後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「東北地方の六大祭り」

2024年04月10日 | 写真
東北地方の六大祭りを書くと次のようになります。
青森県(青森ねぶた祭) 七夕祭り灯篭流しが変形して出来たと言われる「青森ねぶた祭」。 ...
秋田県(秋田竿燈まつり) 真夏の病魔や邪気を取り払う“ねぶり流し行事”として、長い歴史を持つ「秋田竿燈まつり」。 ...
岩手県(盛岡さんさ踊り) ...
山形県(山形花笠まつり) ...
宮城県(仙台七夕まつり) ..
.福島県(福島わらじまつり)
さて写真は「青森ねぶた祭」です。


「及源さんと南部鉄器のことなど」

2024年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日久しぶりに旧友、及川源悦郎さん から南部鉄器の会社の紹介のパンフレットが送って頂きました。
及川源悦郎さんは大学の同級生でした。東北大学金属工学科を1958年に卒業後、家業である及源(オイゲン)鋳造に入社しました。 第四代目社長になり、その後は会長として後進の指導に当たっていました。お子さんが社長を継いでいます。
そこで頂いたパンフレットに出ていた「鹿踊り」の写真をお送りいたします。

1番目の写真は南部地方の「鹿踊り」の写真です。
そして及源(オイゲン)鋳造の鉄の鋳造製品の写真も示します。
 
2番目の写真は鉄瓶です。
下の写真は戦前の及源鋳造の店の前の写真です。

3番目の写真は源鋳造の店の前の写真です。
南部鋳鉄は11世紀に平泉に藤原3代が隆盛をきわめたおりに鋳物職人を近江(現在の滋賀県)から招いたことに始まりました。
南部には砂鉄が豊富で、藤原3代以来、鉄製品の製造が盛んになったのです。
旧友の及源さんの会社の及源(オイゲン)鋳造は江戸末期の嘉永5年に創業し、すでに5代目になっているそうです。(http://oigen.jp/company/history.html)
及源鋳造は実にいろいろな鉄瓶や調理器具を鋳造して、全国へネット販売しているのです。及源鋳造を検索すると、簡単に出来るパン焼き釜、ダッチオーブン、すき焼き鍋などなど多彩な商品の写真が出ています。

及川源悦郎さんは私どもが初めて小金井に家を作った1964年頃にわざわざ泊まりに来てくれたのです。その後、同級会の折りに時々会っていましたが、ここ10年以上は会っていません。
ご無沙汰のお詫びかたがた、下に及川源悦郎さんの若い頃の写真示します。

4番目の写真は源悦郎さんがアメリカ視察旅行に出発する時の写真です。
今日は岩手県の水沢にある及源鋳造をご紹介しました。このように地方にある伝統的な工芸品の歴史を調べて書いていると何故か心が豊かになります。幸せな気分になります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「戦後の焼野原と現在の全国にある花園の風景」

2024年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム
これは戦後の焼野原をこの目で見た私の感慨です。現在の全国の花園の風景を見て隔世の感です。日本がこんなにも変わったことに驚いています。この驚きは若い人には理解出来ないかも知れませんが書いて置きたいと思います。
写真に従って説明いたします。
1番目の写真はB29の編隊が焼夷弾で東京を焼きつくしている光景です。
当時住んでいた仙台でも同じような光景を私は見ました。
1945年7月10日の午前0時から仙台は123機のB29によって焼きつくされました。当時9歳であった私は、向山の高台から市街地が一面の火の海になっているのを立ち尽くして見ていました。
2番目の写真は空襲があった翌日の東京の風景です。仙台の空襲の翌日、私は鹿落坂をくだって中心街の焼け跡を見に行きました。この写真のような光景が広がり、まだ彼方此方から煙が立ち昇っていたのを鮮明に思い出します。
1番目の写真と2番目の写真の光景は全国にあったのです。全国の200以上の市町村がB29で焼け野原になったのです。
3番目の写真は兵庫県の「豊岡市たんとう花公園」の風景です。
写真の出典は、https://www.hyogo-tourism.jp/review/101 です。
焼け野原になった日本には現在この写真のような広い花園が沢山あるのです。
終戦の頃は花園はありませんでした。皆無でした。現在花園になっている畑にはジャガイモやサツマイモやカボチャが植えられてきたのです。食糧難でお米のご飯が無くてジャガイモやサツマイモやカボチャで命をつないでいたのです。
4番目の写真も「豊岡市たんとう花公園」の風景です。
場所は、舞鶴若狭道「福知山」ICまたは播但自動車道「和田山」ICのどちらからも40kmほど。たんとう花公園は、4月のチューリップと8月ひまわりの見ごろの時期だけオープンする公園です。
5番目の写真も「豊岡市たんとう花公園」の風景です。
のどなか里山の一角に咲き競う300品種・100万本のチューリップ。赤、黄、ピンク、紫と濃淡を交えた鮮やかな色であたり一面を染め上げる様は、春の日差しの下で波打つ花の海を思わせ、まさに圧巻の光景です。
終戦の頃、こんな綺麗な花園が日本に出来るとは想像も出来ませんでした。
全く隔世の感です。日本が復興してこんなんにも豊かな国にになったのです。
人々の心も豊かになったのです。幸福感につつまれます。

それにつけてもウクライナの苦難に心が乱れます。ロシアの暴虐に衝撃を受けています。ウクライナの歴史に無い最大の悲劇です。ウクライナは何もしなかったのにロシアが突然一方的に武力侵攻したのです。
ウクライナのために祈らざる得ません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「玉川上水の樹々の新緑といろりの里」

2024年04月10日 | 写真
先日、玉川上水の樹々の新緑の写真を撮り行にました。ついでに和食の店「いろりの里」の写真も撮りました。いろりの里は人生の節目、節目に使った懐かしい店です。
そんな樹々の新緑と懐かしい料亭の写真をお送り致します。




玉川上水は江戸初期に江戸へ生活用水を送るため、多摩川上流の羽村から取水し四ツ谷まで43Kmの堀を作ったものです。江戸幕府から委託され、1653年(承応2年)に 工事を完成させた玉川兄弟の銅像は羽村の堰の岸辺に立っています。
現在も樹々はよく手入れされ大きな樹々が繁っています。江戸時代の自然がそのまま残っているようです。その樹々の新緑がこの季節に美しいので何度も眺めに行きます。今日は近所の玉川上水の樹々の写真をお送り致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)