575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

呆けて爺になる?    鳥野

2008年03月18日 | Weblog
「今年も山菜のてんぷらを食べに行こうよ」と誘いの電話。
大好物なんです。とりわけ蕗の薹。
栽培のタラの芽、輸入のワラビなどが出回っていますが、ここだけは本物と信じて里山の宿へ出かけています。

蕗の薹はフキが地上に芽を出したばかりの花茎。冬眠から醒めた熊が最初に口にすると聞きました。やっぱり春の使者。

歳時記には、蕗の薹の例句も数多く出ていますが、教えられたのは、「蕗のしゅうとめ」という呼び名。
「蕗のじじい」とも呼ぶそうです。

花茎が伸びきり呆けて、食べごろを過ぎた様子を表していて、成る程と感心しました。

  ・ 日陰にて蕗のしゅうとめ姿よき  香燿子

  ・ 路地裏の蕗のしゅうとめ立ち話  光晴




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卒業                 愚足

2008年03月17日 | Weblog
 NHK俳句で「卒業」をお題にした作品の紹介があって、40年近く教員をしていた私は「そうだったなあ」と懐かしく頷きながら視聴させてもらった。

  遅れきし子も息荒く卒業歌・・・・そうそう迎えに行ったこともあった
  初恋の以上完結卒業す・・・・気弱な子もいて最後にメッセンジャーもした
  卒業もせず征きて帰らざる・・こんな事はなくて良かったがこれからは?
  花束を鷲掴みして卒業す・・・今はどうしているやら?
ひとりづつ卒業式のよき返事・・悪がきも最後は決めた。
  もう一度兎抱きしめ卒園す・・・小学生にもそんな優しい子がいたなぁ。
  
 
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しゃぼん玉            愚 足

2008年03月16日 | Weblog
シャボン玉
野口雨情

  シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
  屋根まで飛んで こはれて消えた
 
  シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
  生まれてすぐに こはれて消えた
 
  風々吹くな シャボン玉飛ばそ

雨情は明治41年3月に先妻(高塩ひろ)との間に長女をもうけた。しかし長女はわずか7日で亡くなってしまう。彼の詞は、この悲しい事実がきっかけとなった、とも言われており、確かにその視点で「シャボン玉」を詠めば、雨情の一連の作品群を流れる「失われゆくもの」「失われてしまったもの」に対する情感が、この作品にも色濃く反映されていることがわかる。
 ところで、シャボン玉は歳時記にあり、春の季語となっている。
 シャボン玉はあの素朴な遊びとして人気もたかく。
 今では百円ショップも売られていて、ピストル型で速射が出来るものや、大型のシャボン玉の出来るものなどぃろぃろあって楽しい。

  流れつつ色を変へけり石鹸玉        松本たかし
  寄り目してシャボン玉ふく子どもかな    井上明
 


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つちふるや黥面の者ら鉾向ける  朱露

2008年03月15日 | Weblog

  つちふるは黄砂でゲイメンは刺青した顔。
  「男子大小となく黥面文身す」と倭人伝。
  刺青まみれの者らが本州島を侵略したか。
  92%縄文人の私の支配される側の論理。


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鶫            草女

2008年03月14日 | Weblog
 我が家の小さな庭にも餌に釣られて鶫(ツグミ)がたまにやって来る。ヒタキ科ツグミ亜科で中型の小鳥。秋北方から群れで渡って来て、やがて分散して人里に降りてくる。子どもの頃には渡るのをかすみ網で捕獲して食用にした。かすみ網が禁止されて久しいし、今では網の製造も禁止されている。しかし、つぐみの数は年々減っているという。
 俳句の世界では秋の季語になっているが、私たちがツグミを目にするのは冬になってからで、ことに今年は人里に来るのが遅れ二月末になってやっと姿を現した。
 いつも自然観察をしている森の仲間が憤慨しながら、こんな話をしてくれた。
 三月初旬、森林公園で釣り針にかかっているウグイスとツグミを発見。ウグイスは逃がすことが出来たが、ツグミは時すでに遅かったという。割り箸を笹薮の地面に刺しミミズを付けた釣り針に釣り糸を取り付けてあり、それにかかったという。
 仲間は怒って事務所に行ったがアルバイトなのでよく分からないと言う返事だったそうで、仲間の怒りは治まらない。
 そう言えば幼い頃近所のお兄ちゃんたちが野鳥を捕らえる仕掛けを夢中で話していたのを思い出した。戦後、食糧難の時代の話である。その中にツグミ釣りのこともあったと記憶している。
 しかし、あれから六十年もはや野鳥を捕らえて食する時代ではない。
 そんな仕掛けを作ることが出来るのは、私たちか私たちより年上の人間に違いない。多分面白半分に仕掛けたのであろう。が・・そんな人間にはそれなりの罰というものが必要であろう。次のような俳句を一万回書かせてはどうだろう。

