575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

小田原や鯵の干物と負けいくさ   朱露

2007年08月18日 | Weblog
 
   相模灘の小鯵にご無沙汰して50年経つ。
   小田原駅にその小鯵の干物があって泣く。
   帰って食べたがイマイチ。昔の彼ならず。
   62年前の夏、軍閥が演じた小田原評定。

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新涼や乳茸の乳いでやまず       草女

2007年08月17日 | Weblog
 7月下旬から海上の森は夏の花と秋の花の端境期なので、きのこが目立つようになる。色といい、形といい観察する者を楽しませてくれる。
 あまりの数の多さに(現在3000種ぐらい分っていて、最終的に5000種に
なるという)きのこワールドに足を入れぬように自重してきた。
 ところが仲間のきのこ博士から手ほどきを受けて、ついつい同化されつつある。
 山と渓流社の「日本のきのこ」の序文に、現在では生物界を動物と植物に分けるのではなくて、菌類も入れて三つに分類する方向にあることを知った。
 きのこは植物ではないということだ。それは正しい方向であると思う。
 新しく、しかも膨大な世界。きのこの図鑑を買ってみたものの、引き方が分かっていない。海上のきのこの名前の半分も見つけていない。

 さて、先ほどのきのこに魅了されている彼女が「これチチタケ」といって傘の先で茶色のきのこを突いた。驚いたことに突いた箇所から真っ白な乳液がみるみるうちに出てきて、ポタポタ落ちた。
  図鑑に拠れば乳液は次第に褐色に変わり粘ってくるとのこと。それは甘くもあり苦くもあり、きのこも食用になるとのこと。栃木県ではチタケと呼ばれマツタケより珍重されているという。

 少し前、中日新聞に「キイボカサタケ」を食べて中毒死の記事が載っていた。このきのこは海上の森でもよく目にする。小さいけれど鮮やかな黄色でとんがり帽子。きのこの毒についてはよく分かっていない事が多いらしい。可愛いからといって素手で触れるのも用心した方が良い。
 木村拓也が演じるお毒見役のように、食べてすぐ変化が顕れる毒はほとんどない。時間を経て胃腸障害から始まるものが多い。私は口にしないけれど、きのこ中毒になりそう。 気をつけねば。
                    
 
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膝抱けば錨のかたち枇杷熟れる 坪内稔典

2007年08月17日 | Weblog
清水哲男の「増殖する俳句歳時記」に載った句です。
こんな解説がついています。

 錨、海軍、滅亡、沈没、死者、敗戦、夏・・・というふうに日本人の連想は続  く。

 夏と敗戦のつながりは決定的で、夾竹桃や百日紅からもすぐ敗戦を連想する人さ えいる。
 そういう日本人がいなくなる未来はどのくらい経ったらやってくるのだろう。
 テレビの街頭インタビューで日本がアメリカと戦ったということすら知らない
 若者が何人もいたが、これはにわかには信じがたい。
 日本人の大学進学率は確か七十パーセントを超える。
 第二次大戦は言わずもがな、ポツダム宣言あたりを知らなければ大学はおろか、
 有名私立中学にも受からない。
 あのテレビはやらせだ。

 この句は日本人の苦い連想の上に立っている。
 「膝抱けば」は死者の姿勢。沈んでいる遺骨への思い。
 同じ句集の中の「赤錆のわたしは錨草茂る」も同様の内容。
 この句では、陸の上にある見えている錨が描かれる。
 わたし即ち錨という発想だが、草茂るもあるし、
 わたし、日本人、戦争、夏、というイメージからは離れられない。
 作者もその効果を承知で構成している。
 『月光の音』(2001)所収。
  (今井 聖)

   

坪内さんは遅足とほぼ同年代。
錨を自分の体と同一視する技法で、戦争のイメージを
作り上げています。
取り合わせは、戦争とは縁のない枇杷。
その枇杷が熟れると。
熟れた枇杷の実は、いずれ落ちてしまいます。

私はこの句が戦争と関係していると分かりますが、
もう一回り若かったらどうでしょうね?
錨=海軍という連想はないのでは?


