今日は、「甲州街道の日野宿の本陣と新選組のことなど」 という記事を書きました。その続きとして新選組の成立のいきさつと明治維新後の日野宿について書きたいと思います。
(1)新選組の成立のいきさつ
新選組は、江戸時代末期に江戸幕府の徴募により組織された浪士隊です。尊攘派志士の弾圧活動に従事しました。会津藩預かりという非正規組織でした.。
しかし新選組は後に幕臣に取り立てられます。
そして慶応4年(1868年)に旧幕府から甲州鎮撫を命ぜられたことにより、甲陽鎮撫隊と改めます。
しかし明治2年5月18日、戊辰戦争においての旧幕府軍降伏により、事実上消滅したのです。
まず新選組が作られた様子を示す八坂神社の奉納額をご紹介します。
面倒な話は止めて早速写真で説明を致します。
1番目の写真は日野市の八坂神社の写真です。
本殿は、寛政一二年(1800年)に完成したもので、江戸後期の典型的な社殿建築です。
この本殿には、安政五年(1858年)に天然理心流近藤周助の門人達により奉納された額があり、欅板に大小二本の木刀が架けられています。ちなみに近藤周作は新選組の局長の近藤勇の養父であります。
2番目の写真は八坂神社に現存している天然理心流の奉納額です。
天然理心流近藤周助の門人25名の名前が明記してあります。近藤勇や沖田総司の名はありますが土方歳三はこの以後に道場に来たので名前がありません。
新選組の近藤勇も土方歳三も維新戦争で戦死した後で明治維新が始まったのです。
(2)明治維新後の日野宿の発展
明治維新がおきると日野宿の若いリーダー達は日野に近代的な事業を起こし古い宿場町の近代化に励んだのです。若いリーダー達の一例として佐藤彦吉の話をご紹介いたします。彦吉は土方歳三の甥になります。佐藤彦吉はのちに有山家に婿入りして有山彦吉となりました。
3番目の写真は明治期の日野の発展の様子も記載されている「八王子・日野の100年」という郷土の歴史を書いた本の写真です。
野口正久,と 谷春雄 が執筆し、郷土出版社から1996 年に出版されました。価格は11000円 でした。
4番目の写真はこの本の26ページと27ページに掲載されている写真を示しています。
右下に土方歳三の写真があり左上には近藤勇が腕組みをして坐っています。その下に立って写っている2人の男は明治20年に渡米した山口清之助(左)と佐藤彦吉(右)です。ニューヨークで撮影した写真です。
日野宿の佐藤彦吉が生まれたのは幕末の1861年でした。土方歳三の姉が嫁いだ佐藤彦五郎(俊正)の4男でしたが、のちに有山家へ婿に入り有山彦吉になりました。
佐藤彦吉は若い時から自由党に入り自由民権運動をしていましたが、やがて実業家を目指し、渡米して貿易業を始めようとしました。
帰国後は金融業へ転身し日野銀行を興し、その頭取になります。そして銀行家として成功しながら多摩川の砂利採取の権利を得、それが大きな利潤を生んだのです。
当時は甲武鉄道の敷設や建築土台として砂利の需要が爆発的にあったのです。有山彦吉所有の砂利採取会社の荷車や馬車が砂利を満載して長い列になって甲州街道を行来したそうです。
そして彦吉は日野村有数の資産家になり山林や農地を広く所有しました。
後に県会議員になるのです。当時、日野村は神奈川県だったので神奈川県の県会議員です。しかし彦吉は実業家でした。政治家としてはあまり成功しなかったようです。
明治時代の実業家と言えば岩崎弥太郎や渋沢栄一など、全国的に活躍した人だけを学校の歴史で習います。しかし全国の地方、地方にには彦吉のような故郷の興隆のために情熱を燃やした人々が沢山居たのです。
文明開花で燃えていたのは東京だけではなかったのです。それが明治時代の地方の雰囲気でした。
日清戦争に勝ち、日露戦争に勝った明治時代に彦吉は活躍し、第二次大戦のころは引退していたそうです
それは日本の激動の明治、大正、昭和を活躍した地方実業家の一生でした。
5番目の写真はこの彦吉の創業した日野銀行の現存している社屋の写真です。
6番目の写真は現在の有山本家の写真です。現存している日野銀行と同じ敷地にあります。
尚、有山彦吉の息子は亮、登、恒と3人いましたが、それぞれ日野町長、順天堂大学学長、東北大学農学部長を務めました。歳三の係累にもいろいろな人がいたのです。私の妻は東北大学農学部長をした有山恒の娘です。
今日はあまり長くなるので止めますが最後に自由民権運動の資料を展示してある場所をご紹介します。
7番目の写真は町田市立自由民権資料館です。
詳しくは2011年05月21日掲載の「日本に珍しい民主主義運動の資料博物館・・・町田市立自由民権資料館」という記事をご覧下さい。
今日は新選組の成立のいきさつと明治維新後の日野宿の発展について書きました。今日の写真は全て家内が撮った写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)