後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本人の心の支えとしてのお稲荷さん信仰」

2024年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム
お稲荷さんと親しまれている稲荷神社は全国の津々浦々にあります。庶民が信仰し日本人の日々の心の支えになっています。
家々の屋敷の中の小さな祠のお稲荷さんから壮大な稲荷神社までいろいろな規模のものが無数にあります。
今日はまず私が撮ったお稲荷さんの写真をご覧下さい。
1番目の写真は近所の江戸時代からの大久保家のお稲荷さんです。屋敷稲荷を道路に出して皆がお祈り出来るようにしています。
2番目の写真は小金井街道に面した大松の下の稲荷神社です。
3番目の写真は小金井市で一番大きな八重垣稲荷神社です。元禄13年に渡辺家の邸内に建てられました。渡辺家は代々神官の家だったので祠ではなく神社のような構造になっています。訪ねてみると樹々が鬱蒼と生い茂り何故か怖いような、そして神秘的なお稲荷さんです。渡辺家の家屋敷は無くなっていて八重垣稲荷神社が独立した立たずまいになっています。
4番目の写真は小金井市で一番大きな八重垣稲荷神社の拝殿です。
5番目の写真は2016年に訪れた豊川稲荷の本殿の写真です。併存している妙厳寺の左裏にあります。

さて稲荷神社というものには赤い鳥居とその下に2匹のキツネが座っているですぐに分かります。
お稲荷様の神様が祀ってあって、キツネはその神の使いです。そしてお稲荷さんの一部にはキツネ自身が神として祀られていることもあります。人々はキツネを神の使いとして信仰し、キツネに油揚げを供えたりします。
このような信仰は日本独特なもので朝鮮半島や中国大陸やシベリアには皆無です。
一般的に稲荷信仰とはキツネを神の使いとして敬い、願い事を祈る信仰と言えます。そして全国の稲荷神社は仏教系と神道系の2つに大別できます。
仏教系とは豊川稲荷の系統を汲むお稲荷さんです。祀ってある神が仏教系(ヒンズ-教)の神様なのです。
豊川稲荷の場合の神様は吒枳尼天(だきにてん)と言うインドの古代民間信仰に由来する仏教の女神です。
この吒枳尼天(だきにてん)は日本に入って来ると稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視されるようになったのです。妙厳寺では「吒枳尼真天」(だきにしんてん)と呼んでいます。
ですから豊川稲荷では手を打つ代わりに曹洞宗の陀羅尼経の一部を唱えます。その部分は本殿の両脇の柱に大きな金文字で書かれています。

一方神道系のお稲荷さんの祭り神を祐徳神社の場合に示すと以下のようになります。
倉稲魂大神、大宮売大神、猿田彦大神、 神令使命婦大神、 萬媛命 。
これが京都の伏見神社では次のようになります。
宇迦之御魂大神 、佐田彦大神 、大宮能売大神、田中大神、四大神 。
如何でしょうか?あまりにも神様の名前が多いので頭が痛くなりませんか?

ついでに豊川稲荷の神仏混淆ぶりを説明します。
お寺の鐘楼がお稲荷さんと仲良く同じ境内にあるのです。そしておキツネさんとお釈迦さまへ対する信仰が混淆しているのです。
曹洞宗の妙厳寺の裏にはキツネ塚があります。信者がお祈りして願いがかなうとお礼にキツネの石像を寄進するのです。数百のキツネが並んだ光景は異様です。
このキツネ塚の光景をお釈迦さまがご覧になったら、どのように思うでしょう

長い記事になりましたので今日はここで終りと致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「日本人の魂を揺さぶる椎葉村の風景」

