銭屋五兵衛の屋敷に女中として住み込んでいた娘、
お鉄が銭屋没落の後、仏門に入り、一族の菩提を弔ったお寺。
このお寺には、室生犀星が若い頃、下宿をしていたことがあり、
その部屋が残っているそうです。
残念ながら見学は出来ませんでした。
犀星は、詩集・抒情小曲集の覚書のなかで、
この頃のことを次のように書いています。
ここは二千戸を数へ人心すべて質純なり。
釈迦堂といへる僧院あり。
静かなる寺院にて有名なる銭屋五兵衛の墓碑あり。
此処のとある一室に一年有余、転地療養せしことあり。
世にも静かにして、優しく、美しき尼僧らによりて
病気の予は毎日新しき野菜と、親切にして充分なる静養を
与えられたり。
そして、この地で「かもめ」などの詩を得たと記しています。
境内の一角に犀星の句碑がありました。
寒菊を束ねる人もない冬の日
「悼 鉄悟大尼」と前書きがありますから、
世話になったお鉄さんの死を悼んで詠んだものです。
犀星が下宿していた頃は、海が近かったと思いますが、
今はカモメも潮騒もありませんでした。
お鉄が銭屋没落の後、仏門に入り、一族の菩提を弔ったお寺。
このお寺には、室生犀星が若い頃、下宿をしていたことがあり、
その部屋が残っているそうです。
残念ながら見学は出来ませんでした。
犀星は、詩集・抒情小曲集の覚書のなかで、
この頃のことを次のように書いています。
ここは二千戸を数へ人心すべて質純なり。
釈迦堂といへる僧院あり。
静かなる寺院にて有名なる銭屋五兵衛の墓碑あり。
此処のとある一室に一年有余、転地療養せしことあり。
世にも静かにして、優しく、美しき尼僧らによりて
病気の予は毎日新しき野菜と、親切にして充分なる静養を
与えられたり。
そして、この地で「かもめ」などの詩を得たと記しています。
境内の一角に犀星の句碑がありました。
寒菊を束ねる人もない冬の日
「悼 鉄悟大尼」と前書きがありますから、
世話になったお鉄さんの死を悼んで詠んだものです。
犀星が下宿していた頃は、海が近かったと思いますが、
今はカモメも潮騒もありませんでした。