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卯の花の 白の透けゆく 獏の夢 <遅足>
ウツギの薄い花びら。白の透けゆくという
中七が美しい。そして下五の唐突ともいえ
る飛躍。夢を食べるという漠の夢とは…。
パウル・クレーの抽象画のような佳句。上
記は選句に添えた感想です。実はこの一句。
脳裏から離れなくなり投句はひとつだけ。
パウル・クレーはスイス出身の芸術家。父
はシュトゥッガルトの音大の教授で、母は
スイス人の歌手。幼少の頃から受けていた
音楽教育が絵画の原点になったと著書に記
しています。クレーは11歳でベルン音楽連
盟に特例会員として招かれプロの演奏家と
しても精力的に活動しています。
クレーは、1900年代初頭のキュビズム、シ
ュルレアリスムなど前衛芸術運動の渦中に
あり、絵画、ドローイング、版画などで頭
角を現しました。ドイツのバウハウス美術
学校での講義は「造形とデザイン理論」と
いう書籍でまとめられ、現代の私たちを取
り囲むさまざまなデザインのベースとなっ
ています。例えば、クルマのデザイン。箱
型のクルマのデザインを一新。フォルクス
ワーゲン社の流線型のビートルは、現在の
新幹線にみられるデザインのルーツといえ
るでしょう。
クレーは1914年にチュニジアを訪問します。
この旅行を境にして画風が一変。「私は色と
ひとつになった」という名言を残し色彩の画
家としての道を歩みはじめます。
斬新な作品を描きつつ、クレーはデュッセル
ドルフ大学で教授となりますが、前衛芸術を
否定したナチスの迫害によりスイスへの移住
を余儀なくされます。クレーは1940年の6月
に鬼籍の人となり、スイス政府は多大な功績
を称えスイス国籍を贈ります。
パウル・クレーの魂。21世紀の私たちの感性
にいまも生き続けている気がします。
話を戻します。やはり、夢を食べる獏の夢が
気になります。ぜひ、クレーに描いてほしい
テーマ。 文と構成 <殿>