575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「残照に 影絵描くや 眠り富士」<殿>

2019年12月05日 | Weblog


新幹線の車窓に走る富士山。
うっすらと白く薄化粧。
ちなみに、静岡県側から眺める表富士より、
山梨県側から眺める裏富士の方がシルエットが嫋やかといわれています。
理由は、表富士側にある宝永大噴火の痕跡。

宝永大噴火は江戸時代中期に発生。

「田子ノ浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」<山部赤人>

田子ノ浦とは静岡県の海岸。
奈良前期の「山部赤人」<やまべのあかひと>は稜線の美しい表富士を、
のびやかに歌に託すことができたのでしょう。

ところで、この宝永の大噴火。
江戸では、大量の火山灰が何日も降灰。
庶民の呼吸器疾患が急増したため狂歌にも詠まれています。

「これやこの 行も帰るも 風ひきて 知るも知らぬも おほかたは咳」

「これやこの行くも帰るも別れつつしるもしらぬもあふさかの関」

この狂歌は有名な古今和歌「蝉丸」のパロディ版。
また、新井白石の随筆「折たく柴の記」によると
「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、
雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。
西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす」
と記しています。
江戸の町は日中も明かりが必要だったようです。

とまれ、美しい富士の山は休火山。
いまは、暫しの眠りについています。
そこで季語を「眠り富士」としました。

先輩諸氏の諸事情にて筆を取り拙句と駄文を綴っております。
何卒、ご笑覧いただきますようお願い申し上げます。<殿>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする