575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

新涼や乳茸の乳いでやまず       草女

2007年08月17日 | Weblog
 7月下旬から海上の森は夏の花と秋の花の端境期なので、きのこが目立つようになる。色といい、形といい観察する者を楽しませてくれる。
 あまりの数の多さに(現在3000種ぐらい分っていて、最終的に5000種に
なるという)きのこワールドに足を入れぬように自重してきた。
 ところが仲間のきのこ博士から手ほどきを受けて、ついつい同化されつつある。
 山と渓流社の「日本のきのこ」の序文に、現在では生物界を動物と植物に分けるのではなくて、菌類も入れて三つに分類する方向にあることを知った。
 きのこは植物ではないということだ。それは正しい方向であると思う。
 新しく、しかも膨大な世界。きのこの図鑑を買ってみたものの、引き方が分かっていない。海上のきのこの名前の半分も見つけていない。

 さて、先ほどのきのこに魅了されている彼女が「これチチタケ」といって傘の先で茶色のきのこを突いた。驚いたことに突いた箇所から真っ白な乳液がみるみるうちに出てきて、ポタポタ落ちた。
  図鑑に拠れば乳液は次第に褐色に変わり粘ってくるとのこと。それは甘くもあり苦くもあり、きのこも食用になるとのこと。栃木県ではチタケと呼ばれマツタケより珍重されているという。

 少し前、中日新聞に「キイボカサタケ」を食べて中毒死の記事が載っていた。このきのこは海上の森でもよく目にする。小さいけれど鮮やかな黄色でとんがり帽子。きのこの毒についてはよく分かっていない事が多いらしい。可愛いからといって素手で触れるのも用心した方が良い。
 木村拓也が演じるお毒見役のように、食べてすぐ変化が顕れる毒はほとんどない。時間を経て胃腸障害から始まるものが多い。私は口にしないけれど、きのこ中毒になりそう。 気をつけねば。
                    
 
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膝抱けば錨のかたち枇杷熟れる 坪内稔典

2007年08月17日 | Weblog
清水哲男の「増殖する俳句歳時記」に載った句です。
こんな解説がついています。

 錨、海軍、滅亡、沈没、死者、敗戦、夏・・・というふうに日本人の連想は続  く。

 夏と敗戦のつながりは決定的で、夾竹桃や百日紅からもすぐ敗戦を連想する人さ えいる。
 そういう日本人がいなくなる未来はどのくらい経ったらやってくるのだろう。
 テレビの街頭インタビューで日本がアメリカと戦ったということすら知らない
 若者が何人もいたが、これはにわかには信じがたい。
 日本人の大学進学率は確か七十パーセントを超える。
 第二次大戦は言わずもがな、ポツダム宣言あたりを知らなければ大学はおろか、
 有名私立中学にも受からない。
 あのテレビはやらせだ。

 この句は日本人の苦い連想の上に立っている。
 「膝抱けば」は死者の姿勢。沈んでいる遺骨への思い。
 同じ句集の中の「赤錆のわたしは錨草茂る」も同様の内容。
 この句では、陸の上にある見えている錨が描かれる。
 わたし即ち錨という発想だが、草茂るもあるし、
 わたし、日本人、戦争、夏、というイメージからは離れられない。
 作者もその効果を承知で構成している。
 『月光の音』(2001)所収。
  (今井 聖)

   

坪内さんは遅足とほぼ同年代。
錨を自分の体と同一視する技法で、戦争のイメージを
作り上げています。
取り合わせは、戦争とは縁のない枇杷。
その枇杷が熟れると。
熟れた枇杷の実は、いずれ落ちてしまいます。

私はこの句が戦争と関係していると分かりますが、
もう一回り若かったらどうでしょうね?
錨=海軍という連想はないのでは?


アメリカと戦争をしたと知らない若者は結構います。
やらせ、ではないでしょう。

戦争を自分の中にどう発見していくのか?
それを詩として発見する。
とても難しいことです。






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