梅雨明け宣言で熱気がまとわりつく熱帯夜で寝苦しい夜であった
未だ駆け出しの夏に、クーラーを使えず、扇風機で熱気をまき散らすだけの寝苦しく、漸く眠りに付いた矢先に電話がかかった。
こんな深夜未明に誰と駆けめぐったが、不吉な予想が当たってしまった。
前後の状況から大凡想像が付いてたが、紛れもなく、病院からの危急を告げる緊急通報であった。
未だ脳味噌が覚醒ままならず、夢の中での、手さぐりの車発進であった。
普段とは全く別世界、真っ暗闇の世界に時折輝く光は不吉な送り火でもあった。
病院にたどり着くも、時間が時間だけに病院そのものも眠ったままの世界であった。、
漸く病棟に案内されるが、相部屋のため、僅かな照明を便りに、カーテンで仕切られたベットにたどり着く。
ベット後部に据えられた心臓の動きを監視するモニターの画像は、脈動の波形は無くなり水平線になっており、既に事絶たれていたことが、説明受けるまでもなく明らかであった。
再び上下に振れることなく、水平の線となったダイナミックな画像の変化が生命の終幕を告げる象徴的画像であった。
到着後、医師が駆けつけ、保護者立ち会いのもと、形式的な診察が始まる。
瞼を開け、ペンライトの光をあて瞳孔の反応がないこと、胸部に聴診器を当て、心臓停止を確認し、この時の時刻を持って死亡を確認され、告げられる。
その間、淡々と事務的に処理され、あっけない幕引きであった。
養護施設で倒れ、以来問いかけに全く反応もなく、長い長い夢の世界から抜け出すことも出来なかった。
こうした仮死のまま、脳梗塞は現代医学を持っても回復は叶わなかった。
むしろ当院へ搬送され数カ月の延命は義母、当人の生命力と懇切に支えられた病院によるものと思われる。
駆けつけた時は体に巻きつく管が生命線であったが、既に血流が止まり、体は冷たくなっていた。
ベットから搬送ベットに移され、そのまま病室から搬送され、エレバータから1階の廊下を通じて、専用の搬送車に乗せられ、安置所へ向かった。
その間、専門業者さん一人で、仏様の着替え、搬出、車での搬送まで、一人でやってのけるプロの手腕の凄さに驚く。
◇仏様になった義母は
大正から始まり、戦中戦後の苦難の昭和、復興に沸き立ち活力あふれる平成、そして幕開け間もない令和とそんな4世代を乗り越えての生涯であった。
100歳越えに、市から長寿命で報恩を受けた一人であった。
ご主人の仕事柄、典型的な転勤属で仙台、横浜、久留米、最後は東京の多摩地域と国内を又に駆け回ったあげく、ご主人は早世であった。
そんな環境の中、ご主人亡き後、長い間、女手一人で子供たちを立派に育て、上げた。
日本古来の伝統的な、茶道を嗜み、師として看板を掲げ、多くのお弟子さんが、義母の元に集まり、茶道を通じて礼儀作法を教えた。評判が口コミで広がり、通うお弟子さんが義母邸には賑わいを見せていた。
◇南多摩斎場
数日後、舞台は斎場へ
この時期、市内の斎場は休止中で、八王子・町田・多摩・稲城・日野の5市で運営・管理する共同の南多摩葬場に漸く決まった。設立されて以来増設に継ぐ増設で現在は火葬炉12基・式場3式場・待合室13室・霊安室6体 収容される巨大な施設になっている。
人間の営みが行われて、やがて迎える終末処理であるが、人口増加に併せて、施設も必須であるが、環境 問題など中々新設出来ないのであろうか・・・。
周りには何もない、辺鄙な場所であるが、 勢い、こんな施設もフル稼働で、5市から続々と御霊車がやってくる。
予約制であるが、次々に埋まってしまい、大事な昇華の儀式も此処の施設の空き具合なのである
南多摩斎場は八王子と町田が隣接し、住宅地など人里から離れた広漠たる一角にある。
広大な敷地に樹木が植えられ手入れの行き届き、仏様の別れを飾るに相応しい場所である。
日中35~6℃の記録的な暑さの中、冷房の効いた休憩室から外部に出ると熱気がまとわりつき思わず目眩する、尋常では無かった世界であった。
日本庭園風に整備され静かで落ち着いた雰囲気で、とても焼き場とは思えない、イメージを大切に仏様との惜別に配慮されている。
いよいよ火葬の声に、待合室から、屋根付きの回廊で結ばれる火葬場へ、最後の別れに向かう。
当日は浄土真のご住職をお招きし、故人と遺族との最後の別れで、火葬炉の前に棺を置き、ご住職の読経を行う「納めの式」が麗々しく行われる。
納めの式が終わると、棺に花や思い入れの品、そして子供たちは手紙を入れ、棺は火葬炉に入れて火葬が始まる。
厳粛な中、お経も終わり、ご住職から大事な、ご高説が語られる最中、階上の方から流れる賛美歌でかき消されてしまった。突如の変事に殆ど聞き取れなく、残念であった。
フル稼働の火葬ラッシュで、仏教もキリスト教も、関係なし、宗派を超えての混雑ぶりが、こんな所まで及ぶとは予想つかなかった。
火葬が終わると、テーブルに乗せられ、既に変わり果てた骨と対面し、仏様が「三途の川を渡る」ため、一つの骨を二人でつかみ、橋渡しで壷に納める「骨上げ」が行われる。
川のほとりに潜む鬼を前に無事に冥土に行かれますようにと願いを込めて、見送る。やれやれ、漸く、義母の見送りを滞りなく無事に終えた。暑い真夏の一日であった。
ほっと一息それぞれの車で南多摩斎場を後にする。
永久の旅立ちに、見送る
こちらでも紹介してます。ご覧ください
