575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ボヘミアン・ラプソディー   麗

2018年11月15日 | Weblog
イギリスのロックバンド、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見て来ました。

フレディがエイズによる肺炎で亡くなったのは1991年のこと。
その頃はそんなにファンでもなかったのですが、その後「ボヘミアン・ラプソディー」という曲を知り、ロックとは思えないオペラ色のある斬新な6分にも渡る大曲を聴いてその才能に惹かれていました。

そして、今回の映画ではラスト20分が、伝説のライブを再現しているのですが、もう圧巻の一言でした。スターならではの孤独、葛藤、不安、絶望、祈り、そして愛が見事な音楽とともに味わえます。
45歳で亡くなったフレディが生きていたら今年72歳です。今の医療なら救えたかも知れませんが、その早すぎる死がますます彼を魅力的な伝説のスーパースターとして今も私の心を揺さぶります。

フレディだけでなく、他のメンバーもそっくりでまるでそこにクイーンがいるようでした。
「ラプソディ」は、狂詩曲と訳されますが、まさにボヘミアン、自由人のちょっと桁外れの感覚をぜひ、映画館でお楽しみください。

映画館から戻ってずっと「ボヘミアン・ラプソディーを聴いています。もちろん今も。

        小春空ボヘミアンらも眺めるか  麗
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11月句会がちかづきました。  遅足

2018年11月14日 | Weblog
今回の題詠は「冬はじめ」です。
11月の7日が立冬でした。
冬とはいえ、まだ寒さはそれほどでもありません。
穏やかに晴れた日が続きます。
しかし風はひんやりとして、朝晩は結構冷えます。
やはり冬なんだと気持ちが引き締まります。
そんな今頃を表す季語です。

具体的なものではなく感覚的な季語です。
その気分を詠むか?
あるいは視覚的なものを取り入れて詠むか?

どんな句が詠まれるのでしょうか?
楽しみです。

  冬はじめ男のシャツを買ひ足して 斉藤淳子

  冬はじめ捨つべきものを捨て始む 三浦美知子
  
  身のうちにひとつの火種冬はじめ 丸山哲郎
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さざんかやひとひら遠き訃のごとく  遅足

2018年11月13日 | Weblog

サザンカの花は、何時の間にか咲いています。
最初の一輪二輪は全く気付きません。
散った花びらによって開花を知っています。

今年も庭のサザンカが散りはじめました・・・
昨日の朝、遠き訃の知らせがひとつ届きました。


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動詞の数を減らす  遅足

2018年11月12日 | Weblog
 
江戸時代の俳人・高井几董は、自分の句

  藤散るや猶さかのぼる淵の魚

を推敲して

  白藤や猶さかのぼる淵の鮎

と直したそうです。

淵の魚→淵の鮎に。たしかに鮎のほうが具体的でイメージもはっきりして良いですね。
もう一つが、藤散る→白藤、に。こちらは動詞を減らして名詞に。
散文から一歩抜け出した感じがしませんか?

子供のころ、毎日、日記を書く様にいわれて苦労しました。
そして、①起きて②顔を洗って③ご飯を食べました。
と、順々に起きたことを書いていたのを思い出しました。
つまり「叙述」していました。

この叙述に忠実であろうとすればするほど動詞が多くなります。
逆にいえば動詞を減らせば散文ではなくなるとも・・。

俳句も短歌も定型詩。つまり、藤散る、と叙述しなくても、
白藤と名詞によって提示するだけで十分なのです。

と、これは、歌人の高野公彦さんが「動詞の数を考える」のなかで
書いていることです。
参考になったらと思って引用してみました。





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秋入日帰校児童の大荷物   静荷

2018年11月11日 | Weblog

いつの頃からか、小学生の登下校の荷物が増えていました。
學校までの道を重い荷物を背負って歩く1、2年生。
育ち盛りの身体にも良くないとも、指摘されています。
そんな秋の夕方の風景を詠んだ一句です。

名古屋市が「置き勉」を許可したとのニュースを読みました。
重い荷物を学校に置いておくことを許可したのですね。

私は、戦後間もない、ものの無い時代。
ランドセルに入れるものが、教科書以外にほとんどなかったです。
もちろん学習塾もありませんでした。
家へ帰ったらランドセルを放り出して、遊んでいましたが・・・

中七の、帰校児童?下校児童とも、どちらが良いでしょう? 遅足
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父、竹中 皆ニの短歌から ~「 湖北遊草 」② ~ 竹中敬一