アメリカと戦争をしたと知らない若者は結構います。
やらせ、ではないでしょう。

戦争を自分の中にどう発見していくのか?
それを詩として発見する。
とても難しいことです。






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色のついた言葉  麗

2007年08月16日 | Weblog
猛暑お見舞い申し上げます。
こんな暑い日はできるだけ涼しい部屋で読書でもしたいもの。

今読んでいる本は「ぼくには数字が風景に見える」という
サヴァン症候群という脳の症状をもつ
ダニエル・タメット氏が書いた本。
(この病気はダスティン・ホフマン主演の映画「レインマン」で世の中にしられるようになったようです。)

数字に異常なまでに固執し頭から数字が離れない。
面白いのは数字を見ると色や形、感情が浮かんでくるそうです。
ちなみに彼の場合、1は明るく輝く白。
5は雷鳴、あるいは岩に当たって砕ける波の音。
89は舞い落ちる雪に見えるそうです。

言葉に色がついているそうです。
英語のgate(門)は緑。ヨーグルトは黄色。帽子は白といった具合。
数字の4は青い色の言葉、オレンジ色は氷のように澄んで輝いて思えるそうです。

「色のついた言葉」ってなんだか不思議な感覚。
今日のような暑い日を数字で表すとどんな風になるのか、聞いてみたいですね。
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新涼   

2007年08月15日 | Weblog
暑い!暑い!残暑です。
誰が決めた題詠でしょう?
せめて言葉だけでも涼しく。
新涼。

初秋の涼しさは、夏の厳しい暑さを耐えてきた
身体に心地よく感じられます。
この涼しさを新涼といいます。

涼新た。秋涼し。秋涼(しゅうりょう)。なども季語です。

夏の季語に「涼し」がありますが、これは暑さの中の束の間の涼しさ。
実感というよりは心理的な涼しさを言うそうです。

      

新涼や白きてのひらあしのうら  川端茅舎

 日差しの強烈な夏が終り、ふっと身体のことに気に・・・
 あらためて、手のひらや足の裏の白さに目が入ります。
 病弱だった茅舎。厳しい夏を越えて、ほっと一息。
 その白さは、より心に沁みたことでしょう。
 

新涼の画を見る女画の女     福田蓼汀

 展覧会か、画廊か。
 男の視線は、ます絵を見る女性へ。
 そして、その女性が見ている絵のなかの女性へ。
 新涼という季語が男の視線を清々しいものに。

新涼やぴたりと合ひしハイヒール 黛まどか

 いかにも女性らしい爽やかな句。
 さて、足音も軽く・・・


新涼や爪切る音の飛びはねて   江本絵悶

 中日俳壇の入選常連の江本さんの句。
 爪を切る音まで飛び跳ねる。
 ちょとした仕草も生き生きと感じられます。

     

さて句会は22日(水)午後6時 安田屋です。
締め切りは20日一杯です。
よろしくお願いします。   遅足



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新盆の銀河高原ビールかな   朱露

2007年08月15日 | Weblog

  10才上の兄がこの5月に亡くなった。
  両者酒飲みだが二人で飲んだことなし。
  飲んでも私はホントのことは言わない。
  銀河高原で会っても言わないだろうな。

  註 「銀河高原ビール」は岩手県の地ビール。
    宮沢賢治もビックリの絶品です。

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鳥の名ネコ連     鳥野

2007年08月14日 | Weblog
松田家のネコ殿の名前が「コッコ」と聞いて嬉しくなりました。

当方は「チッチ」と「クック」。鳥ではあるまいし、とよく言われます。でも・・・。

上には上がありましたよ、と名付け手の夫に報告しました。

ふたりは、ともに公園で保護した子。先に我が家に来た女の子を、公園に隣接する戸部神社にちなんで私は「トー兵衛」と呼んでいました。
それではあんまり気の毒と、夫。可愛い仕草から、チッチと決まり、その後チビが来た時は、すんなりとクック。こうして鳥の姉弟と相成った次第です。

   ・ 次郎太と呼ぶことにする犬として生まれしことを疑わぬこの子   久々湊盈子

 

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平和・戦争を詠むことの難しさ      愚足

2007年08月13日 | Weblog
 句会であるご婦人が平和を願うとても良い句を披露され高得点を得られた。
 その方は毎年八月のこの時期には務めて平和を願う句を詠むことにしていると話され感心したことがある。
 私もそれに倣って意識的に平和・戦争句を詠んでみようと決心した。
 今年もその季節がやってきて先人の句を読んだりしている。

