575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

酉の市人さらい居る鳥居かな   朱露

2009年11月21日 | Weblog


           十一月の酉の日に酉の市へ行った。
           手を引かれているので4、5才か。
           あの男は人さらいだよと母が言う。
           知らない男は人さらいだと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナナカマドの実         草女

2009年11月20日 | Weblog
 久し振りにせせらぎ街道を走った。郡上八幡のインターを降り、国道 472号へる。
 長良川の支流の一つである吉田川に沿っている。坂本トンネルを通ってやがては馬瀬川と名前を変える川上川に川は変わるが美しいせせらぎに沿って国道は走る。この街道に出会ってから度々訪れるのは、美しい水の流れがいつ来てもあるからだ。
 ところどころにナナカマドが街路樹としてうえてある。5~7月枝先に白い花を集めて咲く。秋には紅葉し赤い実を成らせる。バラ科ナナカマド属の落葉高木。温度が低い方を好むから、北海道や東北地方では多く植えられている。
 郡上市明宝辺りのナナカマドは葉も実もなかったが、西ウレ峠辺りのナナカマドには透き通るような実が残っていた。赤い実は私達には魅力的であるが、鳥達はいよいよ食べるものがなくなると赤い実を食べだす。文一総合出版の「野鳥と木の実 ハンドブック」によればツグミ類、アトリ類、ムクドリ類などが12~1月になってから採食するとある。また、レンジャク類が多い年には、街路樹でよく採食するそうだ。そんな光景一度でいいから見たいものだ。
 ナナカマドの名前の由来は大変燃えにくく7度かまに入れても燃えないというの
が、一般的。他に7ど焼くと良質な炭になるからというものある。Wikipediaにる
とナナカマドから備長炭ができるとあった。ウバメガシしか備長炭にはならないと思っていたので、広辞苑やネットで調べてみた。たった1つ、やはりWikipeiaの備長炭の記事の中に「本来樫による白炭のみが備長炭とよべるものであるが、製法等が広く伝わったことから、白炭全体に用いられるようになった。」 これを素直に信じられるか?他に調べる方法は? 品質表示が偽られる時代になった今、備長炭の原料がウバメガシだろうとナナカマドであろうとどっちでもいいか。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

侘助や生涯嘘を吐き通す    朱露

2009年11月20日 | Weblog

     先夜句会に出したら強烈に支持された。
     侘助を私と読みかえて納得と言うのだ。
     侘助は花も葉もこぶりの椿で冬の季語。
     侘助が文禄の役で持って来た椿だけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月句会の最終結果です。   遅足

2009年11月19日 | Weblog
出席が7人とちょっとサミシイ句会でした。
しかし、相変わらず、楽しいオシャベリの句会でした。


兼題「大根」

①大根の青首を抜く戦後処理(朱露)結宇・亜子・静荷・愚足・立雄
②大根がエコバックからのぞいてる(麗子)鳥野・朱露・遅足
③はふはふとまず大根をほおばって(晴代)能登・結宇・狗子・立雄
④大根とちくわの煮物今が好き(亜子)朱露・郁子・静荷・遅足
⑤長湯して鰤大根の味滲みる(立雄)鳥野・童子・能登・朱露・静荷・遅足
⑥さらさらと月日こぼれて大根炊く(静荷)能登・麗子
⑦大根の愁いを白く下ろしけり(遅足)鳥野・結宇・麗子・亜子・狗子・愚足・立雄
⑧おでん鍋底のダイコン争奪戦(郁子)麗子
⑨古伊万里に湯気も盛らるる煮大根(能登)童子・郁子・亜子・静荷・晴代・狗子・愚足
⑩大根剥いて指の細さの透けるかな(結宇)童子・郁子
⑪大根の土ついたまま朝の市(狗子)晴代


自由題

①漆絵の鞍を伝へて蒙古王(結宇)朱露・亜子・遅足
②時雨るるを波音と聞きひとり酒(能登)鳥野・愚足
③元気かと聞くだけのTEL母の秋(郁子)鳥野・能登・朱露・静荷・晴代・狗子・遅足・立雄
④山茶花や父母眠る坂の上(晴代)能登・麗子・郁子・亜子・狗子・立雄
⑤パンを焼く出窓に冬の日差しかな(麗子)童子・朱露・結宇・郁子・亜子・晴代
⑥雪女気を使いつつ現れず(朱露)麗子・狗子
⑦三つなら満開という帰り花(狗子)結宇・静荷・晴代・遅足・愚足
⑧露霜や便り待たるる朱鷺の婚(遅足)童子・静荷・立雄
⑨古都暮れて鹿鳴くころや帰らむか(静荷)童子
⑩小康を得しとの便り秋惜しむ(亜子)鳥野・結宇・郁子・愚足
⑪礼状に姉よりの柿描き添へり(立雄)能登・麗子

