575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

草餅と芭蕉       愚足

2009年03月23日 | Weblog
 来月の句会のお題に「草餅」が入っているので、先輩の句で参考になるものは無いかと歳時記を開いてみた。
 すると、大先輩、芭蕉先生が二句作っている。

 青ざしや草餅の穂に出でつらん

 両の手に桃とさくらや草の餅

 最初の青ざし(夏の季語)は麦穂を挽い撚った菓子。で句意は、青ざしは草餅が穂を出したようだ。さらに解説には草餅には恋の余情があり「穂に出ず」を取り合わせたところが新しみだという。
 次の両の手の句意は、私の庵の庭には、美しい桃と桜があり、門人にも桃桜に比すべき其角や嵐雪がいる。私は両手に花で草餅を食べる幸せ者だ。とのこと。

 この句を読む限り、芭蕉先生も俳聖とは言い難いような気がするが、いずれにしろ「草餅」には苦労しそうである。
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取り合わせとはもっとも原始的な方法  遅足

2009年03月23日 | Weblog
俳句のテクニックの一つに「取り合わせ」が
あります。
坪内稔典さんが書いているのを引用します。

   

取り合わせとはAとBを組み合わせること。
その組み合わせは新しい世界を作り、
未知の感覚や認識の出現を可能にする。
つまり、もっとも原初的な創造の方法である。
あるいは、発想や認識を新しくする端的な方法と見てもよい。

この取り合わせを、言葉において効果的に発揮できるのが俳句。
俳句の短さが取り合わせを活かすのである。

   

取り合わせの関係が近すぎると類想に。
遠すぎると理解不能に。
塩梅が難しいですね。
読者の蓄積によっても判断が違うし・・・




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