後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

イエスが活躍したガリラヤ湖周辺とはどういう所か?

2016年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム
キリスト教を一言で説明します。
ユダヤ教徒だったイエスが戒律さえ守っていればよいと信じる律法主義を変え、新しい宗教運動をしました。本当に神を大切に思い、心の底から神を愛することが律法を守るよりも重要だと主張したのです。隣人を愛し、敵すら、愛せと言ったのです。神様も人間を深く愛していると言ったのです。宗教で一番大切なことは他を愛することだと言ったのです。
その主張は律法を大切にしている一派に反対され、終いにイエスは逮捕、処刑されてしまいます。32歳の頃のことでした。
イエス自身はユダヤ教徒としてユダヤ教の改革をしようとしたのです。
ところが彼の教えが全ての人間に普遍的に適用出来る内容でだったので、後にキリスト教と呼ばれる世界宗教に育って行ったのです。

今日はイエスが活躍した中東のガリラヤ湖周辺をご紹介したいと思います。
まずガリラヤ湖の場所を示す地図をご覧ください。
ガリラヤ湖は現在のイスラエルの北方にある大きな湖で、そこから流れ出るヨルダン川は南に流れ死海に注いでいます。

1番目の写真はイスラエルの地図です。出典は、http://www.columban.jp/files/B46.gif です。

福音書によると、イエスの布教活動はほとんどガリラヤ湖周辺で行われました。
当時、湖の周辺には多数の都市が存在し、湖の上を多くの船が行き来していたそうです。
『マルコによる福音書』(1:14-20)と『マタイによる福音書』(4:18-22)にはイエスが漁師だった使徒たち(ペトロと兄弟アンデレ、ヨハネとヤコブの兄弟)にどのように声をかけたかが描かれています。
有名なイエスの山上の垂訓はガリラヤ湖を見下ろす丘の上で行われ、湖の上を歩く、嵐を鎮めるなどのイエスの行ったとされる奇跡もガリラヤ湖畔で行われたものが多かったと推測されているのです。

湖は南北に21キロメートル、東西に13キロメートルの大きさであり、最大深度は43mです。
驚くべきことに、湖は海よりス213mも低いのです。
湖としては死海につぐ海抜の低さです。
詳しくは「ガリラヤ湖」 http://y-tohara.com/el-jyunrei-2.html をご覧下さい。
 
さてこのガリラヤ湖周辺を旅行した戸原さんが詳しい報告をしています。
そこで以下にその抜粋をご紹介いたします。
詳しくは、http://y-tohara.com/ をご覧下さい。

(1)カナの奇跡教会--カナ
 カナは、ナザレの北東約10kmに位置する。
2番目の写真はカナの奇跡教会です。

 ヨハネ伝によれば、
  『ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。またイエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
 葡萄酒が足りなくなったので、母がイエスに「葡萄酒がなくなったと」といった。イエスは、「婦人よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません」と答えだ。・・・
 しかし、そこにユダヤ人が清めに用いる石の水甕が6っ置いてあったので、イエスは召使いを呼んで「水甕に水を入れなさい」といわれたので、召使いたちは水甕を水で満たした。
 イエスは、「それを汲んで世話役の処へ持っていきなさい」といわれたので、彼らは水甕から汲んだ水を運んでいった。
 世話役はそれを味見して、「これは良い葡萄酒だ」といった』
とある。

 イエスがおこなった最初の奇跡といわれるもので、それを記念して建てられたのがこの教会という。
 ただ、この奇跡譚はヨハネ伝のみに記されているもので、ヨハネが、どういう意味でこれを記したのかは不明。

 聖堂正面の両側に2本の塔が立っており、花婿と花嫁を象徴するという。
 教会の外観・内陣ともに簡素な造りで、これといったものはないが、聖堂地下に婚礼がおこなわれた部屋という洞窟があり、水甕のレプリカが置いてあった。

(2)パンと魚の奇跡教会--タブハ
3番目の写真はパンと魚の奇跡教会です。
ガリラヤ湖北端の湖畔に位置する町タブハに建つ教会です。

マタイ伝に
  『イエスは大勢の群衆をみて深く憐れみ、その中の病人を癒やされた。
 夕暮れになったので、弟子たちがイエスに「ここでは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行けるでしょう」といった。
 イエスは、「行かせることはない。貴方がたが食べるものを与えなさい」といったが、弟子たちは「ここにはパン5切れと魚2匹しかありません」と答えだ。
 イエスは、その5切れのパンと2匹の魚をとり、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡し、弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、12の籠いっぱいになった」
という奇跡をおこなった場所とされる。

(3)山上の垂訓教会--タブハ
 『心の貧しい人々は幸いである・・・』にはじまる“山上の垂訓”は、イエスの教えを簡潔にあらわした警句として知られているが、マタイ伝は、これらを説いた場所は、ガリラヤ湖畔・タブハ近傍の“祝福の山”(H=125m)で、イエスは集まった群衆に対して山上から説いたという。

 それを記念して建てられた教会は、眼下にガリラヤ湖を望む静謐な景勝の地に建っている。
4番目の写真は山上の請訓教会です。


 通常、山上の垂訓は8っの項目というが、
マタイ伝によれば
 『イエスはこの群衆を見て山に登られた。腰を下ろされると弟子たちが近くに寄ってきた。
 そこで、イエスは口を開き教えられた。
  ①心の貧しい人々は幸いである。天国はその人たちのものである。
  ②悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。
  ③柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。
  ④義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる。
  ⑤憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみをうける。
  ⑥心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。
  ⑦平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
  ⑧義のために迫害される人々は幸いである。天国はその人たちのものである。
  ⑨私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。大いに喜びなさい。天国には大きな報いがある』
と、9項目が説かれたという。

尚、5番目、6番目、7番目の写真はインターネット検索でお借りした現在のガリラヤ湖の風景写真です。






今日は日曜日なので、これからカトリック小金井教会のミサに行ってきます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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