  鶫死して翅拡ぐるに任せたり      山口誓子
  こときれし嘴に毛ふくみ鶫かな     宮野小提灯

 ツグミよ再び北に渡り繁殖し帰って来て欲しいと思う。
 どんなに美味でももはやツグミを捕らえてはならない。
 こんな切ない句を詠んではならない。
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色えんぴつ   麗

2008年03月13日 | Weblog
桜の開花予想が名古屋では26日に早まり嬉しい限り。
もうすぐ桜に再会できますね。

さて先日30年ぶりぐらいに自分のために色えんぴつを買いました。
ちょっとだけ塗りたいものがあり100円ショップで12色のセットを購入。
安いので発色はイマイチでしたが机の上に
ピンピンにとがったきれいな12色があるだけで華やいだ気分になれました。

庭が芽吹き動き始めました。楽しい季節到来ですね。「色えんぴつ」では字余りなのでクレヨンに変換して一句。

   春風に押されクレヨン買いに行く  麗
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3月句会近づく    遅足

2008年03月12日 | Weblog
19日が句会です。
今回の題詠は「春風(はるかぜ)」です。
春の風、春風(しゅんぷう)とも。

春の嵐や春一番のような激しい風ではなく、
のんびりとした、あたたかな風。

 春風や堤長(つつみなご)うして家遠し  蕪村

みなさんの春風は、どんな風でしょうね?

     

 姿見のなかに躊躇う春の風  遅足


    

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荻原教室・近況報告(4)       鳥野

2008年03月11日 | Weblog
荻原先生の「はじめての短歌教室」が開講してから一年余りが過ぎました。
受講生は約20人。時に欠席者があるものの、17人を切ることはありません。
案内書には、いつも「満席」の印。受付ではキャンセル待ちとも言っていないよです。
おそらく朝日カルチャーで一番の人気教室と思われます。

先日のブログで先生は、「はじめの頃に比較して佳作がかなり多くなったような気がする」と書いておられました。
すべて先生の指導のたまもの。

一首ごと、一人ごとに、懇切丁寧。時間オーバーもなんのそのという教え方。これで上達しなければ、余程の落ちこぼれと、
自戒をこめて、そう思います。

題は、ひき続いて「砂」「山」「迷」「渡」「流」「進」

先生のお作。

  ・ 楷書でも草書でもないまろやかな字が残るゆうやけの砂場に

  ・ 妻という山はますます雪ふかくこれは遭難なのかも知れず

  ・ 十代の闇はそれでもなつかしくひかりのなかに迷うこの齢

  ・ 翼なく鰭なきものを渡らせる川なのか罠なのかあなたは

  ・ ゆっくりと濃く流れゆく春をもつひとから届く二月の賀状

  ・ 縁なしの絹目の擦れて進まない時間のなかで歯を見せている

  
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名古屋女子マラソン         愚足

2008年03月10日 | Weblog
 住まいが名古屋女子マラソンのコースの近くにあるので応援に行った。
 ランナーには暖かすぎる気温で、最初のけん制レースのせいもあって、皆スローペースペースなのに苦しげだった
 注目のQちゃんは、10㌔地点のここでもうすっかり先頭集団から離されいつもと違って元気のなさが一目で分かった。
 沿道の人々は自分ごとのようにがっかりして、大声で励ましていた。
 おばあちゃんの一人が祈るように見送っていたのが印象的であった。

  祈るごと見送る老婆春マラソン
  春風に追い越され行く細き足
  首筋の汗を拭いて春疾走
  投げ捨てしスポーツドリンク風光る
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私の先生の句の読み方   遅足

2008年03月09日 | Weblog
私は、荻原裕幸先生の句は、季語をどうずらしているのか?
という観点で読んでいます。


 バス停に空のバス来る二月尽

二月尽という季語は、春。

 束の間のかげろふ立てば二月尽  森澄雄

この句は、季語に素直に詠んでいます。
バス停の句は、どうでしょうか?
自然のなかではなく、都会のなかに春がやってきた感じを
捉えようとしているのではないでしょうか?
満員ではなく、誰もまだ乗っていないバス。
始発でしょうか?
そこに早春の景を見つけた句だと読みました。