   勇気こそ地の塩なれや梅真白      中村草田男
   海に出て木枯らし帰るところなし    山口誓子

 これらは、戦時下の名句として知られており、草田男の句は出陣学徒へのもの、
誓子の句は特攻隊員として出撃して若人への句だという。
 最初この句に出会ったと時、その事を知らず「ああいい句だな」と思ったがそれで素通りした。
 あとでこの事情を知って益々これらの句に感動したが、読者としてそこまでの読みは難しいなと思った。

 この事について宇多喜代子さんは、これらの句と並べてあの頃もてはやされた小島沐冠人の「神兵を征かしめ神の梅白し」や森脇襄の「夏痩せて闘志少しもおとろへず」を挙げ、これらの句の命と草田男らの句の命を比べ、時事・機会句の難しさを書かれていた。
  
 しかし 句会の場だけでも通用する? 平和・戦争句を作ってみようと思うのだが。 これも 至難の技か。
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伊吹山は涼しかった。   遅足

2007年08月12日 | Weblog

先日、伊吹山に行ってきました。午前7時、家を出発、9時に山頂の駐車場へ。
関西からも観光バスが続々と登山道を登ってきます。
山頂付近は、期待に違わず、シモツケソウの花盛りでした。
お花畑では、ボランティアによるガイドも行われていました。

東コースの途中、アサギマダラを見つけました。
山を北側から南側へ越えようとしてらしく、稜線付近まで飛んでいくと、
南斜面を上ってくる強い風に吹き戻されてしまいます。
何回も挑戦するのですが・・・
アサギマダラは中央アルプスの稜線でも見かけました。
やはり山を越えて行くところでした。
なぜ、わざわざ山を越えていくのでしょうね?

    山頂は でも、日焼けしました。

駐車場の一角に新しく芭蕉の句碑が立っていました。

 其ままよ月もたのまじ伊吹山

元禄2年、大垣の門人、斜嶺亭での吟。
戸をひらけば西に山あり伊吹という。花にもよらず、雪にもよらず
ただこれ弧山の徳あり。
と、前書きがあります。
弧山は中国浙江省の西湖にある山で、伊吹山を同じ様に素晴らしいと称えたもの。
(それとなく門人の斜嶺をヨイショした句かな?斜嶺も悪い気はしませんよね。)

それにしても今日も 暑くなりそう。


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根府川の崖「夏の日の恋」終わる   朱露

2007年08月11日 | Weblog

 
   茨木のり子「根府川」は戦時青春鎮魂賦。
   パーシー・フェイスは夏の日の恋を絶唱。
   疎開先の真鶴では夏の日のイジメと空腹。
   茨木のり子。去年2月79才で亡くなる。

 
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野萱草(ノカンゾウ)        草女

2007年08月10日 | Weblog
 この所、機会に恵まれて伊吹山やひるがのに行くことがあって沢山の花に巡り会えた。
 伊吹山の三合目にはユウスゲの花畑あったが、その名の通り夕方に咲き翌日の午前中に閉じるので一二個しかみられなかった。
 残念に思っていたが、数日後「ひるがの湿原植物園」に行って同じ仲間の「ノカンゾウ」に会えた。
 ユウスゲやノカンゾウの仲間は、ユリ科ワスレナグサ属で同じ仲間であるが
両者は花の咲く時間帯が違う。カンゾウやニッコウキスゲの仲間は朝咲いて夕方閉じる。
 さてカンゾウの仲間には「ヤブカンゾウ」と「ノカンゾウ」とがある。
 ヤブカンゾウは道端や土手に普通に生えるのでよく目にする。雌しべがが花弁化して八重咲きである。
 これに対して、ノカンゾウは一重で田のあぜの溝のふちなどに生える。
 これらカンゾウの仲間には、外国で改良されて「ヘメロカリス」と呼ばれるものがあり、公園などに植えられていて鮮やかな朱色や黄色の花をつける。
 