2024年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム
都会に生まれ育った人でも故郷というものに憧れを持っています。そうして農村風景をあたかも自分の故郷の心象風景として心の底に大切に持っています。そうでない人もいますが、多くの日本人は故郷の心象風景を持っているのです。私の農村の風景に憧れています。それは美しい日本の原風景です。
今日はそんな故郷の心象風景にピッタリの宮崎県の椎葉村をご紹介いたします。家屋が美しいので国の重要文化財に指定されています。椎葉村は険しい山地で急な斜面に点々と集落が存在しています。
椎葉村は壇ノ浦の戦いで滅亡した平氏の残党が落ち延びた場所なのです。1191年(建久2年)、追討のため那須大八郎宗久が襲って来ますが、平氏に再挙の見込み無しと見て追討を取り止め引き揚げます。
那須大八郎宗久が椎葉に滞在中に侍女の鶴富が娘を生みます。この娘に後に婿を娶らせ那須下野守と名乗らせ、この地方の領主とさせました。
また、椎葉という地名は宗久の陣小屋が椎の葉で葺かれていた事に由来すると言います。
この地方は戦国時代に那須氏が支配しており1559年(永禄2年)那須氏が肥後に出兵しています。
詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/椎葉村 をご覧下さい。
現在の「椎葉村」は住民が3000人ほどが暮らす村です。国の重要文化財の鶴富屋敷などが公開されており、当時の生活が見れる貴重な場所になっています。(http://tabico.jp/neta/tp100000304/ )
それでは「椎葉村」の写真をお送りいたします。

1番目の写真は十根川の重要建造物群のある山地の風景です。写真の出典は、https://www.pmiyazaki.com/siiba/tonegawa/index.htm です。
椎葉村の十根川保存地区は十根川集落、大久保集落と周辺の山林を含んだ山村集落です。この地方特有の平面一列の民家からなる建物群が険しい山に囲まれています。美しい歴史の古い山村です。

2番目の写真は昭和31年国指定重要文化財になった「鶴富屋敷(那須家住宅)」です。家屋前面に縁を横一列に長く配置しているのが特徴です。以前は茅葺(かやぶき)屋根でしたが、昭和38年から銅板葺きに変更しました。
3番目の写真は鶴富屋敷(那須家住宅)の軒下です。
部屋の間取りは藤原期の寝殿造りになっていて、その特徴は「コザ」(神仏を祭る神聖な場所)、「デイ」(一番広い部屋で冠婚葬祭などの行事にも使用)、「ツボネ」(寝室)、「ウチネ」(茶の間)と呼ばれる四室が横一列に並んでいます。また「ドジ」と呼ばれる土間には雑穀をつく空臼と大小の石造りのかまどがあります。部屋の背面は戸棚を造り付けにし開口部が全くないのが特徴です。

4番目の写真は斜面を有効に活用するため、部屋を横一列に並べた「椎葉型」の家屋が残る十根川集落です。
写真の出典は、https://www.sankei.com/photo/story/news/160826/sty1608260013-n1.html です。

5番目の写真も一列平面型(「椎葉型」といわれる)の民家からなる建物群の風景です。
写真の出典は、https://www.pmiyazaki.com/siiba/tonegawa/index.htm です。
規模が大きい主屋と隣接する馬屋、火災を考慮して少し離れて建つ倉とで構成されています。
景観的特徴である石垣は集落全域に分布しており、高さ4m、長さ40mを越えるものもあります。

これらの写真に示した椎葉村は日本人の故郷の心象風景にピッタリだと思います。私の故郷の心象風景そのものです。
しかし心象風景とは別の私の故郷、仙台の風景も記憶しています。
それは旧一銭橋から見た青葉城方面の風景です。広瀬川に樹木が茂っている風景やその向こうの青葉山は昔のままの風景です。
そして青葉城跡の高台から見た仙台の風景です。仙台は杜の都と呼ばれていました。大きな街路樹や庭木が昔風の家々を覆っていました。その緑の間から赤レンガの県庁のビルや裁判所のビルが見えるだけでした。

今日は故郷の心象風景にピッタリの宮崎県の椎葉村をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)