575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「 詩歌に見る望郷、若狭 」⑵ 久須夜岳 (くすやだけ )   竹中敬一

2020年05月19日 | Weblog

私の高校時代の友人が書いた「若狭余録 」の中に小浜出身の薄幸の
歌人 山川登美子が 「 若狭八景 」と題して詠んだ短歌が載って
います 。
その中の一首 題して 「久須夜 夜雨 ( よさめ ) 」

小夜ふけて とまりが浦の さびしきに 木の葉を込めて 時雨降るなり

山川登美子の生家は我が家から3キロ余り離れた小浜市内の竹原地区
にあり、私はいつもその生家の近くの道を徒歩で海岸沿いにある小浜
中学 ( 旧制 )に通っていました 。
そんなこんなで、山川登美子が明治の頃、明星派の歌人で与謝野鉄幹
をめぐって晶子とライバル関係にあり、悲恋の末、29 歳という若さで
亡くなったことくらいは知っていました 。
久須夜岳は標高619メートル、内外海( うちとみ )半島のシンボルです 。
登美子の歌に出てくる 「とまりが浦 」は、その半島の先端にあります 。
泊地区は戸数23戸 、内海に面して寄り添うように建っています 。
久須夜岳は我が家のある阿納尻 ( あのじり )など14ヶ村の何処からも望む
ことができますが、海越しに泊の集落と山全体が見えるのは、登美子の
生家のある小浜市内からになります 。


                      小浜 ( 福井県 )の市内から見た久須夜岳 ( 619 m )


しかし、いずれにせよ、若狭地方は晴れていても にわかに時雨る時が
多く、山頂まですっきり見える日は稀です 。
登美子は結核を患っていた夫と死別後、自身も結核に罹り、京都の姉の
所で療養中 、父の重態を知らされ 帰郷 。そのまま病床に伏し、父の葬儀
にも出られなかったそうです。
登美子が詠んだ 「 若狭八景 」は多分、彼女がまだ元気だった頃 、帰郷
前のものと思われます 。
傷心の日々を送るなかで、こころに浮かぶのは、うら寂しい故郷の風景だった
のでしょう 。
彼女の心境を象徴するような久須夜 夜雨 。
しかし、時として風が凪いで、ぱっと晴れ 久須夜岳がその秀麗な姿を海面に
映すことがあります。
夕暮れの時など風雲が湧きだすとさざ波が立ち、入江の面 ( おも)が微妙に色
を変えます 。
そんな穏やか風景を思い浮かべながら、薄幸の歌人の生涯を偲んでいます 。


コメント
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