今日は朝から冷たい雨が降っています。こういう日は印象派の画家たちの絵を見ながら時を過ごすことにしました。
印象派と言えばやはりエドゥアール・マネの油彩画には心が打たれます。
エドゥアール・マネ(1832年1月23日- 1883年4月30日)は、19世紀のフランスの画家です。近代化するパリの情景や人物を、伝統的な絵画の約束事にとらわれずに描き出し、絵画の革新の担い手となったそうです。印象派の画家にも影響を与えたことから、印象派の指導者あるいは先駆者として位置付けられてい画家です。このマネーの絵から始めて12枚の印象派の油彩画の写真をお送り致します。
1番目の写真はマネーの「笛を吹く少年」です。
2番目の写真はエドゥアール・マネ の「草上の昼食」です。裸の女性は違和感を与えますがマネは裸体の美を描きたかったのでしょぅ。
3番目の写真はクロード・ モネの睡蓮の絵です。睡蓮の絵は数多くあるので選ぶのに迷います。今日は水草の繁茂した絵を選びました。
4番目の写真はパリの北にあるアルジャントゥイユの春の野のクロード・モネの風景画です。「アルジャントゥイユのひなげし」という油彩画で1873年の作です。
5番目の写真もクロード・モネの「アルジャントゥイユのひなげし」という油彩画で1873年の作です。この様な風景画は何枚も描かれています。
6番目の写真はクロード・モネの『散歩、日傘をさす女性』(1875年)です。三枚描かれた日傘をさす女性をモデルにした作品の最初のものです。妻カミーユと息子ジャンをモデルに描かれました。カミーユはこの4年後、結核で32歳の若さで亡くなるのです。
クロード・モネは1840年にパリで生まれました。5歳の頃から少年時代の大半をノルマンディー地方のル・アーヴルで過ごしました。少年の頃から絵がうまく、人物の肖像画を売るほどであったそうです。
18歳の頃、風景画家ブーダンと知り合い、戸外での油絵制作を教えられました。
1859年にパリに出て、絵の勉強を始め、ピサロ、シスレー、バジール、ルノワールといった仲間と知り合ったのです。その後の活躍はご存知の通りです。
ついでに私が好きな木造のヨットのクロード・モネの絵とサン=ラザール駅の絵をお送りします。
7番目の写真はクロード・モネの『アルジャントゥイユの橋』(1874年)です。
8番目の写真はクロード・モネの『サン=ラザール駅:列車の到着』(1877年)です。
9番目の写真はオーギュスト・ルノワール の「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」です。 1876年作、オルセー美術館 蔵です。
10番目の写真はオーギュスト・ルノワール の「舟遊びをする人々の昼食」です。1876年作。
11番目の写真はエドガー・ドガの「舞台のバレエ稽古」です。1874 作。
ドガはバレエを主題とした作品でよく知られており、作品の半分以上はバレエの絵だったと言われています。裕福な家庭の出身であったドガは、バレエを好み、オペラ座の楽屋や練習風景や舞台袖といった一般人では出入りできない場所を描いた絵画を多く製作しました。
12番目の写真はエドガー・ドガの「舞台の踊り子」です。制作年は1876年ごろで所蔵はオルセー美術館 です。バレーが大好きだドガの入魂の作です。
日本人は印象派の油彩画が好きです。ここでご紹介したマネやモネやルノワール やドガの他、ピサロやシスレーやセザンヌの絵画は日本人が好きなのです。
今日はマネの絵から始めて12枚の印象派の油彩画の写真をお送り致しました。印象派のほんの一部だけです。詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E8%B1%A1%E6%B4%BE をご覧下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)