後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「現在の生活に深い影響を与えている国分寺と律令国家」

2024年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム
私は国分寺跡が何故か好きなのです。旅すれば各地の国分寺跡に行ってはボーと立ち尽くしています。現在住んでいる所の隣には東京都の国分寺市があります。
1番目の写真は自分が撮った武蔵国分寺の本堂跡です。石柱に史跡武蔵国分寺跡と書いてあります。
国分寺は741年(天平13年)に聖武天皇が仏教布教のためそれぞれの律令国家に建てたお寺です。国分僧寺と国分尼寺が分かれてあります。武蔵国分尼寺は国分寺の西隣にありました。
その全国の国分寺はその後、各地の地方文化の発展をうながし日本の社会に深い影響を与えてきました。
今日は国分寺と律令国家について振り返ってみたいと思います。
律令国家の制定は大化の改新(645年)に始まり、その確定は大宝律令(701年)で完成したといいます。この律令国家は最近では、「令制国」と書くのが普通のようです。
この令制国のそれぞれの地方の名前は明治維新までの1166年間も日本人が使って来た名前なのです。そして現在も使われることが多いのです。
この長い間、日本人が馴れ親しんで来た律令国家、すなはち「令制国」の全国地図を見て楽しみたいと思います。
2番目の写真は全国の令制国(律令国家)の地図です。出典は、https://www.start-point.net/syakai/ryouseikoku_list/ です。
この地図こそ奈良時代から明治初期まで、1166年間も日本の地理的区分の基本的な地図だったのです。
現在の日本地図は明治維新の廃藩置県のよる新しい1都1道、2府、43県に分かれた地図になっています。
しかし江戸時代以前の歴史を少しでも考える場合には律令国の名前と場所を考える必要があるのです。それだけではありません。現在の日本の地方文化を語るときにも生きた言葉としてよく使われているのです。
皆様は阿波踊りや讃岐ウドンという言葉をご存知でしょう。美濃紙や越後米、丹波栗なども。出羽三山という山々や飛騨山脈もあります。伊予ミカンや伊賀忍者という名前もあります。武蔵野や相模原などの地名もあります。
古来の井戸掘り方法に上総(かずさ)掘りというものもあります。
このように1100年以上も続いた律令国家の名前とそれぞれの地方の特徴は現在の日本文化のもとになっているのです。
さて私が現在住んでいる所は武蔵国です。奈良や京都から東山道(中山道)を東に歩き、現在の埼玉県で脇道の武蔵路に曲がり、南下した所です。
そこの東京都府中市には武蔵国の国府と国の役所の国衙があったのです。
以前にこの府中市の国衙跡の再現展示物の写真を撮ってきたので、その写真でご説明いたします。
3番目の写真は府中市の国衙の建物の柱と展示館の写真です。広さ、200mX300mの広場に太い柱を持った立派な役所の建物(国衙)があったのです。展示館には発掘品の一部が公開されています。場所は現在の大國魂神社の境内に隣接した東側です。
4番目の写真は国衙に隣接した大國魂神社の中門と拝殿の屋根の写真です。
全く余談ながら、ここで孫の七五三のお祝いをしました。
大國魂神社の写真を示したのはこの神社が古墳時代から南関東地方の重要な神社だったからです。府中市には大熊神社古墳もあり古代から重要な集落だったのです。その理由で大和朝廷がここに国府を置き、国衙を建てたのです。そして北に少し距離を置き国分寺や国分尼寺も作ったのです。
そしてこの府中市は江戸時代にも甲州街道の重要な宿場として繁栄していた所だったのです。
ところで令制国(律令国家)は五畿七道の行政区にもとずいています。
大化の改新後に始まり大宝律令によって完成されました。律令国家は全国を五畿七道と呼ばれる地域に区分して出来ていました。
5番目の写真は律令国家の五畿七道と呼ばれる地域を示した写真です。
五畿は畿内ともいい、山城、大和、河内、和泉、摂津の諸国で、七道は東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、西海の諸道で、これらは地域の呼称であると同時に都からのびる道路の名称でも使われています。
少し長くなったので今日はここで止めます。詳しくは参考資料をご覧下さい。

今日は令制国とそこに建てられた国分寺について書きました。私は国分寺跡が何故か好きなので書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料===========================
(1)令制国一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E5%88%B6%E5%9B%BD%E4%B8%80%E8%A6%A7

(2)明治初期までの令制国の配置と名前
令制国一覧は、7世紀後半からの日本国内の地方行政区分、国(令制国)の一覧である。
令制国は、奈良時代、平安時代から江戸時代の長期にわたってほとんど変更がなかった。
以下の一覧では、五畿七道に従って配列し、廃止・消滅したものや一時的に存在した諸国はその中に字下げして付ける。
この一覧が、すべての国を列挙するためのもので、多くの改廃を記していないことに注意されたい。それらの詳細は、各国の項目に記す。
日本全体を総称する際には、「日本六十余州」などと表現することもあった。
1)五畿
畿内

