このコロナ渦の影響か、ヤンキーズで契約出来ず田中雅弘が
急遽楽天に戻ってくる。
契約は大凡9億と言われ日本プレイヤーで最大である。
既にその評価は既に、国際級の代表する選手の一人なのである。
(2006年当時を振り返る)
◇酷しい地方予選を戦い抜いた早実
あれよあれよと言う間に早実が頂点を登り詰めたが、その足どりは決して順風満帆ではなかった。地方大会の西東京大会での初戦は都立昭和高校と3:2の僅差で辛勝している。
判官贔屓ではないが一都立高が名門校に伍して戦い、苦しめた事実とその相手が全国制覇をなし遂げスポットを浴びる早実であったことは破れたとはいえ、誇るべき事ではなかろうか。
準決勝では日大鶴高と5:4の僅差、決勝では日大三高11回の延長戦で5:4で西東京の代表をもぎ取っての出場であった。
◇甲子園で斉藤投手と田中投手球史に残る投げ合い
甲子園での早実は全国区の群雄割拠の代表校を破り、最後は駒大苫小牧校と延長引き分け再試合の末、その栄冠を勝ち取った。
その戦い振りは球史に残る名勝負に高校野球の純真さと爽やかさに感動を与えてくれた。
そんな背景の中で苫小牧、早実の戦いは力と力とのぶつかり合い、終わってみれば、苦しみに耐えた斉藤投手の涙と田中投手の総て出し終わった笑みが好対照にドラマの最後を飾り、スポーツの清新さと若者達のひたむきさから感動さえ生れた。
◇ハンカチ王子
壮烈な戦いの後、勝利を勝ち取った背景もあって、当時は斉藤投手
が、光を浴びて、フアンも斉藤になびいた。
ひたむきさと品性の中で、地方大会から一人で投げぬいたニューヒーロの誕生に一挙主が注目され、汗を拭うしぐさに、ハンカチ王子なんて言葉も生れるなど話題の多い大会であった。
◇現実の世界
劇的な戦いに湧き上がるもあれから、10数年、経過した。
対決した二人がどの道を歩むか、当人を含め、その成長ぶり
に、視線が注がれた。
しかし、結果が総ての世界、これほどの差異が生まれたのは
全く予測が付かない。
田中はプロへの道を歩み、順風満帆、恩師である故野村克也
元監督も「マー君神の子 不思議な子」といわれるぐらいに
神がかり的な力を発揮し、今日の評価に繋がっている。
一方の日本ハム斎藤佑樹投手は肝心の肩の異常もあって、
もがき、苦しみ、ここ数年、目立った活躍も見えなかった。
2,020年は1軍の出場機会もなくなってしまい、契約金も
田中の1割にも満たない1250万円で来季の契約をしている。
かってのハンカチ王子も語られることもなく、彼我の差は
絶大である。
プロに入る前のあの輝いた時期は既に遠い過去の事になって
っしまったかのか、余りにも酷しい世界と思わざるも得ない。
戦力外と無情な通告で野球界から大勢の選手が離れていく
中で未だ関わりを続けられる事は救われる。
◇青春をかけた王貞治記念グラウンド
当時、そんな天下を極めた、早実は此処で鍛えられた。
彼らの汗を染み込んだ練習グランドが"王貞治記念グランド"である。
多摩丘陵を挟んだ隣接の八王子市南大沢にある。
写真の通り、周囲は住宅地から外れた小山内裏公園に隣接する高台の一角で、外部からも隔離された場所だけに背後の鬱蒼とする自然の中、野球に没頭できる環境である。
両翼93m センター120m 黒土と砂の混合土 夜間照明付その名も"王貞治記念グラウンド"とされ、彼らにとっても偉大な大先輩王貞治がなし得なかった、優勝の歴史を刻んだ。
そんな優勝の余韻をじっくり確かめながらも、既に次の練習が始まっている。汗と涙の感動を生んだ甲子園の土もきっと、このグランドの土と混ざり、新たなヒーローの誕生を生むのであろうか、その土にまみれた若者達が輝いていた。
ハンカチ王子も此處で汗を流した。王子に繋がる輩の誕生を
見守りたい。
急遽楽天に戻ってくる。
