575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ちょっと難しい川柳のお話し・・・  遅足

2011年04月08日 | Weblog
  妖精は酢豚に似ている絶対似ている   石田柊馬

???
この私には?マークが3つは並ぶ川柳について
荻原先生がブログで、こう解説していました。

引用してみます。。

実在の妖精を見たこともないのに言うのもあれだが、
その外見も匂いも味も、たぶん酢豚には似ていないだろう。
と言うか、似ていてはならないと思う。

それをこうして結びつけているところに、
既成概念に対する破壊衝動を読むことで、
とりあえず一句の解釈は成立する。

しかし、読んでいるうちに、これは単にあの妖精のことだけを
言っているわけではないのかも知れないという感覚も生じて来る。
リアリズムでは、それが、表現の事実性の強度から来る象徴としてあらわれる。

ここでは、そもそも妖精そのものが問題にされているのではない、という、
寓意の様相を帯びている。

具体的事実が語られているとは見えないのに、
何かを明確に言い当てている感じがある。

妖精は置換可能な対象であり(カリスマ的政治家とか、人気タレントとか、
その候補をあげるのは容易だと思われる)、
リアリズムはそれを表現上の甘さや緩さとして捉えるが、
この句が見せようとしているのは、その置換可能な枠組全体なのである。
リアリズムの理屈はここでは通用しないだろう。

           ★

このような寓意という視点に立つと、現在の川柳の或る領域の作品群が、
寓意のパラダイスにも似た状態を見せているのがわかる。

短歌や俳句のリアリズムがそれを拒めば拒むほど、
寓意は、川柳の大きな特徴として浮かびあがることだろう。
共感でも思いでもない川柳のありようを、
私はしばらく、こうした寓意のなかに見てみたいと考えている。
以下、私の好む寓意的な川柳を列記してみる。

 いもうとは水になるため化粧する/石部明
 この世からはがれた膝がうつくしい/倉本朝世
 立ち入ったことを餃子のタレに聞く/筒井祥文
 よろしくね これが廃船これが楡/なかはられいこ
 永遠に母と並んでジャムを煮る/樋口由紀子
 そこそこの幽霊になりそこいらに/広瀬ちえみ
 空き瓶を持ち上げ雌雄確かめる/丸山進

           ☆

さて、皆さんはどう感じられましたか?
私は、なるほど、たしかに短歌にも俳句にもない
何かを伝えようとしていると感じました。
その一方、これは私には無理だなという諦めも・・・・

                   遅足

ちょっと京都まで行ってきます。
コメント
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