575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「 忘れられない人 」⑴ 木曽で 竹中敬一

2020年06月16日 | Weblog

私はテレビ草創期の昭和30年代 ( 1960 )から平成12年(2000 )の約40年間、

番組作り一筋に携わってきました 。

この間、フィルムからビデオ、ハイビジョンと技術革新には目覚ましいものが

ありました 。

私は主にドキュメンタリーや情報番組を制作してきましたが、技術革新がどうで

あれ、人間の生き様を追うことに変わりはありません 。

様々な人に出て頂きましたが、手元に残る私が書いた台本を参考に忘れられない

人々を取り上げて記録しておくことにします。


昭和50年度 文部省芸術祭優秀賞 ドキュメンタリー 「 木曽の四季 」。

初めてカラーフィルムによる55分の番組です 。

まだ、高度経済成長の名残りで山深い木曽も開発の波に飲み込まれようとして

いました 。変わりゆく木曽の有り様を四季を通して追ったもので、テーマは

「 別れ 」。木曽馬との別れ、森林鉄道の廃止、廃村 ……。


御嶽山の麓、開田村ではどの家でも4、5頭の木曽馬を飼っていましたが、昭和

49年には木曽馬の純血種は第三春山号ただ一頭だけに 。

それを飼っていたのが柘植清一さん( 当時67 ) 。

その柘植さんが愛馬を遂に手離さざるを得なくなり、別れるまでを追いました 。

台本からー 柘植さんが歌う馬子唄をバックに 彼の話 ー

「 あの頃が走馬灯のように浮かんできます 。峠をいくつも越えて歩いたのが

頭の中に離れないです 。・・・( 涙ぐむ )

思いは寝たりして静かになった時、あの山、この川、馬と共に歩いたことが……

頭にこびりついて離れないです 。( 涙ぐむ ) 」

この後、木曽馬の最後の純血種は剥製にして永久保存のため、トラックに乗せ

られ、雪道を遠ざかっていくのを柘植さんがいつまでも手を振って見送る

シーンへ 。

このシーンを撮るに当たっては2台カメラを用意しました。1 台は柘植さん、

もう1 台は馬を追うために。

馬の表情をとらえた映像からは、その目が潤んでいるように感じられました 。

この間、ナレーションも入れず、第三春山号を乗せたトラックが遠ざかって

見えなくなるまでカメラは追った後、パーンして雪の御嶽山がラストシーン

になっています 。

この日は冬にしては珍しく風もなく晴れていて 、霊山・御嶽山がよく見えて

いたのを思い出します 。

第三春山号の剥製は現在、開田高原の郷土館に展示されています 。




木曽馬の親子をバックに御嶽山 開田高原で 昨年 夏 筆者 撮影

コメント (1)
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