575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

十といふところに段のある如き錯覚持ちて九十一となる

2011年11月04日 | Weblog
岩波新書の『老いの歌』を読みました。
そのなかの一首。土屋文明の歌です。
文明は、百まで生きた長寿の歌人。老いを詠んだ歌も多いそうです。

たしかに老人になると、階段をガクンと降りるように能力が衰えます。
ある時は、ガクガクと数段も下へ。

  今朝の足は昨日の足にあらざるか立ちて一二歩すなはち転ぶ

これも同じ作者の歌。
大変なのに、どこか自分を突き放して見ていることから生まれる
ユーモアのにじみ出ている歌。

いまや日本は超高齢社会。
九十歳、百歳も珍しくない。
多くの人が土屋文明と同じ境遇に置かれる時代。
あの斉藤茂吉にも老いの歌が。

  税務署へ届けに行かむ道すがら馬に逢ひたりああ馬のかほ

なんじゃこれ?という歌です。
この歌の収められた歌集「つきかげ」は
茂吉の歌と認めたくないという歌人もあるそうです。
でも、ちょっと理屈の世界を離れた面白さが感じられます。

まったく新しい超高齢者社会・・・
「名歌とはならないが、これまで詠われたことのない
新しい歌の世界が広がっている」。
これが『老いの歌』の著者・小高賢さんの結論でした。

年をとれば枯淡の境地に達するというのは嘘で、
百人いれば百の老いがあるそうです。
私にはどんな老いが始まっているのか?
恐いような・・・面白いような・・・        遅足





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秋高し骨董市の銀クロス(十字架)   狗子

2011年11月04日 | Weblog
☆麗子・天気のよい一日。ふらり出かけた骨董市で
    思わず手にとった銀の十字架。
    それはいつごろ誰が手にしたものだったのでしょう。
    思わぬ出会いに、ほほえむ作者の様子が想像できました。
☆遅足・十という宿題に「クロス」というコトバを見つけたこと。
    お見事です。
    天高し、という季語と骨董市に並べられた銀色のくすんだ十字架。
    美しい景ですが、信者にしてみれば・・・

    
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冬曙団地も我が家も寝静まる    朱露

2011年11月04日 | Weblog
     七時多米の山の端に今日の太陽が出た。
     トイレの水洗の音が轟きテキは起きた。
     私は朝食をすませ古新聞を外へ出した。
     その勢いで血圧を計ったらやはり高い。

               



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