575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

俳句と我がふるさと③    竹葉

2020年05月13日 | Weblog

清流・長良川

岐阜と言えば鵜飼、鵜飼と言えば長良川。現在は幾本も橋がかかっていますが、
金華山のふもとに近い橋、長良橋は長さ272mあります。
これは1954年末に架け替えられたもので、電車も橋から先が複線化、道路も周辺住宅も大きく姿を変え、
岐阜市を代表するシンボル的な橋となりました。
私は産湯こそ使っていませんが、5歳くらいから泳ぎに行きました。10代前半は早い流れの所、
「鉄管」と呼んでいた橋桁のとても深い所や、橋の上流のホテル街の前など、泳ぐというより
長良川にのって楽しんでいました。
水は冷たく唇がすぐに紫色になって、ガタガタ震えながら、河原の石で背中を温めたり、
タオルで、メダカやどんこを取ったりしていました。
水溜まりにはウナギの一杯いる「生けす」があり、飛び込み台として使って遊んだものでした。

我が実家は長良橋を渡った’うかいや’という電車の駅に近く、住所は長良ヶ丘でした。
鵜飼の夜には、鵜匠が鮎を取る鵜を励ますために船べりをトントンと櫂でたたく音が聞こえる近さでした。
川よりは丘というほどではないけれど高い所にありました、
家の後ろは高い堤防になっており、クローバー、チガヤ、ネジバナ、蓬、土筆などの草や木が生えていました。
その堤防が幼い日の遊び場で、摘み草や土手滑りなどをし、一番高い道は犬の散歩道で、
夕日が伊吹山に沈むのを眺めたりしていました。
また5分ほど下流に記念碑があり、その下が中学校。堤防の中腹がソフトボールなどを楽しんむ場所でした。
そのように川での遊び、堤防での遊びが子供時代を豊かにしてくれました。


                      清流・長良川。長良橋の上流

しかし、自然はいつも穏やかで人の味方というわけにはいきません。
昨年の投句で失礼しますが「樹雨(キサメ)さえ集めて反旗我が山河」です。
最近もあの辺りが浸水するとの情報がありましたが、長良川は何度も大きな洪水を起こし流れを変えて、
人々はどんどん堤防を高く築いて家や土地を守ってきました。

記念碑にはその歴史の一端が記されているのを数年前初めて知りました。
忘れることができないのが伊勢湾台風の時です。
平屋のわが家は床上1.2mまで浸水、かろうじて避難した屋根裏から、水に浮かぶゴミの線を見つめていました。
じわじわと上ってくる水。不安の一夜が明けました。
翌日の川は大きな木材を飲み込みながら濁流が膨れ上がっていました。
その時も佐保ちゃんは泥にまみれた台所やお茶碗を綺麗にしてくれていましたね。
その後、堤防は石で固められ、もう一つ住宅を守るお粗末な堤防が作られました。

水害や汚染、河口堰建設、思うに任せない自然、思う様にしたい人、争わずにはおれませんが、
それでも我が長良川を愛さずにはおれません。
幼い時期を豊かに育んでくれたふるさと。愛する人と自然に出会えたことは幸せです。

長い自己紹介になってしまい失礼しました。
一度長良橋から金華山と長良川をぼんやり眺めに行ってみようという気持ちになっていただけたら幸いです。  (竹葉)





コメント (1)
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