575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

俳句と我がふるさと①   竹葉

2020年05月11日 | Weblog

                                       金華山と長良川

 故郷の山川友よ春永遠(トワ)に     竹葉

私は千葉からリモート参加でこの1年575の会に参加させていただいています。
遅足さんからブログへの投稿を依頼されて、自己紹介がてらふるさと岐阜と佐保子さんとのことなど書かせていただきます。
千葉の私と名古屋の佐保子さんとの出会いは岐阜での高校にあります。
頭が良くて笑顔の絶えない佐保子さんとは、もう一人の今は亡きさっちゃんと3人、
物理の時間、教室の隅の大机で「内職」をした仲間であり、学校帰りに佐保ちゃんちに寄り、
手乗りジュウシマツと戯れたり、お庭の柿の木に登りお腹いっぱい柿をもいで食べさせてもらった仲でありました。
卒業後はご主人となられた遅足さんとのデートに、なぜか加わって野の中で、彼が彼女の膝枕で寝そべっておられたのを覚えています。
佐保ちゃんは何回もあるデートの1回だったからか忘れた、とおっしゃっていましたが、私の方は覚えているのです。
その後私が理想に燃えて若気の至りで道をそれてた時期も結婚を祝いあったり音信は続いていましたが、
再び密な交流が出来たのは佐保ちゃんの退職後、しかもこの10数年かもしれません。
彼女が上京する度、一緒に美術館めぐりをしたり、私の帰省時に会ったり交流は深く続いています。

俳句の会に入ることになった最大の要因は佐保ちゃんです。(佐保子さんと言ったのでは本人像が出ませんので)
佐保ちゃんは自然の豊かな山歩きによく行かれ植物にも関心が深く、私は野草が好きでつたない写真を撮っていました。
佐保ちゃんが大病された時、その写真カレンダーを送ったのがきっかけで毎月初めには必ず1回、メールのやり取りをしています。
そこで俳句のお誘いを受けたのです。

2つ目は母です.母は50代になってから山口誓子の天狼の同人に加わり、季寄せにも何句も載っているほど後半生は作句に夢中でした。
でも私が独立した後なので、帰省中に川開きだ、精霊流しだというと、手帳を持って一人出かけたり、
黙々と自分の世界に入って鉛筆を走らせる姿を見ただけでした。
母の句は「葉牡丹の露一つずつむらさきに」(朝日出版社「季寄せ冬」「明日香人御陵の道に小豆干す」など。
句も母の残した 「天狼季寄せ、歳時記」 から探し出して見つけたものだけしか知らないのはとても残念に思っています。
                                                      続く



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする