575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

私のみた『方丈記』(5)

2022年07月10日 | Weblog

鴨長明は50歳の時、30代に経験した天災、飢餓などを思い出しながら『方丈記』を書いています。

その間、福原遷都、平家滅亡も目の当たりにしていますが、無常という言葉は私がみる限り冒頭の「ゆく川の流れは

絶えずして」の中でただ一ヶ所、出てくるだけです。

確かに全文を貫いているものは「一切のものは無常である」という無常観、宗教観でしょうが、

そのことを殊更に取り上げたのは、昭和時代の文芸評論家からではないでしょうか。

鴨長明は『方丈記』の冒頭部分で凡そ次のように述べています。

 「いく川の流れのように、人も家もいつまで同じであり続けることはない。

都で競って立派な家を建てても、昔あったままの家はめったにない。住んでいる人も同じで、昔からの顔見知りは、2、30人のうち、僅か一人か二人である。」

として「その栖(すみか)と、無常を争うさま、いはば、朝顔の露に異ならず」と、ここで初めて無常という言葉が出てきます。

 

 鴨長明の家についての考えに共鳴します。

私の話になりますが、昭和40年代初め、民放テレビ局で情報番組を担当していた時、

市営住宅で一人暮らしをしていた老婆がコツコツと貯めた多額のお金を福祉に役立てて欲しいと市役所にホンと寄付を申し入れた話題を取り上げたことがあります。

金額は忘れてしまいましたが、寄付した理由について、その老婆は「私は夜露が凌げれば、それで十分」と語った言葉が今でも忘れられません。

当時、私はこの言葉に大変、感動しました。丁度、高度経済成長期、賃金は右肩上がりで伸び、皆んな競って一戸建ての住宅を郊外に建てていました。

銀行も不動産屋もローンを組んで住宅購入を勧めました。しかし、私は情報番組に出てもらった当時、知られた経済学者から

「右肩上がりの神話は長続きするはずがない」という言葉にハッとさせられました。

でも、そんなはずはないという人ばかり。(まもなく、その言葉通り賃金は下がって、なんと今日まで横ばい状態。政治が悪い)

 

私は当時、同じ郊外でも公社が売り出した安い土地付き住宅を抽選で当て、購入しました。その代わり、僅かな土地に平家建てでマッチ箱住宅と揶揄されていました。

まもなく、周囲の同じ住宅は競って2階建てに建て替えられ、当時のままの家は我が家と数軒になってしまいました。

今、この団地で若い世代に家が受け継がれているお宅は稀で高齢者ばかりの状態です。

鴨長明の教えはいつの時代でも通じているようです。  竹中 敬一

 

コメント (2)
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