2018年11月10日 | Weblog


父の第三歌集 「 しらぎの鐘 」( 昭和 57年 ) より


 金色 ( こんじき ) に輝く琵琶のみづうみなりき 今暮れゆく

  余呉のみづうみ


 寂かなる余呉のみづうみ渚まで 下りてゆかん此の昏れぐれを


 余呉のうみ深く湛へてしづまれり この寂しさは我を往かしむ


余呉湖は木之本に近い長浜市余呉町にあります。案内書によりますと、

余呉湖は南の賤ヶ岳によって、琵琶湖とは隔てられた周囲6キロ余り

の陥没湖。透明度が高く湖面が静かなため、鏡湖ともいわれている

そうで、今回 はじめて行ってみまましたが、確かにこの日も湖面は

穏やかで、鄙びた湖畔の風景を映し出していました。

羽衣伝説もあり、しばし時が止まったようでした。


「 永遠と木草 」( 昭和59年 ) より


 すぎし日の夏の旱に水位下り 暗くたたふる余呉のみづうみ


 現はれし水際の砂を踏みて歩む 余呉のみづうみ暗く妖しく


 曼珠沙華ひときは深きくれなゐが草むらに見ゆ曇天の下


父はこの曼珠沙華の他にも鶏頭、仏桑華、百日紅 、夾竹桃 、柘榴 など

赤色の花がどの歌集にも異常なまで出てきます。


 傾ける或は土に倒れ伏し 班班 ( はんぱん )として赤き鶏頭

「 しらぎの鐘 」

 倒れたるけいとうの花乱れつつ いま西の日をあまねく浴びつ

「しらぎの鐘 」

 仏桑華原色の花にして梅雨の曇りを払ふが如し
 
「木草と共に 」

 琉球の花 仏桑華うちつづく酷暑の日々に鮮やかに咲く

「 木草と共に 」

 あかあかと暑き光は照らしたり この一本のさるすべりの花

「 木草と共に 」

 この我の最も好む赤き花 梢高く咲く柘榴ならんか

「 永遠と木草 」

 もみじ葵 夾竹桃又百日紅のち道の辺に曼珠沙華咲く

「木草と共に 」



  写真は滋賀県長浜市余呉町の余呉湖 筆者 撮影


            



 曼珠沙華ひときは深きくれなゐが草むらに見ゆ曇天の下

曇天の下、という最後の七。最近の異常気象を思い重ねてしまいます。

そんな危機の迫った時ほど、美しいものはより美しく見えるのでしょうね。(遅足)

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長き夜の柱時計の狂い打ち 狗子

2018年11月09日 | Weblog

秋の夜長。柱時計が時刻を知らせていますが・・・?
狂っているようです。
今の時計は狂うことはほとんどありませんね。
この句に、不思議な雰囲気のあるのは「狂い打ち」という
下五のせいでしょうか?
子供の頃、真夜中に聞いた柱時計の音。
どことなく不気味な感じがしたのを思い出します。

  みじか夜や柱時計の音の謎  久保田万太郎

久保田万太郎の聞いた音もきっと同じですね。

ここ半世紀で身の回りのものが大きく変わりました。
若い頃は腕時計と万年筆を持つことがあこがれでしたが、
いまは、時計もペンも必要ありません。
スマホひとつで済んでしまいます。
確かに便利です。でも少し寂しい気もします。  遅足

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チェスト!  麗

2018年11月08日 | Weblog
「西郷どん」もいよいよ大詰め。

さて、このドラマのナレーションを担当している西田敏行がよく発した「チェスト!」という言葉。「がんばれ!」という意味くらいの方言かな?と思っていました。
ずっと気になっていました。国語辞典をひいてみるとちゃんと載っていました。

「外来語かといわれるが、語源は未詳。激励するときに発するかけ声。江戸末期、鹿児島地方からはやった」とのこと。

そして、先日来よりすっかりはまっている司馬遼太郎の「街道をゆく」の長州路を読んでいたら、このチェストという言葉が出てきました!

