誰でも自分が生まれた頃の故郷の風景が懐かしいと思います。幼いながら心に焼き付いている光景も沢山あるのが普通です。
幸い最近はインターネットが発達して昔の日本各地の風景が数多く記録されています。ですから根気よく検索して行くと自分が幼少だった昔の風景が見つかるのです。
私は昭和11年、1936年に仙台で生まれました。その仙台を例にして昔の故郷の風景を幾つか見つけましたのご紹介したいと存じます。
仙台には昭和11年から昭和35年にアメリカへ留学するまで24年間住んでいました。
私の追憶にある仙台の風景写真をいろいろ探して、皆様へご紹介したいと思います。

1番目の写真は戦前の仙台駅で、ここから父の実家のあった兵庫へ何回も里帰りしました。人力車に乗って駅まで行ったのです。
昭和30年ころの市電です。市内のあちこちへ行くときよく乗ったものです。

2番目の写真は昭和30年ころの市電です。市内のあちこちへ行くときよく乗ったものです。

3番目の写真は真は戦災で焼ける前の伊達正宗の霊廟の瑞鳳殿です。

4番目の写真は戦災で焼けてしまった青葉城の大手門と隅櫓です。

5番目の写真は国分町と大町通りの交差点にあった高札場跡の芭蕉の辻です。

6番目の写真は繁華街の国分町の風景です。軍人が歩いていますが、仙台には第二師団という大きな師団がおかれていて町には何時も軍人が歩いていました。第二師団長の多門大将の名前をつけた「多門通り」という通りもあったものです。

7番目の写真は繁華街の東一番丁通りと大町通りの交差点です。大町通りの東方向に見た時の写真です。右側にある大きなビルは藤崎百貨店です。仙台の地元の百貨店ですが、この他に三越の仙台店が東一番丁通りの北の端にありました。
藤崎も三越も戦災で内部が少し焼けましたが、戦後すぐに復興して仙台市民を明るくしてくれました。
茫々70年、時代の変化に隔世の感を深くします。
昔の日本の風景を見ると現在の豊かさに吃驚します。そしてこの豊かな日本に生きていることに感謝します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りもうしあげます。後藤和弘(藤山杜人)