   

次回は12月16日(水)午後6時。安田屋。
投句は1句。兼題は「年惜しむ」です。

普段は出席が難しい方も、一年に一度の年末句会。
ぜひ、お顔を見せて下さいと、みなさんの声です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大根句会   麗

2009年11月19日 | Weblog
昨夜は、皆が大好きな大根の句が食卓に勢揃い。

朝市で売られている土のついた新鮮な大根から
エコバックに入れられて運ばれる大根。
時間をかけて煮られた大根には味がしみ、
おでん鍋では子供たちの大根争奪戦が繰り広げられる。
亜子さんが「今日の大根の句はどの句もみんな好き」とおっしゃって下さり
「今が好き」という幸せな人生を歩まれている様子がうかがえました。

遅足さんの「大根の愁いを白く下ろしけり」では
このブログでもよく登場された最愛の
お母様が10月に亡くなったことを知り女性陣の目には涙があふれました。
遅足さんがお母様に最後にかけた言葉は
「産んでくれてありがとう」。その声はきっとお母様に届いたはず。
息子からのその言葉を聞いて安心して旅立たれたことと思います。
心からのご冥福をお祈りします。
遅足さん、これからもお母様をしのぶ句を作って下さいね。

トップ賞は能登さんの「古伊万里に湯気も盛らるる煮大根」。
上等な大皿に品よく盛られた大根の煮物が皆の心をとらえました。

自由題では郁子さんの
「元気かと聞くだけのTEL母の秋」がトップ賞。
一人暮らしのお母様の娘家族を思うちょっぴり切ない秋。
大根句会はなぜか母を語る句会となりました。

句会の最後に遅足さんからみかんの差し入れがあり、ほどよい甘さと上品な酸味を
頂きました。お母様が植えられたみかんだそうです。合掌。

    母植えしみかんを友と食す夜   麗
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女郎蜘蛛立ち去る今朝の寒さかな   朱露

2009年11月18日 | Weblog

       三つ巣が出来てイキイキとぶら下がっていた。
       十一月の風雨で一匹消え二匹消え一匹残った。
       十八日の今朝リーダー格のヤツも遂に見限る。
       ズタズタの三つの巣がどうなるか見届けよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洋梨+生ハム   鳥野

2009年11月17日 | Weblog
果物屋の店先にラ・フランスがお目見えし始めました。11月になると食べ頃です。

と、思い出すのは、山形県の小野川温泉。米沢市郊外、吾妻連峰を遠望する山里の湯です。

ここにも、ご他聞にもれず小町伝説が。父の行方を追って東北に向かう途中に発見したというもので、
謎めいて、一興。源泉78度の開湯が古いのは事実のようです。

一泊した宿で、前菜の一品にと出されたのが、生ハムで巻いたラ・フランス。
これが鄙には稀なしゃれた美味しさでした。
メロンとは一味違って、しっとりとやさしい甘さが、生ハムの塩気によく合って美味。
夫はすっかり病み付きになり、晩秋を待つほどになりました。

洋ナシはあの形も面白い。最近は肥満型のシンボルにされて残念ですが、ふっくらとチャーミング。

 ・ ラ・フランスの婉なくびれにおゆび置き良からぬ思いの生まれる夜か

                             鳥野
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月句会の投句が集まりました。    遅足

2009年11月17日 | Weblog
今回の兼題は「大根」です。

①大根の青首を抜く戦後処理
②大根がエコバックからのぞいてる
③はふはふとまず大根をほおばって
④大根とちくわの煮物今が好き
⑤長湯して鰤大根の味滲みる
⑥さらさらと月日こぼれて大根炊く
⑦大根の愁いを白く下ろしけり
⑧おでん鍋底のダイコン争奪戦
⑨古伊万里に湯気も盛らるる煮大根
⑩大根剥いて指の細さの透けるかな
⑪大根の土ついたまま朝の市

   今日は

自由題

①漆絵の鞍を伝へて蒙古王
②時雨るるを波音と聞きひとり酒
③元気かと聞くだけのTEL母の秋
④山茶花や父母眠る坂の上
⑤パンを焼く出窓に冬の日差しかな
⑥雪女気を使いつつ現れず
⑦三つなら満開という帰り花
⑧露霜や便り待たるる朱鷺の婚
⑨古都暮れて鹿鳴くころや帰らむか
⑩小康を得しとの便り秋惜しむ
⑪礼状に姉よりの柿描き添へり

