575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

水雲酒妻妹と旅に出る   朱露

2009年03月20日 | Weblog

  私が遠出を嫌うので妹と旅に出た妻。 
  大威張りで妹と遊べる私の深慮だが。
  妹は亭主を亡くしていて渡りに船だ。
  モズクを水雲と当てるセンスは流石。

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ヒヨドリ        草女

2009年03月20日 | Weblog
11月頃から、庭に来る鳥のため蜜柑や林檎などを木の枝にさしている。いつもは3月下旬頃ヒヨドリが大量にやってくるので、餌やりを終える。あの騒々しい鳴き声となんともいやな色の糞に降参している。嫌いな鳥ランキングのアンケートすれば上位になるだろう。今年は一か月も早く群れをなしてきたので、餌やり中止がはやまった。
可哀そうなのはメジロで、暫く庭でうろうろしていて姿をけした。
五箇山のこきりこ節のなかに「向かいの山になくひよどりは、ないては下がりないては上がり、朝草刈りの目をばさます。」という歌詞がある。ヒヨドリは深山の鳥であった。 信じられないが6,70年前から町に出てきて、すっかり町の鳥になった。キジバト、ハブトガラスも同じように山や森から町にでてきた。住処を奪われて町に来てみたら、意外にも住みやすかった。といってもそれだけ彼等の順応性が高いということの証、何でも食べ、何処でもねぐらのすることができるのだ。
1年中いるヒヨドリだが、渡りをするものもいる。伊良湖岬でサシバの渡りを観察していたとき、ヒヨドリが群れて渡って行くのにであった。羽が日に透けて美しく固まった群れはオブジェのようであた。 なぜ留まったり、渡ったりするのか?個体は同じか違うのか?弱いものが渡り、強いものが残るという説や木の実の出来具合という説などがあるが、本当のところはわかっていない。
深山に留まり、個体の数を減らしていれば、「あっ、ヒヨドリ!」なんて言われるかも。でも今は、「なーんだ、またヒヨか。」といわれている。バードウオッチャ-に嫌われても、そんなの平気。この町で生き抜く賢さに脱帽。

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