ウクライナの戦乱はロシアの残忍な武力行使で始まりました。ロシアの一方的な武力侵攻です。ウクライナは勇敢にも戦っていますが戦乱の終わりは見えません。長期間続く様相です。
私はこの戦乱で毎日心を痛めています。そして私の少年の頃あった太平洋戦争のことを思い出しています。
この戦争は日本の歴史において最大の悲劇でした。日本の軍隊をアメリカ軍が完膚無きまでに打ち砕いたのです。その上、日本国内の200以上の市町村を焼野原にしてしまったのです。B29の焼夷弾で焼き尽くされたのです。高台に立った私の目の前で仙台市が紅蓮の炎を上げて燃えていました。
太平洋戦争では多数のアジア人も死にました。アジアの大きな悲劇でもあったのです。
しかし太平洋戦争の結果、数多くのアジアの植民地が独立したのです。欧米の圧政からアジアを解放したのです。
今日はこの太平洋戦争のことを簡単に書いてみます。
1941年12月8日の真珠湾攻撃で第二次世界大戦に参戦した日本は、快進撃を続け、瞬く間に東南アジアを占領してしまいました。
その地域はイギリス、フランス、オランダ、アメリカの植民地だったところです。
ですからその地域の日本軍の占領は植民地の解放とも強弁できます。
欧米人を追い出し、大東亜共栄圏という経済圏を作るというのが日本が主張した大義名分でした。
建て前はそうでも、多くの日本人の本音は自分たちの植民地にしようという意図だったのです。それが証拠には日本は既に台湾や朝鮮を領有しており、満州という傀儡国家も作っていたのです。
もし日本が本気で植民地の解放を目的にしていたなら、占領と同時にその地域の独立を宣言し、新しい国家へ自治権を与え、国家の建設に協力すべきでした。
随分と後になってから東條総理は各地の首脳を東京に集め、大東亜共栄圏を作るためのアジア会議を開催しましたが、各国の独立を直ちに認めようとはしなかったのです。
しかし1945年の夏に日本が敗北するとビルマ(ミャンマー)、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、インドネシア、シンガポール、フィリッピンなどが一斉に独立運動を開始したのです。
ベトナムでグエン・ザップ将軍の率いるベトナム軍が、曾ての宗主国であるフランスと激しい戦争をして勝つのです。
そしてスカルノ将軍の率いるインドネシア軍も、宗主国のオランダに勝利して独立を勝ち取るのです。
1番目の写真の図面は日本が占領する前の東南アジアの植民地を地図で示したものです。
(この図の出典は、http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/Shokuminchi.htm です。)
そしてインドネシアの独立戦争に現地に残留した日本兵が多数参加したのです。
従って、独立後のインドネシアは非常に親日的な国になりました。
ベトナムでも多数の日本兵がホーチーミンの部下としてフランス軍と戦ったのです。
太平洋戦争の初めの期間は日本軍がイギリス、フランス、オランダ、アメリカの軍隊を蹴散らし、イギリスの戦艦ウエールズも撃沈してしまったのです。
白人の国家の軍隊を日本人がいとも簡単に打ち破ったのを見て、ビルマ(ミャンマー)、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、インドネシア、シンガポールの人々は勇気づけられたのは自然なことです。「やれば自分たちにも出来る」と独立戦争に立ち上がったのです。
ですから太平洋戦争で日本が快進撃を見せて、その後、間もなく敗れた事実が東南アジアの植民地の独立のキッカケになったことは間違いの無い事実です。
現在の日本の学校で教える歴史の教科書には明記してありませんが、敗戦後各地に起きた独立戦争に日本軍の志願兵が多数参加したことは忘れられない事実です。
従って現在でも対日感情の良い国々はビルマ(ミャンマー)、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、インドネシア、シンガポールです。
西のインド、バングラディッシュ、パキスタンも対日感情の非常に良い国々です。
しかしフィリッピンだけは例外です。占領した日本軍がアメリカへの恨みから、かなり残酷な占領政策を敷いたのです。例えば戦後、アメリカが宣伝したバターン死の行進がその例です。フィリピンの軍隊はアメリカ軍と言いましたが、大多数のフィリピン人が参加していたのです。
朝鮮半島と中国本土でも日本軍の政策は過酷なものでした。現在、対日感情の悪いのは仕方がありません。それと対称的に台湾は対日感情が良いのは日本の政策が良かったからのようです。
アジアの植民地の独立はやがてアフリカにも波及します。そして現在はこの地球上に植民地がほとんど無くなってしまったのです。
このような事は人類の歴史に空前のことです。そのキッカケを作ったのが太平洋戦争でした。日本の快進撃と敗北でした。太平洋戦争がなかったら世界中に数多くの欧米の植民地がまだそのまま存在していたと思います。
日本が植民地を手に入れようとして太平洋戦争を起こし、快進撃をし、その後敗北したことが皮肉にも世界中から植民地を無くしたのです。歴史の不可思議さに打たれます。
動機は立派でなかったが結果は立派だった場合に、それをどのように評価するかは人それぞれです。しかし激動の昭和時代を客観的に見直すと、日本が世界へ与えた影響の大きさは率直に認めざるを得ません。
この太平洋戦争と現在、ウクライナで起きていて戦争を比較すると明快な違いがあります。
太平洋戦争の敵と味方は明快でした。日本はアメリカ、イギリシ、オーストラリア、中国などと戦ったのです。
ウクライナの戦乱はロシアの一方的な武力侵攻です。しかし太平洋戦争では「アジアの植民地の解放」という大義がありました。ウクライナの戦乱にはロシアの大義はありません。あるのはロシアの怨念と領土欲です。
困ったものです。ですから私はウクライナの戦乱で毎日心を痛めているのです。
今日の挿絵代わりの写真は季節の花、菊の花の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)