 さて、ひるがの湿原植物園に入るとすぐに美しいカンゾウの仲間が咲いていた。
 花弁は鮮やかな朱色で中央に黄色の筋があり、花の中心に落ち込んでいる。
 余りの美しさにてっきりこれは園芸種だと思い写真を撮らなかった。
 しかし今になって後悔している。調べてみると、ノカンゾウはどちらかと言えば山に近い所に生えその中で赤味の強いものがあり、それをベニンンゾウと呼ぶという。
 あの花はノカンゾウだったのだ!!
 途中半端にヘメロカリスを知っているからいけない。深く反省。

 そう言えばこれらは皆ユリ科ワスレナグサ属の植物である。万葉の人々はノカンゾウの美しさに憂いを忘れることが出来たからワスレナグサと呼んだ。

  忘れ草わが紐に着く 時と無く思ひ渡れば生けりとも無し   

(作者不詳・・忘れ草を着物の紐に着けてあなたを忘れよう、いつも思っていると恋に疲れて生きた心地がしないから。)
                          
    
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今朝の秋   麗

2007年08月09日 | Weblog
立秋を迎え、前日とは変わったさわやかな
感じがどこかにありましたか?
早朝の水やりの時
茶色いカマキリを発見。季節の移り変わりを実感しました。

でも日中の暑さは今がピーク。涼を求めてこれから那須へ出かけます。

   留守守る植木にたっぷり水をやり  麗
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今日から秋    遅足

2007年08月08日 | Weblog
立秋。今日8日から秋。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
         風の音にぞおどろかれぬる

              藤原敏行

風の音に小さな秋を見つけた平安の詩人。
春か秋か?どちらが好きですか?
年を重ねるにつれ、秋のほうが心にしみるように。

 この道や行人(いくひと)なしに秋の暮  芭蕉

      
   

松尾芭蕉という人はいなかった?

伊賀上野から江戸に出た芭蕉。
その時は、松尾桃青(松尾が氏、桃青は実名)。
のち臨済宗の仏頂河南を師として出家、松尾氏を捨てました。
そして芭蕉桃青と名乗りました。
「芭蕉」は仏道に入った後の号です。

簡単にいうと、芭蕉を名乗った後は、禅僧。
出家した時点で氏を捨てたわけですから
松尾桃青という人物はいなくなり、
芭蕉桃青という僧に生まれ変わったことになります。


現在の私達から見ると、出家して氏を捨てるということは
分かりにくいので、松尾芭蕉という言い方が定着したようです。

   (西行の連作歌を読む・高橋庄次より)


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彼も漂白の俳人?     鳥野

2007年08月07日 | Weblog
9道県を窃盗しながら俳句行脚・・・、中日新聞8月1日の囲み記事です。

岐阜県大垣市出身の58歳の男性を、ピッキング防止法違反で逮捕。5年間に北海道や東北、北陸で、103件の自販機荒らしをしていたというものです。

明らかになったきっかけは、彼の句帳。俳句が趣味で、数冊の大学ノートに数千の句を書き留め、各地の風景や一部の犯行も詠んであったそうです。

自販機の被害額5年間で320万円、といえば、ひと月5万円。慎ましい。

 彼はバールを振るとき、どんな想いだったんだろう。罪悪感?達成感?そして句は贖罪。

犯行が裏付けされたのは、敬愛する俳人・尾崎放哉の命日の4月7日に、犯行の柏崎市内で、故人を偲ぶ句を詠んだという供述からだったとか。

世が世なれば、車とバールが身近なものでなければ、彼も漂白の俳人。托鉢に出て、喜捨を両手で受ける暮らしだったでしょうに。

 なにはともあれ、句を読んでみたいものです。



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心うたれた原爆句と川柳       愚足

2007年08月06日 | Weblog
    朝雲のたかき静けさ原爆忌     下村ひろし
    向日葵が花頭を捧ぐる原爆忌    榎本冬一郎
    原爆の日の洗面に顔浸けて     平畑静塔
    日に透ける鶏冠血の色原爆忌    大橋敦子
 
    八月の雲をとことん嫌い抜く      佐々野紫泉
    被爆図に物見遊山の虚を衝かれ   坂元一登
    水かけてかけて被爆の子に詫びる  南 龍至
    原爆詩祈りのように読む小百合    川原清宏    
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