな期間でしたが独立した時期がありました(ウクライナ国民共和国、1917〜20年)。このときウクライナ正教会もロシア正教会から独立しようという動きます。それが現実的な動きとなったのは、ソ連が崩壊しウクライナが独立した時でした。
1920年ウクライナ独立正教会が設立され、21年にはキエフおよび全ウクライナの府主教が任命されます。儀式にもウクライナ語を使用しました。しかしソ連政府は次第に規制を強め、1930年にはウクライナ正教会の解散させられます。
以上のようにロシアの武力侵攻に背景には複雑なウクライナとロシアの歴史的な関係がからんでいるのです。
今日はウクライナとロシアの戦争はベトナム戦争のように10年以上続く理由を説明しました。
挿絵代わりの写真は美しいウクライナの田舎の風景とロシアのミサイル攻撃で破壊された都会の風景です。写真はインターネットからお借りしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)