 紅き梅見に来て白き梅を見る

 白梅や力を抜いて立つてゐる

 春浅きからだを夜のポストまで

 春めくや受話器を顎にはさむ人

他の句も季語が、歳時記にある句と、どうずれているのか?
そのあたりを楽しんで下さい。
ずれてはいても、なんとなく納得できるように感じます。

    


最初の空のバスの句は、からっぽのバスなのですが、
私は、ソラから降りてきたバスと誤読して一句。

  からっぽの青空という春のバス  遅





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海坂や多米は白梅ざんばら髪   朱露

2008年03月08日 | Weblog

 海坂はウナサカで、藤沢周平の小説舞台。
 山形県鶴岡市一帯はまだ雪の中だろうか。
 多米はタメ。家のまわりは白梅が咲いた。
 ざんばら髪は剣客に斬られる悪人輩の頭。

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緑の鈴             草女

2008年03月07日 | Weblog
 植物仲間とわくわくしながら日間賀島にふぐを食べに行った。
 早く島に着いたので、仲間と植物探しの散策をした。
 人家のある通りの一軒にミドリノスズの鉢が吊るしてあった。
 花が咲いている。仲間に「これ菊科だって。」というと「嘘!!」と声がした。
 ミドリノスズはご存知の様に小さな球形の葉が連なって垂れ下がっている。
 その様子からグリーンネックレスとも、属名からセネシオとも呼ばれている。
 キク科セネシオ属半耐寒性多年草で南アフリカ原産である。
 緑のネックレスが何本も垂れ下がっている姿が好まれて、近所の家の軒先にもよ
吊るされているのを見受ける。
 私も図鑑でキク科と知ったとき「嘘でしょ!!」「何処がキク科なの!!」と思った。しかし今回花を初めて見て納得。
 直径一cmくらいの小さな花だが、キク科のコウヤボウやオケラの花をを思わせるキク科の花だ。

 日間賀島は暖かいのだ。思わなかった緑の鈴の花も見せてくれたし、ふぐも美味しかったし、日間賀島と仲間に感謝・感謝。
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野球の虫   麗

2008年03月06日 | Weblog

昨日は啓蟄とは名ばかりで真冬の寒さとなりました。
でも私の体の中の野球の虫が動き出し
名古屋ドームへオープン戦を見に行ってきました。

真っ赤な日本一のチャンピオンフラッグが掲げられた名古屋ドーム。
平日の昼間のゲームにもかかわらず
たくさんの野球の虫がはい出して来ていました。

昨日遅足さんが紹介して下さった
山川匠太郎氏の

    啓蟄やランチタイムの人ぞろぞろ  

をまねて 「啓蟄やオープン戦の人ぞろぞろ」  といった感じでした。
球春到来です。
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啓蟄    遅足

2008年03月05日 | Weblog


3月5日は二十四節季の啓蟄。
地中の虫が這い出てくる頃。
しかし街は、ほとんど舗装されて、虫など見たこともない有様です。
都会生活者としての俳人は、この季語をどう詠んでいるのでしょう?

 啓蟄や豆を煮るとて落し蓋     鈴木真砂女

 啓蟄や紙面にふえし外国語     藤井圀彦

 啓蟄やランチタイムの人ぞろぞろ  山川匠太郎

さすがですね。
最後の句などは、ビルの中に閉じ込められて(?)いたものが
地面に出てくる様子がコミカルに捉えられています。

 啓蟄のかゆいところに届かぬ手   遅足

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風物詩なんて言っておられない   鳥野

2008年03月04日 | Weblog
ベランダから見渡す遠景が何時になく濁っています。
気象庁はこのところ盛んに、黄砂の情報を流し、車の運転や洗濯物に注意するように、呼びかけています。

天気予報のネットを開けば、実況図だの予測図だのが、恐ろし気に表示されています。

黄砂が、これほど苦になり始めたのは、いつごろからか。
青空駐車の車のフロントガラスの汚れに驚いて、洗車したのは、せいぜい数年前からのことでした。

環境汚染、異常気象、などが激化の原因と言われていますが、発生地の砂漠や高原での凄まじさは、いかばかりか。
人や家畜の窒息死、農作物の大変な被害なども伝えられています。

俳句では、霾、つちふる、黄砂、つちぐもり、胡沙などが季語。春の風物詩になっています。

 ・ 黄砂いまかの楼蘭を発つらんか 藤田湘子

 ・ 太陽を遠きものとし霾ぐもり 浅利恵子

 ・ 長城の表裏山河ぞ胡沙に立つ 加藤楸邨

   ・ 黄砂越し白銀色に沈む陽をひととき遊牧民の眼差しでみる

   ・ 見の限りを濁り色にして霾降らせ砂漠の伝言運ぶ西風   鳥野
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