さて、どの大根が選ばれるのでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荻原俳句教室より   遅足

2009年11月16日 | Weblog
先日の教室での先生のお話です。
句はいずれも講座に出席された方のももです。


  みさご舞ふ紀伊の松島冬に入る

先生のコメント
紀伊の松島、という場所が、読者にあまり身近ではなく共感を呼びにくい。
そこで紀伊の風景にココロ打たれたことを素直に書く方法もある。
普通は使わない大げさな「うつくしい」という形容詞を使って

  みさご舞ふ紀伊うつくしや冬に入る

景色+地名+うつくし+季語
この方程式を覚えておくと良いのでは。

    

  マンションに蕾ふくらむ冬椿

先生のコメント
蕾には「ふくらむ」ということが、すでに含まれていると
考えたほうが良い。
普通は禁じ手の「たのしむ」を使う方法もある。

  マンションに蕾たのしむ冬椿

    
 

  小春日や矢印の指す峠道

先生のコメント
ちょっと遊びココロで、矢、飛ぶ、という連想から

  小春日や矢印の飛ぶ峠道

なろほど!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬田今新建材の家迫る   朱露

2009年11月16日 | Weblog

    標高二百メートルもない山脈が囲う。
    豊橋市東端の穀倉地帯その名も多米。
    収穫が終って烏の遊び場になる田圃。
    そのギリギリまで家とアスファルト。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いと俳句 ②         福山至遊(しゆう)さんのHPから 愚足

2009年11月16日 | Weblog
 大寒や転びて諸手つく悲しさ     西東三鬼

 足腰が弱って来ると転び易くなる。誰に当たることも出来ないことなので「悲しさ」と内に秘めるしかない。そこがまた悲しい。この悲しさの複雑さがこの句を救っているのかも知れない。形の上では鬼城の最初の句同様、言い過ぎだからである。

   此石に秋の光陰矢の如し       川端茅舎

 茅舎は四十歳でこの世を去っている。だから「老い」の句には当たらないかも知れない。前にも紹介したと思うが、この人は殆んどを病床で過ごした人である。多分常に死と隣り合わせに居る気分だったと思う。「光陰矢の如し」は大燈国師遺誡の中に見える言葉だが、出典はともかく、もう諺の域に達するほど人口に膾炙されている。それを俳句に使うのだから凄い。日の過ぎるのを早く感じるのは「老い」の自覚である、と勝手に解釈している。「うつろいやすいもの」としての時と、石の対比がいい。

   憩うとし枯野の石で尾骨打つ    佐野まもる

 西東三鬼の句と似ている。体の端々まで神経が行き届かなくなると同時に、反射神経も衰えて急な対応が出来ず、したたかに尾骨を打ったようである。笑って誤魔化す必要もなく、多分周囲には誰も居ない。それだけに自分が情けなくなるのである。

   日短し五慾のうちの四慾枯れ     飯田龍太

 何の慾が残っているかは言っていないが、五慾とは財、色、飲食、名誉、睡眠のことだという。多分食欲くらいは残っているのであろう。これは残りが枯れた状態を、ある意味で楽しんでいるとも取れる。いわゆる煩悩の数が減って来たので気楽なのである。「日短し」は冬の季語であり、単に日照時間が短いだけでなく、上の茅舎の「光陰矢の如し」とも相通ずるものがある。

   枯るる中われはゆっくり枯れんかな   林 翔

 これは、自分はまだ枯れていないと言っている。だけど確実に枯れかかっている。枯れ始めた人の強がりでもあるし、希求でもある。ゆっくり枯れる老い方は自分でも理想としているので、一緒に頑張りましょうと言いたくなる。

   朴落つる音の歳月過ぐる音       斎藤玄

 「朴」と聞くと前に出した茅舎が頭に浮かぶ。病床から句を詠む茅舎にとって、朴の木は最大の句材の提供者だったという。「朴の花」は落ちないでしぼむという。従ってこの音は朴の落葉の音である。これも老境とは一言も言っていない。しかも一瞬、何処で切るか迷う句である。直接嘆きの言葉はないが、朴の葉の落ちる音を何年も聞いて来たことで、作者もそれなりの年齢になっていることを想像させる。もしかすると癌の奥さんの看病の頃の作か。

 私は精神的な老いが一番怖い。肉体的には致し方ないが、精神的な若さで多少なりとそれを補うと同時に、できたら死の直前まで脳だけは瑞々しさを保っていたい。もし精神的に老いたら

   老いるには一夜で足りる公孫樹かな  福山至遊

ということになり兼ねない。その意味で俳句をやって良かったと心底思っている。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いと俳句 ①          福山至遊(しゆう)さんのHPから 愚足

2009年11月15日 | Weblog
「老い」は俳句に合うと見えて、老いを詠んだ句にはこと欠かない。私も俳句交換をしていた従妹に、「もう『老いる』という言葉は使いたくありません」と言われたことがある。しかし老いることは必ずしもマイナスの面だけではないし、もしマイナスにしか考えられないにしても、避けられないことだから直視する勇気を持った方がいいと思う。

