昭和50年放送のドキュメンタリー 「 木曽の四季 」( 55分 )は観光開発の中で
滅びいくものへのレクイエムとして、「 これで、いいのだろうか 」と静かに
訴えた作品です 。
当時はまだ、木曽には古い伝統行事も残っていました。
毎年、春に行われる 「 神おろし 」の神事。御嶽山を望む黒川村の野田野山
での模様を取材させてもらいました 。
「 お座立て 」といって、いつもは野良仕事をしている人が神さまになり、
神がかりによって病気の治療や農産物の出来不出来を占う行事です 。
御岳講の神になった人からお告げを聞いて、村人に伝える役の老人を追い
ました 。黒田孝一さん ( 当時74 ) 。
小高い山の頂で神事が始まると、どこからともなく涼風が吹く中、神がかった
黒田老人は全身を震わせながら、村人に神からのお告げを伝えると、皆んな熱心
にそれをメモしていました 。
ー 台本から黒田老人の話 ー
「 昔はメシ落としてもなぁ、必ず捨てるな、食えというわけだ 。
おれ、孫に言うと、そんな汚て食えるかて……正月、サンマよ… こいつ一匹を
半分に切ってなぁ、そして食ったんだ 。魚なんか正月でないと食ったこと
なかったよ 、それでも生きて居れたよ…俺はここで生まれたで、ここで死ぬよ 。
俺は 。」
私が一番、印象に残っているのは、廃村になった大平地区へ年に一度、
春祭りの日、故郷を去った人々が集まってくるところを取材した時のことです 。
廃屋になった我が家を久しぶりに訪れた老婆。真っ暗な部屋にさっと光が射しこみます。
その時、風が・・・。思わず漏らした言葉 。
「 … この風がなあ…… こっちから入って来る風が何とも言えん懐かい風で、
こういう風はもうはや他じゃこういい風は入ってこんで …
きれいな風だし忘れんなぁ 、
この風だけでも、風をもっていきたいような気がします 。」
カメラはこの老婆の言葉を漏らさずおさめていました 。五里霧中で取材を続ける
中、この時、初めて手応えを感じました 。
「 この風だけでも 持って帰りたい 」今でも忘れられません 。
開田高原から霊山 御嶽山を望む。昨年 晩夏 筆者 撮影 。
御嶽山は何回も撮っていますが、こんな穏やかな霊山を拝めたのは初めてです 。