575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「 詩歌に見る望郷 、若狭 」⑸ 若狭彦姫神社   竹中敬一

2020年06月09日 | Weblog


福井県小浜市遠敷 ( おにゅう ) に鎮座する若狭姫神社の境内に昭和の中頃、

地元の人が詠んが句碑があリます 。



  姫宮を 出て彦宮へ 秋日和


地元の人でないと、なかなか実感が湧かないのではないかと思います 。

若狭姫神社を下の宮と言います 。ここから約 1、2キロ 行ったとろに

若狭彦神社 があり、上の宮といっています 。

この距離が丁度、散歩には向いています 。

一年中、曇りや雨の日が多い中で晩秋の頃、雲一つない日があります 。

父がこの若狭彦姫神社に一時期、奉職していた頃 、中学生の私はよく

母からの届け物を乗せて自転車で凡そ8キロ離れた神社まで行っていた

ので、この道は今でも思い出せます 。


この句を詠んだのは小浜で内科医院を営む医学博士の村田眉丈 ( びじょう )、

本名 秀太郎 。この句碑は昭和38年、水原秋桜子の主宰する俳誌 「馬酔木 」

の同人らによって建てられました 。



                  若狭彦神社 ( 福井県小浜市 )に通じる山道
                               昨年 夏 撮影


若狭彦姫神社の近くを流れる遠敷 ( おにゅう ) 川に沿った街道は古代、奈良に

通じる最も近道でこのルートから中国、朝鮮の文化が入って来ました 。

若狭彦神社を更に遡ると若狭神宮寺があり、毎年春先、近くの遠敷川の淵、

鵜の瀬で奈良東大寺二月堂へ送るお水送りの行事が続けられています 。

鵜の瀬の白石神社の境内には山口誓子の句碑があります 。


  瀬に沁みて 奈良までとどく 蝉の声


誓子と親交のあった田村眉丈が誓子を鵜の瀬に案内した時、詠んだ句を

もとに昭和41年に建てられたそうです 。

中世まで若狭の中心地だった遠敷、松永地区 。

鵜の瀬から滋賀県境に根来 ( ねごり )という集落があります 。

遠敷 ( おにゅう )、根来 、いかにも渡来人と関係がありそうな地名です 。

帰省する度に通るこの辺りも今はひっそりとしています 。

奈良の古道 “ 山辺の道 “ のようにこの遠敷街道を歩くと、昔の栄華が

偲ばれます 。
コメント (1)
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