鉄道の高速化が進み、東海道、山陽から始まった新幹線網が日本各地にどんどん広まった。
高速化の嵐は車両の駅での停車時間も切り詰め、のんびりすることも許せず、駅売りの姿もすっかり変わってしまった。
列車到着を待って駅弁売りのおじさんが、大量な駅弁を抱え、忙しそうにホームを動き廻る中、列車の窓を開けて、声をかけたり、列車の停車時間を気にしながら、列車から降りて、駅弁ダッシュでそれぞれ買い求める姿があった。
駅弁を手にして、座席で重厚な梱包を解いて、美味しそうな駅弁の中身に遭遇し、箸を突っ付き、その土地ならではの姿形、味、風味にある種の感動さえ呼び、列車旅の楽しみでさえ会った。
そんな感傷的な風情は近代化、高速化の荒波に飛んでしまった。
碓氷峠をあっと言う間に通り過ぎる長野新幹線がなかった頃は、上野から信越本線の特急あさまで、ゆっくりと車窓から映る姿を眺め、鉄道の旅を楽しんだ。
滑り込む様に横川駅に着くと、碓氷峠越えの増結車両のパワーアップ作業で暫くは此処で停車するので、横川名物の釜めしを購入し、あの独特の味を楽しんだ。
信越本線が無くなった今、昔を懐かしむように廃線跡にアプト道が出来、トロッコ列車か遊歩道で新たな旅達を楽しむことが出来る。
横川駅から僅か二つ目の駅が終着駅「峠の湯」駅にこぎれいなレストランがある。殆どの客がバイキング料理で賑わっている中、時間がかかる旨の断りがあったかが、それでも「釜飯」を頼んだ。系列店か工場か判らないが暫くすると注文の釜飯が車で運ばれてきた。
地球環境保全のため、入れ物や梱包財がとやかく、煩く言われる時代に拘りを持って益子焼の立派な容器に詰められたずしりと重い「釜飯」であった。
天気も良し、目の前の山を眺めながらの特別席のベンチを占拠し、容器を開いてみる 。じんわり味の染みたご飯に、鶏肉・しいたけ・ごぼう・筍・栗・うずらの卵・グリンピース・あんずと具沢山に、別添えの漬物が「釜飯」を引き立てた。
特急の中で食べたかってのこってりした懐かしい味は、変わっていなかった。釜に詰められた、奥の深い味と量、「美味い、美味い」と、かなりの量であったが、完食してしまった。
特急列車や駅弁を売る姿は無くなってしまったが、「釜飯」だけは残った。
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