都会に生まれ育った人でも故郷というものに憧れを持っています。そうして農村風景をあたかも自分の故郷の心象風景として心の底に大切に持っています。そうでない人もいますが、多くの日本人は故郷の心象風景を持っているのです。私の農村の風景に憧れています。それは美しい日本の原風景です。
今日はそんな故郷の心象風景にピッタリの宮崎県の椎葉村をご紹介いたします。家屋が美しいので国の重要文化財に指定されています。椎葉村は険しい山地で急な斜面に点々と集落が存在しています。
椎葉村は壇ノ浦の戦いで滅亡した平氏の残党が落ち延びた場所なのです。1191年(建久2年)、追討のため那須大八郎宗久が襲って来ますが、平氏に再挙の見込み無しと見て追討を取り止め引き揚げます。
那須大八郎宗久が椎葉に滞在中に侍女の鶴富が娘を生みます。この娘に後に婿を娶らせ那須下野守と名乗らせ、この地方の領主とさせました。
また、椎葉という地名は宗久の陣小屋が椎の葉で葺かれていた事に由来すると言います。
この地方は戦国時代に那須氏が支配しており1559年(永禄2年)那須氏が肥後に出兵しています。
詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/椎葉村 をご覧下さい。
現在の「椎葉村」は住民が3000人ほどが暮らす村です。国の重要文化財の鶴富屋敷などが公開されており、当時の生活が見れる貴重な場所になっています。(http://tabico.jp/neta/tp100000304/ )
それでは「椎葉村」の写真をお送りいたします。
1番目の写真は十根川の重要建造物群のある山地の風景です。写真の出典は、https://www.pmiyazaki.com/siiba/tonegawa/index.htm です。
椎葉村の十根川保存地区は十根川集落、大久保集落と周辺の山林を含んだ山村集落です。この地方特有の平面一列の民家からなる建物群が険しい山に囲まれています。美しい歴史の古い山村です。
2番目の写真は昭和31年国指定重要文化財になった「鶴富屋敷(那須家住宅)」です。家屋前面に縁を横一列に長く配置しているのが特徴です。以前は茅葺(かやぶき)屋根でしたが、昭和38年から銅板葺きに変更しました。
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3番目の写真は鶴富屋敷(那須家住宅)の軒下です。
部屋の間取りは藤原期の寝殿造りになっていて、その特徴は「コザ」(神仏を祭る神聖な場所)、「デイ」(一番広い部屋で冠婚葬祭などの行事にも使用)、「ツボネ」(寝室)、「ウチネ」(茶の間)と呼ばれる四室が横一列に並んでいます。また「ドジ」と呼ばれる土間には雑穀をつく空臼と大小の石造りのかまどがあります。部屋の背面は戸棚を造り付けにし開口部が全くないのが特徴です。
4番目の写真は斜面を有効に活用するため、部屋を横一列に並べた「椎葉型」の家屋が残る十根川集落です。
写真の出典は、https://www.sankei.com/photo/story/news/160826/sty1608260013-n1.html です。
5番目の写真も一列平面型(「椎葉型」といわれる)の民家からなる建物群の風景です。
写真の出典は、https://www.pmiyazaki.com/siiba/tonegawa/index.htm です。
規模が大きい主屋と隣接する馬屋、火災を考慮して少し離れて建つ倉とで構成されています。
景観的特徴である石垣は集落全域に分布しており、高さ4m、長さ40mを越えるものもあります。
これらの写真に示した椎葉村は日本人の故郷の心象風景にピッタリだと思います。私の故郷の心象風景そのものです。
しかし心象風景とは別の私の故郷、仙台の風景も記憶しています。
それは旧一銭橋から見た青葉城方面の風景です。広瀬川に樹木が茂っている風景やその向こうの青葉山は昔のままの風景です。
そして青葉城跡の高台から見た仙台の風景です。仙台は杜の都と呼ばれていました。大きな街路樹や庭木が昔風の家々を覆っていました。その緑の間から赤レンガの県庁のビルや裁判所のビルが見えるだけでした。
今日は故郷の心象風景にピッタリの宮崎県の椎葉村をご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)