近所に国立の学芸大学があります。構内の大きな樹々が秋の色になっています。広い構内には子供連れの主婦が三々五々のんびりと散歩しています。私ものんびり写真を撮って来ました。長閑な秋の午後でした。
玄奘三蔵法師が学んだナーランダ僧院の現在の写真です。
世界初の全寮制大学で、古代世界で最も偉大な学問の中心地の一つである。現在のパトナの南東約90キロの場所にあり、427年から1197年まで運営されていた。
7世紀には中国からの巡礼者が来訪し、玄奘三蔵は657冊のサンスクリット語仏典を、義浄は400冊のサンスクリット語仏典を持ち帰り、それらの仏典は東アジアの仏教に大きな影響を与えたのです。
(https://ja.wikipedia.org/.../%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%A9... )
玄奘三蔵法師のことを書いていると元気が出てきます。玄奘三蔵法師はアジア諸国の誇りです。そこで今日もこの三蔵法師のことを書きたいと思います。
考えてみると、中国、台湾、韓国そして日本の文化は仏教と儒教の文化です。この佛教をインドから持って来たのが鳩摩羅什(くまらじゅう、344年 - 413年) と玄奘三蔵法師でした。
考えてみると、中国、台湾、韓国そして日本の文化は仏教と儒教の文化です。この佛教をインドから持って来たのが鳩摩羅什(くまらじゅう、344年 - 413年) と玄奘三蔵法師でした。
今日は中国、韓国、日本の人々が共通に尊敬している玄奘三蔵法師の偉業を簡単にご紹介したいと思います。
私自身はカトリックですが特に玄奘三蔵法師と弘法大師を敬っています。
さて玄奘三蔵法師は唐時代にはるばるインドへ旅をして仏教の全ての教えを持って帰って来たのです。
現在、中国、台湾、韓国、日本で読まれているお経のほとんど全ては彼がインドから持ち帰り、漢文に翻訳したものです。そして一部はインドのパーリ語の発音をそのまま漢字で表したものです。般若心経と大悲心陀羅尼がその例です。ですから玄奘三蔵法師こそ日本文化に深い影響を与えたのです。
彼は西暦602年に生まれ、664年に62歳で亡くなりました。
西暦629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教の研究を行って、16年後の645年に経典657部や仏像などを背負って帰ってきました。以後、翻訳作業で従来伝承された仏教の誤りを正しながら、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなったのです。それでは彼の旅の道程を示しましょう。
1番目の写真は玄奘三蔵法師の旅の道程を示した図面です。
(この図面の出典は、http://todaibussei.or.jp/asahi_buddhism/12.html です。)
インドへ入った玄奘は、ガンダーラやカシミールを経由し、ブッダゆかりの地を訪れた後に、有名なナーランダー僧院(現在のビハール州)へと赴いています。
当時のナーランダー僧院では、仏教以外にも様々な学問が行われており、数千人もの俊才たちが勉強していました。玄奘は、有名な戒賢(シーラバドラ)に師事して『瑜伽師地論』を中心に学び、この地で五年間、勉学に励んだのです。瑜伽師地論とは大乗仏教唯識派の重要な文献の一つです。
そして西暦645年に玄奘三蔵はインドから経典657部を持ち帰ってきたのです。
帰って来た唐は名君の二代目の太宗が皇帝の時代でした。太宗は645年玄奘三蔵が持ち帰った経典の翻訳を指示します。
玄奘三蔵は長安(現在の西安)の大慈恩寺で翻訳作業を進め彼が没する664年の直前まで続けたと言われています。
2番目の写真は現在の西安の慈恩寺の境内にある玄奘三蔵法師の記念堂です。
写真の出典は、http://www.e-asianmarket.com/xian/xiantemple01.html です。
3番目の写真は玄奘三蔵法師の記念堂にある玄奘三蔵法師の像です。
この写真の出典も、http://www.e-asianmarket.com/xian/xiantemple01.html です。
4番目の写真は大慈恩寺の境内にある大雅塔です。
私は1981年に特別の許可を貰ってこの大雅塔の最上階まで登ったことがあります。当時は文化大革命の後だったので大雅塔の土の階段が崩れていたことに心が痛みました。現在は綺麗に修復され立ち入り禁止になっていると聞きました。
大雅塔の最上階で玄奘三蔵法師を想い感動しました。忘れられない西安の旅でした。
5番目の写真は日本のお寺にある玄奘三蔵法師の像です。
この写真は埼玉県の慈恩寺で私が撮りました。このお寺には玄奘三蔵法師の遺骨の一部があるという伝承があったので訪問したのです。
この訪問記は、http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp の2009年9月14日の掲載記事、「日本の全仏教徒のために海を渡ってきた玄奘三蔵法師の遺骨にお参りして来ました」に書いてあります。
今日は中国、台湾、韓国、日本の人々が共通して尊敬している玄奘三蔵法師の偉業を簡単にご紹介しました。
詳しくは、「愛と文化は国境を越える(4)日本文化の基礎を作った玄奘三蔵法師のインドへの旅」(2014年08月29日 掲載記事)にあります。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料======================
玄奘三蔵法師が持ち帰った大乗仏教とは?
(日本の仏教と釈迦の教えの違い(3)般若心経は大乗仏教のお経、2018年05月17日掲載記事)