契約は大凡9億と言われ日本プレイヤーで最大である。
既にその評価は既に、国際級の代表する選手の一人なのである。
(2006年当時を振り返る)
◇酷しい地方予選を戦い抜いた早実
あれよあれよと言う間に早実が頂点を登り詰めたが、その足どりは決して順風満帆ではなかった。地方大会の西東京大会での初戦は都立昭和高校と3:2の僅差で辛勝している。
判官贔屓ではないが一都立高が名門校に伍して戦い、苦しめた事実とその相手が全国制覇をなし遂げスポットを浴びる早実であったことは破れたとはいえ、誇るべき事ではなかろうか。
準決勝では日大鶴高と5:4の僅差、決勝では日大三高11回の延長戦で5:4で西東京の代表をもぎ取っての出場であった。
◇甲子園で斉藤投手と田中投手球史に残る投げ合い
甲子園での早実は全国区の群雄割拠の代表校を破り、最後は駒大苫小牧校と延長引き分け再試合の末、その栄冠を勝ち取った。
その戦い振りは球史に残る名勝負に高校野球の純真さと爽やかさに感動を与えてくれた。
そんな背景の中で苫小牧、早実の戦いは力と力とのぶつかり合い、終わってみれば、苦しみに耐えた斉藤投手の涙と田中投手の総て出し終わった笑みが好対照にドラマの最後を飾り、スポーツの清新さと若者達のひたむきさから感動さえ生れた。
◇ハンカチ王子
壮烈な戦いの後、勝利を勝ち取った背景もあって、当時は斉藤投手
が、光を浴びて、フアンも斉藤になびいた。
ひたむきさと品性の中で、地方大会から一人で投げぬいたニューヒーロの誕生に一挙主が注目され、汗を拭うしぐさに、ハンカチ王子なんて言葉も生れるなど話題の多い大会であった。
◇現実の世界
劇的な戦いに湧き上がるもあれから、10数年、経過した。
対決した二人がどの道を歩むか、当人を含め、その成長ぶり
に、視線が注がれた。
しかし、結果が総ての世界、これほどの差異が生まれたのは
全く予測が付かない。
田中はプロへの道を歩み、順風満帆、恩師である故野村克也
元監督も「マー君神の子 不思議な子」といわれるぐらいに
神がかり的な力を発揮し、今日の評価に繋がっている。
一方の日本ハム斎藤佑樹投手は肝心の肩の異常もあって、
もがき、苦しみ、ここ数年、目立った活躍も見えなかった。
2,020年は1軍の出場機会もなくなってしまい、契約金も
田中の1割にも満たない1250万円で来季の契約をしている。
かってのハンカチ王子も語られることもなく、彼我の差は
絶大である。
プロに入る前のあの輝いた時期は既に遠い過去の事になって
っしまったかのか、余りにも酷しい世界と思わざるも得ない。
戦力外と無情な通告で野球界から大勢の選手が離れていく
中で未だ関わりを続けられる事は救われる。
◇青春をかけた王貞治記念グラウンド
当時、そんな天下を極めた、早実は此処で鍛えられた。
彼らの汗を染み込んだ練習グランドが"王貞治記念グランド"である。
多摩丘陵を挟んだ隣接の八王子市南大沢にある。
写真の通り、周囲は住宅地から外れた小山内裏公園に隣接する高台の一角で、外部からも隔離された場所だけに背後の鬱蒼とする自然の中、野球に没頭できる環境である。
両翼93m センター120m 黒土と砂の混合土 夜間照明付その名も"王貞治記念グラウンド"とされ、彼らにとっても偉大な大先輩王貞治がなし得なかった、優勝の歴史を刻んだ。
そんな優勝の余韻をじっくり確かめながらも、既に次の練習が始まっている。汗と涙の感動を生んだ甲子園の土もきっと、このグランドの土と混ざり、新たなヒーローの誕生を生むのであろうか、その土にまみれた若者達が輝いていた。
ハンカチ王子も此處で汗を流した。王子に繋がる輩の誕生を
見守りたい。
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