1、山城国 やましろ(山州、城州、雍州)

2、大和国 やまと(和州)

3、河内国 かわち/かはち(河州)

4、和泉国 いずみ/いづみ(泉州)

5、摂津国 せっつ(摂州)


2)七道


1、東海道
伊賀国 いが(伊州)
伊勢国 いせ(勢州)
志摩国 しま(志州) - 8世紀初めまでに伊勢国より分立。
尾張国 おわり/をはり(尾州)
三河国 みかわ/みかは(三州、参州)
遠江国 とおとうみ/とほたふみ(遠州)
駿河国 するが(駿州)
伊豆国 いず/いづ(豆州) - 680年に駿河国より分立。
甲斐国 かい/かひ(甲州)
相模国 さがみ(相州)
武蔵国 むさし(武州) - 771年、東山道から東海道に所属変更。
安房国 あわ/あは(房州、安州) - 718年に上総国より分立。741年に上総国に併合されるも757年再分立。
上総国 かずさ/かづさ(総州)
下総国 しもうさ/しもふさ(総州)
常陸国 ひたち(常州)


2、東山道
近江国 おうみ/あふみ(江州・近州)
美濃国 みの(濃州)
飛騨国 ひだ(飛州)
信濃国 しなの(信州)
諏方国 すわ/すは - 721年に信濃国より分立。731年に再統合。
上野国 こうずけ/かうづけ(上州)
下野国 しもつけ(野州)
陸奥国 みちのおく/みちのく/むつ(奥州/陸州) - 陸奥国は7世紀に常陸国より分立。
石背国 いわせ/いはせ - 718年に陸奥国より分立。数年後に再統合。
石城国 いわき/いはき - 718年に陸奥国より分立。数年後に再統合。
出羽国 でわ/では(羽州;山形県、秋田県の一部) - 712年(和銅5年)に越後国出羽郡を割いて出羽国を建てる。
陸奥国 (1869-) りくおう/むつ - 陸前・陸中等を分割後の部分。
陸前国 りくぜん - 1869年に陸奥国より分立。
陸中国 りくちゅう/りくちゆう - 1869年に陸奥国より分立。
岩代国 いわしろ/いはしろ(岩州) - 1869年に陸奥国より分立。
磐城国 いわき/いはき(磐州) - 1869年に陸奥国より分立。
羽前国 うぜん - 1869年に出羽国より分立、現山形県に相当。
羽後国 うご - 1869年に出羽国より分立、現秋田県に相当。
3、北陸道
若狭国 わかさ(若州)
越前国 えちぜん/ゑちぜん(越州)
加賀国 かが(加州) - 823年に越前国より分立。
能登国 のと(能州) - 718年に越前国より分立。741年に越中国に併合されるも、757年に再分立。
越中国 えっちゅう/ゑつちゆう(越州)
越後国 えちご/ゑちご(越州)
佐渡国 さど(佐州、渡州) - 743年に越後国に併合されるも、752年に再分立。
4、山陰道
丹波国 たんば(丹州)
丹後国 たんご(丹州) - 713年に丹波国より分立。
但馬国 たじま/たぢま(但州)
因幡国 いなば(因州)
伯耆国 ほうき/はうき(伯州)
出雲国 いずも/いづも(雲州)
石見国 いわみ/いはみ(石州)
隠岐国 おき(隠州)
5、山陽道
播磨国 はりま(播州)
美作国 みまさか(作州) - 713年に備前国より分立。
備前国 びぜん(備州)
備中国 びっちゅう/びつちゆう(備州)
備後国 びんご(備州)
安芸国 あき(芸州)
周防国 すおう/すはう(防州、周州)
長門国 ながと(長州)
6、南海道
紀伊国 きい(紀州)
淡路国 あわじ/あはぢ(淡州)
阿波国 あわ/あは(阿州)
讃岐国 さぬき(讃州)
伊予国 いよ(予州)
土佐国 とさ(土州)

7、西海道
筑前国 ちくぜん(筑州)
筑後国 ちくご(筑州)
豊前国 ぶぜん(豊州)
豊後国 ぶんご(豊州)
肥前国 ひぜん(肥州)
値嘉島 ちか - 876年に肥前国より分立。数年後に再編入。 現在の長崎県平戸島及び江島、平島を除く五島列島及び附属島嶼。
肥後国 ひご(肥州)
日向国 ひゅうが/ひうが(日州、向州)
大隅国 おおすみ/おほすみ(隅州) - 713年に日向国より分立。
多禰国 たね - 702年に日向国より分立。824年に大隅国に併合。
薩摩国 さつま(薩州) - 702年に日向国より分立。
壱岐国 いき(壱州) - 古代は「壱岐嶋」[1][2]。
対馬国 つしま(対州) - 古代は「対馬嶋」または「対馬国」

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