未だ駆け出しの夏に、クーラーを使えず、扇風機で熱気をまき散らすだけの寝苦しく、漸く眠りに付いた矢先に電話がかかった。
こんな深夜未明に誰と駆けめぐったが、不吉な予想が当たってしまった。
前後の状況から大凡想像が付いてたが、紛れもなく、病院からの危急を告げる緊急通報であった。
未だ脳味噌が覚醒ままならず、夢の中での、手さぐりの車発進であった。
普段とは全く別世界、真っ暗闇の世界に時折輝く光は不吉な送り火でもあった。
病院にたどり着くも、時間が時間だけに病院そのものも眠ったままの世界であった。、
漸く病棟に案内されるが、相部屋のため、僅かな照明を便りに、カーテンで仕切られたベットにたどり着く。
ベット後部に据えられた心臓の動きを監視するモニターの画像は、脈動の波形は無くなり水平線になっており、既に事絶たれていたことが、説明受けるまでもなく明らかであった。
再び上下に振れることなく、水平の線となったダイナミックな画像の変化が生命の終幕を告げる象徴的画像であった。
到着後、医師が駆けつけ、保護者立ち会いのもと、形式的な診察が始まる。
瞼を開け、ペンライトの光をあて瞳孔の反応がないこと、胸部に聴診器を当て、心臓停止を確認し、この時の時刻を持って死亡を確認され、告げられる。
その間、淡々と事務的に処理され、あっけない幕引きであった。
養護施設で倒れ、以来問いかけに全く反応もなく、長い長い夢の世界から抜け出すことも出来なかった。
こうした仮死のまま、脳梗塞は現代医学を持っても回復は叶わなかった。
むしろ当院へ搬送され数カ月の延命は義母、当人の生命力と懇切に支えられた病院によるものと思われる。
駆けつけた時は体に巻きつく管が生命線であったが、既に血流が止まり、体は冷たくなっていた。
ベットから搬送ベットに移され、そのまま病室から搬送され、エレバータから1階の廊下を通じて、専用の搬送車に乗せられ、安置所へ向かった。
その間、専門業者さん一人で、仏様の着替え、搬出、車での搬送まで、一人でやってのけるプロの手腕の凄さに驚く。
◇仏様になった義母は
大正から始まり、戦中戦後の苦難の昭和、復興に沸き立ち活力あふれる平成、そして幕開け間もない令和とそんな4世代を乗り越えての生涯であった。
100歳越えに、市から長寿命で報恩を受けた一人であった。
ご主人の仕事柄、典型的な転勤属で仙台、横浜、久留米、最後は東京の多摩地域と国内を又に駆け回ったあげく、ご主人は早世であった。
そんな環境の中、ご主人亡き後、長い間、女手一人で子供たちを立派に育て、上げた。
日本古来の伝統的な、茶道を嗜み、師として看板を掲げ、多くのお弟子さんが、義母の元に集まり、茶道を通じて礼儀作法を教えた。評判が口コミで広がり、通うお弟子さんが義母邸には賑わいを見せていた。
◇南多摩斎場
数日後、舞台は斎場へ
この時期、市内の斎場は休止中で、八王子・町田・多摩・稲城・日野の5市で運営・管理する共同の南多摩葬場に漸く決まった。設立されて以来増設に継ぐ増設で現在は火葬炉12基・式場3式場・待合室13室・霊安室6体 収容される巨大な施設になっている。
人間の営みが行われて、やがて迎える終末処理であるが、人口増加に併せて、施設も必須であるが、環境 問題など中々新設出来ないのであろうか・・・。
周りには何もない、辺鄙な場所であるが、 勢い、こんな施設もフル稼働で、5市から続々と御霊車がやってくる。
予約制であるが、次々に埋まってしまい、大事な昇華の儀式も此処の施設の空き具合なのである
南多摩斎場は八王子と町田が隣接し、住宅地など人里から離れた広漠たる一角にある。
広大な敷地に樹木が植えられ手入れの行き届き、仏様の別れを飾るに相応しい場所である。
日中35~6℃の記録的な暑さの中、冷房の効いた休憩室から外部に出ると熱気がまとわりつき思わず目眩する、尋常では無かった世界であった。
日本庭園風に整備され静かで落ち着いた雰囲気で、とても焼き場とは思えない、イメージを大切に仏様との惜別に配慮されている。
いよいよ火葬の声に、待合室から、屋根付きの回廊で結ばれる火葬場へ、最後の別れに向かう。
当日は浄土真のご住職をお招きし、故人と遺族との最後の別れで、火葬炉の前に棺を置き、ご住職の読経を行う「納めの式」が麗々しく行われる。
納めの式が終わると、棺に花や思い入れの品、そして子供たちは手紙を入れ、棺は火葬炉に入れて火葬が始まる。
厳粛な中、お経も終わり、ご住職から大事な、ご高説が語られる最中、階上の方から流れる賛美歌でかき消されてしまった。突如の変事に殆ど聞き取れなく、残念であった。
フル稼働の火葬ラッシュで、仏教もキリスト教も、関係なし、宗派を超えての混雑ぶりが、こんな所まで及ぶとは予想つかなかった。
火葬が終わると、テーブルに乗せられ、既に変わり果てた骨と対面し、仏様が「三途の川を渡る」ため、一つの骨を二人でつかみ、橋渡しで壷に納める「骨上げ」が行われる。
川のほとりに潜む鬼を前に無事に冥土に行かれますようにと願いを込めて、見送る。やれやれ、漸く、義母の見送りを滞りなく無事に終えた。暑い真夏の一日であった。
ほっと一息それぞれの車で南多摩斎場を後にする。
永久の旅立ちに、見送る
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