85歳を越すと何故か体が急に弱くなりました。以前は毎月のように長旅に出ていましたが、それも出来なくなりました。
今日は何度も訪れた上高地の風景を思い出しました。
今となっては遥かに遠くなってしまった上高地です。今頃は紅葉黄葉が美しいだろうと目に浮かびます。
その紅葉の写真をお送りいたします。写真は2012年10月29日に上高地を散策しながら撮ったものです。
大正池でバスを降り田代橋から梓川添いに歩きながら黄葉のカラマツ林の写真を撮りました。
梓川の向こうには穂高連山が見えています。
上高地帝国テテルは何度か家内と一緒に泊まった懐かしいクラシックホテルです。
上高地には神々しい別世界のような場所です。明治の始めころイギリス人のウエストン卿が日本人の山案内人と徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。
このウェストンこそが日本へ近代登山を伝えた人だったのです。
「私の上高地」は、若い頃、北アルプスを縦走して、疲れ果てた末に神河内に降り立った時に見た光景なのです。
その後仕事が忙しくなって何十年も行きませんでした。
しかし引退後、今度は家内と何度も訪れたのです。上高地には楽しい思い出が沢山出来ました。
その上高地は今頃は紅葉が美しいだろうと想像しながら日々を過ごしています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日は何度も訪れた上高地の風景を思い出しました。
今となっては遥かに遠くなってしまった上高地です。今頃は紅葉黄葉が美しいだろうと目に浮かびます。
その紅葉の写真をお送りいたします。写真は2012年10月29日に上高地を散策しながら撮ったものです。
大正池でバスを降り田代橋から梓川添いに歩きながら黄葉のカラマツ林の写真を撮りました。
梓川の向こうには穂高連山が見えています。
上高地帝国テテルは何度か家内と一緒に泊まった懐かしいクラシックホテルです。
上高地には神々しい別世界のような場所です。明治の始めころイギリス人のウエストン卿が日本人の山案内人と徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。
このウェストンこそが日本へ近代登山を伝えた人だったのです。
「私の上高地」は、若い頃、北アルプスを縦走して、疲れ果てた末に神河内に降り立った時に見た光景なのです。
その後仕事が忙しくなって何十年も行きませんでした。
しかし引退後、今度は家内と何度も訪れたのです。上高地には楽しい思い出が沢山出来ました。
その上高地は今頃は紅葉が美しいだろうと想像しながら日々を過ごしています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)