後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「あるドイツの友人の旅立を悲しむ」

2024年12月04日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は後期高齢者になると友人たちが一人一人と旅立って行きます。自分と同じ位の年齢の友人が先に逝ってしまうのは淋しいものです。ドイツの友人のグーデナウさんが2019年に亡くなりした。
彼との交友の思い出を書きます。冥福を祈りつつ書きます。
彼と最初に会ったのは1970年にドイツ西部のアーヘン工科大学を訪ねた折でした。アーヘン工科大学には鉄冶金の研究で有名なシェンク教授がいたので憧れていたのです。しかしシェンク教授は引退してしまって会えませんでした。その代わり私を暖かく歓迎してくれたのがグーデナウさんだったのです。彼は私と同じくらいの年齢でしたので自然と友情が生れたのです。

1974年に再びアーヘンを訪問したときは彼は自分のスポツカー、ポルにシェに私を乗せあちこちに連れて行ってくれたのです。
まずアーヘン市内の古代ローマの遺跡へ案内してくれました。アーヘンに近いベルギーへも観光に連れて行きました。
そして彼の実家に泊まり掛けで招待してくれたのです。
両親はもういませんでしたが工場経営者だった父の思い出を聞きました。

そんな縁で私の大学の研究室の雀部実さんをアーヘン工科大学へ招聘してくれたのです。
その後、鉄鋼会社の日本鋼管がグーデナウさんを顧問として日本に招いたのです。
グーデナウさんの日本滞在中は私の研究室によく出入りして、若い大学院生たちと一緒にビールを飲んだのです。
特に博士課程の板谷宏さんとはとても親しく交わっていました。

ある時はグーデナウさんと研究室の若い人たちが甲斐駒岳の麓の山林の中の私の小屋にも来てくれました。
麓の酒屋さんに頼んで小さい木の樽に詰めた生ビールを私の小屋まで運び上げて貰ったのです。
それは星の美しい夏の夜でした。あの時の木の樽の生ビールの美味しかったことが忘れられません。
私の家にも何度か遊びに来ました。大柄な体格で陽気な性格でしたので日本人の友人も沢山出来たようです。

グーデナウさんは日本語が出来ませんでしたが日本人に分かり易い英語でゆっくり話してくれたのです。
その後、私は何度かドイツに行ったときはアーヘンのグーデナウさんを訪問しました。その頃はかつてのシェンク教授の後継者の教授になっていました。
もう随分前に私も大学を引退し、久しくグーデナウさんと会っていませんでしたが彼の友情を終生忘れません。

今日の挿し絵代わりの写真は彼の実家の庭で咲いていたドイツの夏の花々の写真です。写真の出典は、https://jp.123rf.com/photo_82873405_ドイツの夏の中でバラの芳香花.html?fbclid=IwAR22SMycwFa8dViVnJnI73y2tcPQiftH5q7cbmmW0dNPmfHmt7KKUgby35Q です。

さて高齢者の皆様にも先立たれる友人達の思い出が沢山あると存じます。こうしてその思い出を書くのも供養の一つの方法と思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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