「老い」は俳句に合うと見えて、老いを詠んだ句にはこと欠かない。私も俳句交換をしていた従妹に、「もう『老いる』という言葉は使いたくありません」と言われたことがある。しかし老いることは必ずしもマイナスの面だけではないし、もしマイナスにしか考えられないにしても、避けられないことだから直視する勇気を持った方がいいと思う。
この秋は何で年よる雲に鳥 松尾芭蕉
この句は元禄七年、大阪で詠まれている。奈良から大阪に入って間もなく寒気がしたらしい。しかしそれを押して俳句指導に当たっているうちに、漂泊の身が急に寂しく感じられて、この句の上五中七まではすんなり出来たが下五で苦吟する。「雲に鳥」は実景ではないが、これを付けて落ち着く(支考「笈日記」)。
今では「鳥雲に」は春の季語に分類されており、北からの渡り鳥が帰る時のさまを表している。でもこれは句にもある通り、秋の句である。雲に鳥が吸い込まれるように消えてゆくさまは、自分の生命が消えてゆくようで、しかも旅の途中で非常に心細かったに違いない。だから「雲に鳥」で落ち着いたのであろう。
この句の前には「菊の香や奈良には古き仏たち」と詠んで、まだ外を詠む余裕があった。揚句のあとは「この道や行く人なしに秋の暮」「秋深き隣は何をする人ぞ」と内面を詠むことが多くなり、そして「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を残して鬼籍に入る。
鷹のつらきびしく老いて哀れなり 村上鬼城
この「鷹のつら」は自分である。「哀れなり」とまで言ってしまっては言い過ぎだが、初心の頃の私には変に切れているより鑑賞し易かった。この人の句を知ったことは私の俳句人生にとって一大エポックであった。ついでにもう一句
今朝秋や見入る鏡に親の顔 村上鬼城
勿論、親の顔ではなく自分の顔である。これは別に老境を嘆いている感はない。驚いている。自分の顔がかくも老け、しかも親にそっくりだということを。「今朝秋」とは立秋の日の朝のこと。
紅梅やすさまじき老手鏡に 田川飛旅子
これも似た趣向である。ただ季が違う。以下に紹介する句でも、秋・冬と老境を合わせた句が圧倒的に多い。やはり春に始まる人生だとしたら、秋は下り坂に入り、冬で終わる。その意味で秋・冬とがぴったり心情が合うのだろう。この句は紅梅だから春である。多分紅梅というあの時期には唯一華やかさを見せている花だけに「老」との対比が成功しているのだろう。
この秋は何で年よる雲に鳥 松尾芭蕉
この句は元禄七年、大阪で詠まれている。奈良から大阪に入って間もなく寒気がしたらしい。しかしそれを押して俳句指導に当たっているうちに、漂泊の身が急に寂しく感じられて、この句の上五中七まではすんなり出来たが下五で苦吟する。「雲に鳥」は実景ではないが、これを付けて落ち着く(支考「笈日記」)。
今では「鳥雲に」は春の季語に分類されており、北からの渡り鳥が帰る時のさまを表している。でもこれは句にもある通り、秋の句である。雲に鳥が吸い込まれるように消えてゆくさまは、自分の生命が消えてゆくようで、しかも旅の途中で非常に心細かったに違いない。だから「雲に鳥」で落ち着いたのであろう。
この句の前には「菊の香や奈良には古き仏たち」と詠んで、まだ外を詠む余裕があった。揚句のあとは「この道や行く人なしに秋の暮」「秋深き隣は何をする人ぞ」と内面を詠むことが多くなり、そして「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を残して鬼籍に入る。
鷹のつらきびしく老いて哀れなり 村上鬼城
この「鷹のつら」は自分である。「哀れなり」とまで言ってしまっては言い過ぎだが、初心の頃の私には変に切れているより鑑賞し易かった。この人の句を知ったことは私の俳句人生にとって一大エポックであった。ついでにもう一句
今朝秋や見入る鏡に親の顔 村上鬼城
勿論、親の顔ではなく自分の顔である。これは別に老境を嘆いている感はない。驚いている。自分の顔がかくも老け、しかも親にそっくりだということを。「今朝秋」とは立秋の日の朝のこと。
紅梅やすさまじき老手鏡に 田川飛旅子
これも似た趣向である。ただ季が違う。以下に紹介する句でも、秋・冬と老境を合わせた句が圧倒的に多い。やはり春に始まる人生だとしたら、秋は下り坂に入り、冬で終わる。その意味で秋・冬とがぴったり心情が合うのだろう。この句は紅梅だから春である。多分紅梅というあの時期には唯一華やかさを見せている花だけに「老」との対比が成功しているのだろう。