   この秋は何で年よる雲に鳥      松尾芭蕉

 この句は元禄七年、大阪で詠まれている。奈良から大阪に入って間もなく寒気がしたらしい。しかしそれを押して俳句指導に当たっているうちに、漂泊の身が急に寂しく感じられて、この句の上五中七まではすんなり出来たが下五で苦吟する。「雲に鳥」は実景ではないが、これを付けて落ち着く(支考「笈日記」)。

 今では「鳥雲に」は春の季語に分類されており、北からの渡り鳥が帰る時のさまを表している。でもこれは句にもある通り、秋の句である。雲に鳥が吸い込まれるように消えてゆくさまは、自分の生命が消えてゆくようで、しかも旅の途中で非常に心細かったに違いない。だから「雲に鳥」で落ち着いたのであろう。

 この句の前には「菊の香や奈良には古き仏たち」と詠んで、まだ外を詠む余裕があった。揚句のあとは「この道や行く人なしに秋の暮」「秋深き隣は何をする人ぞ」と内面を詠むことが多くなり、そして「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を残して鬼籍に入る。

   鷹のつらきびしく老いて哀れなり   村上鬼城

 この「鷹のつら」は自分である。「哀れなり」とまで言ってしまっては言い過ぎだが、初心の頃の私には変に切れているより鑑賞し易かった。この人の句を知ったことは私の俳句人生にとって一大エポックであった。ついでにもう一句

   今朝秋や見入る鏡に親の顔      村上鬼城

 勿論、親の顔ではなく自分の顔である。これは別に老境を嘆いている感はない。驚いている。自分の顔がかくも老け、しかも親にそっくりだということを。「今朝秋」とは立秋の日の朝のこと。

   紅梅やすさまじき老手鏡に     田川飛旅子

 これも似た趣向である。ただ季が違う。以下に紹介する句でも、秋・冬と老境を合わせた句が圧倒的に多い。やはり春に始まる人生だとしたら、秋は下り坂に入り、冬で終わる。その意味で秋・冬とがぴったり心情が合うのだろう。この句は紅梅だから春である。多分紅梅というあの時期には唯一華やかさを見せている花だけに「老」との対比が成功しているのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒払暁月齢27.9 朱露

2009年11月15日 | Weblog

    十一月十五日晴天の夜明け前のこと。
    東の山並みに魔女が笑う唇が見えた。
    これは三日月だと分ることは分った。
    途端に面白くも可笑しくもなくなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「創造は醜」冬の朝大嵐    朱露

2009年11月14日 | Weblog

      豊橋の人中村正義は十年先輩の日本画家。
      三十ニ年前何と五十二才で亡くなられた。
      この人の絵を見て俳句を作る勇気が出た。
      名古屋に居続けたら私はどうなったろう?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンショウの実         草女

2009年11月13日 | Weblog
 海上の森のメインストリートから15mほど離れた茂みの中にサンショウの雌木があるのに気づいたのは何年も前のことである。木と木の間に赤い実があるのを見つけ双眼鏡を覗いて確かめた。去年も今年もこの時季になっても赤い実がみえない。そこで、仲間の2人がブッシュに分け入ってみた。彼等は一生懸命に働き、ポケットにサンショウのを入れて帰ってきた。藤の蔓が絡みついてサンショウを覆い、1本は助けたが、素手ではこれ以上できないという。ご褒美といってもいいサンショウの実をもらった。
 本によれば、若い実を佃煮にするとある。赤く熟し、光沢のある黒色の種子が弾けているものの香りはとてもいい。そこで、チリメンジャコに入れて佃煮にしてみた。種子は硬くガリガリし舌が痺れる。ジャコの量に比較してサンショウが多かったと反省。古事記歌謡の「みつみつし 久米の子等が垣本に植えし はじかみ口ひびく 吾は忘れじ撃ちてし止まむ」が頭に浮かぶ。このはじかみが サンショウかショウガは知らないが口ひびくの表現がぴったりの辛さである。
 ミカン科サンショウ属の落葉低木。別名をハジカミという。若い葉は薬味や和え
物、田楽に、若い実は実山椒として佃煮に、熟した実は粉山椒として蒲焼に欠かせない。また果皮は七味唐辛子の香料の一つであり、太い幹からすりこぎを作る。役に立つこと。
 それから1週間後、私たちはサンショウの近くを通りかかった。仲間の一人が植木鋏、鋸、軍手を用意していて、本格的に助けに入った。おかげで、またまたサンショウの実ををもらった。今度はプランターに播いて木の芽を作ろうとおもっている。うまく芽生えるといいな。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする