575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

広島に種火恥ずかし春ゆらぐ   結宇

2016年05月08日 | Weblog
広島といえば平和記念公園にある平和の灯。
昭和39年の8月1日に点火されました。
核兵器の廃絶を願うシンボルとなっています。

中七の「恥ずかし」をどう読むべきでしょうか?
被爆国であり、原発事故という大惨事を引き起こしたにもかかわらず
もう原発を再稼働させている現在の日本人のあり方。
そんな姿は恥ずかしいのでは・・・春も揺らいでいるようです
と、すみさんは読みました。素晴らしい読みです。

なお疑問が残ります。なぜ「種火」なのでしょうか?

平和の灯の種火として使われたのは、
全国の12の宗派から寄せられた「宗教の火」、
溶鉱炉などの工場地帯から届けられた「産業の火」でした。

これとは別に原爆で燃え上がった広島市内に入り、
くすぶっていた火を懐炉に移して持ち帰った人がいました。
福岡県八女市星野村の男性で、叔父さんの消息を求めて
被爆直後の広島に入り、燻っていた火を懐炉に移して持ち帰りました。
この火はその後「平和の火」として村が引継ぎ、
いまでは八女市が引き継いでいるそうです。

こうした事情も句の背景にあるのでしょうか。

          

オバマさんがヒロシマを訪問するか、どうか。
アメリカ国内で賛否両論が・・・・
原爆の投下は正しい。アメリカは謝罪する必要はない、という意見。
平和を祈念する建物。当初はイサム・ノグチの設計案でした。
しかしアメリカ人の設計では・・・という声があり採用されませんでした。
現代人がナショナリズムの磁力から逃れるのは難しいようです。

写真は散歩の途中に見つけたカタバミです。
園芸種なのかも知れません。           遅足



コメント
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