オリンピックで沸き返る平昌であるが、当時の厳寒体験が蘇ってくる。
遥か昔、平昌から西、隣り立石里(イプソプリ)」で半年間、その厳寒
の中で仕事をしていた、。
ソウルから東に山岳地帯を抜け朝鮮半島を横断し、慶州まで通じる
「中央線」がある。ソウルのから約150㎞の所に「堤川(ジェチョン」
があり、更に「太白線」に乗り換え13㎞の所が赴任先の「立石里」
である。
「堤川市」は、韓国では最も内陸にある都市で、冬の冷え込みが
厳しい地域である。東西に走る「車嶺(ちゃりょん)山脈を控える
「立石里」はその「堤川市」に属する一寒村で場所ある。
時間の経過から、既にかびの映えたフィルムからその様子を拾ってみる
1日の数本の「太白線」小雪舞う、極寒の地。身震わせながら、
狭い乗降口に殺到し、押し合いながら満員車両に乗り込む乗客達。
数人の アズモニはタオルで姉さん被りで、それぞれ頭に荷物を
載せ、目一杯生活に揉まれているようで、着飾る姿は未だ未だ
縁遠い世界であった。その群れの中、ニンニク臭で一杯、中に入る
のもためらったが、自然と同化した。日本に帰って、しみ込み、臭い
と言われてしまった。
◇極寒の世界
写真はタンクからオーバーフローする水がご覧のように1m近い巨大な
つららに完全に凍結してしまった。
丁度厳冬期にマイナス22℃まで経験し、色々な事件があった。
休止中のコンプレッサーの冷却水を抜かなかったため、冷却水が
凍結し、コンプレッサーを壊してしまった。
その係員が即刻、懲戒解雇で退職を命じられた掲示が守衛所に
貼り出されてあった。労務者がごろごろ人余り時代に、いとも
簡単に切り落とせる、象徴的な出来事でもあった。
容赦ない寒さの中のフィールド作業。 手袋を外し、ネジなど
直接金物に手を触れるとくっついてくる。全く、原始的である
が、寒さの中、ガスバーナで指先を温め、何とか指先の感覚を
確かめながら、 動かし、作業を行う。
部屋に戻って確かめると、指先に痛みが走り、外では全く気付
かなかった火傷をおっていた。
こんな物凄い厳寒の世界に宿舎の窓から、ワインを出し、天然
冷蔵庫と思ったが、瞬く間に凍結してしまった。部屋に戻し、
氷のワインを、音を立てかじったが、余り美味くはなかった。
◇集落での表情
休日、息抜きに集落の賑わいを見せる商店街に出る。
写真中央のリヤカー姿はシャンシャンとはさみを鳴らし、背
負子がリヤカーに載せた飴を売っている。金物が貴重な物資
に拾い集めた金物でも飴を交換してくれる。
金物欠乏時代に高価に取引されたようだ。
あのシャンシャンとした金属音が遠くまで聞こえ、未だに忘
れられない懐かしい音である。
白いチマチョゴリの民族衣装にトンガリ帽子はお坊さんである。
物流の主力は未だ人力のリヤカーが幅をきかせ身の丈以上の
積み荷を運んでいる。廃棄物が、所かまわず棄てられ道路は
凸凹になり、陽気が温かくなると、それが溶けだし異臭が漂い、
溶けた水が溜まり、一面がご覧の通りドロンコ道になる。
剥がれかかった軒先はシートで覆われ、道端に並べられた商品。
これが商店街の姿と当時の 時代を象徴する姿が見えてくる。
殆ど茅葺きの屋根に、泥壁か板壁,石を積み上げただけの壁も
ある貧相な世界。薪で暖を取るせいか、煙にいぶされ、出会
う人々が皆、炭鉱上がりのように煤けた顔に見える。
それが、今や急速な近代的な歩みに、猛烈な勢いで急成長を
遂げている。かってのあの寒村と人々の暮らし向きは大きく
変わったが、南北に関わる問題は、時代を越えても、一向に
変わっていない。
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