なんと、昭和10年くらいまで鹿児島地方では「チェスト!関ヶ原」というかけ声をかけており、小学校の綱引きでも正念場でこのかけ声が使われていたそうです。チャンバラごっこの時も「チェスト!関ヶ原」と叫んでいたとのこと。
なんでも、1600年の関ヶ原の役で島津兵千人が出陣、生還したのはわずか70人ということで「関ヶ原の恨みを忘れるな」という教えが子供の遊びにまで浸透して徳川300年を過ごしていたのです。

これが長州山口県になると「天誅だ!」とかけ声をかけてチャンバラごっこ。幕末の京都をふるえあがらせたこの奇声がはやっていたそうです。

恐るべし薩長のかけ声です。それでは皆さんも今日一日「チェスト!」
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先駆けか金木犀に回り道  結宇

2018年11月07日 | Weblog

先駆け、には2つの意味があると辞書にあります。

①全体の先頭に立ち、敵陣に攻めこむこと。

この辺りでは一番最初に咲くという金木犀。
今年も一番に咲いているだろうか?
ちょっと遠回りになるけれども、立ち寄ってみよう。

②他より先んじて物事の起こること。先んずること。 「春の-」

金木犀そのものが何かの先駆けである、という意味になります。
秋の先駆けとして読めば。
散歩中、金木犀の香が。ふと早い秋を感じて回り道を・・・

微妙にニュアンスが違いますが、
②の方が「回り道」の意味に味がでて、面白いかな?(遅足)

  先駆けの子供が出たり春の山  日原傳

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米びつを清め新米納めけり  すみ

2018年11月06日 | Weblog

新米の出回る頃、母の実家へ行くと、秋祭りの笛が聞こえてきました。
また、お米はとても大切に扱われ、こぼした時は、
最後のひと粒まで拾うように言われました。
そんなお米を大切にする気持ちの伝わってくる句です。

昔の農村は、自給自足の生活が原則。
主婦は大きな権限を持っており、とくに米櫃の管理は大切な仕事。
食事の支度は嫁にさせても飯米だけは主婦がはかって渡すという
習俗は、近年まで各地で行われていたそうです。
子供の頃、主婦連という団体があり、シンボルはしゃもじでした。

米櫃をめぐる嫁と姑の戦争の時代をへて、いまやお米からパン食が
中心の家庭も多くなっています。
そしてさらに100年。日本の食卓はどうなっているんでしょう?(遅足)
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中日歌壇

2018年11月05日 | Weblog
お帰りなさい!
今朝の中日新聞、宗匠登場です。 



   隠れ家のアンネが闇に幻視せしひとつに秋の日本の蛍


小島ゆかり選
  (評) 歴史に刻まれた悲しみと詩情。感情を控えた表現の清潔さが
      この歌にふさわしい。

おめでとうございます。
秋の蛍とアンネの発想は私などとても考え付きません。
かすかな点滅、繊細で素晴らしいです。郁子
 
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白萩や波間の虻の八艘跳び  能登

2018年11月04日 | Weblog

八艘跳び。源平合戦最後の壇ノ浦の戦いで、
平家の敗北を悟った平教経(のりつね)は、
敵の大将を冥途の道連れにしようと、
義経を目指して一人船を漕ぎ出していきます。
教経が「勝負!」と呼びかけるものの、義経は
闘いを避けるため、鎧を着たまま、ヒラリと宙を飛んで
傍らを通りかかった味方の船に乗り移ったといいます。
八艘跳んで逃げたことから八艘跳び、と。

萩の花が咲きそろっています。
風が吹くと揺れる様は白波のようです。
どこからか飛んできた虻。
波にのまれることなく飛ぶ様子を八艘跳びに喩えました。

白萩と波間をひとつにした方が良いかも知れません。

  白萩の波間や八艘跳びの虻

ちょっと説明的になりすぎたかも。(遅足)

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父、竹中 皆ニの短歌から ~「 湖北遊草 」① ~ 竹中敬一

2018年11月03日 | Weblog


父の第四歌集 「 永遠と木草 」( 昭和 57年 )の中の「 木ノ本 にて 」

より


  木ノ本にわれら来りて裏通り いちゃうの大木並立つところ


  いちゃうより眼移せば中空に 未だ輝かず白き半月


  たしかなる季の過ぎ行き梢高く 黄の残葉のいちゃう仰げば


  木ノ本の本陣なりし薬種屋に げんのしょうこをわが求めたり


木ノ本は湖北の旧伊香郡の中心地 、北国街道の宿場町として栄えた所

で今は長浜市。

私の思い出では、列車で若狭へ帰省する際 、北陸本線で木ノ本と敦賀

の間はとても雪深かった印象しか残っていません。

今回の車の旅では、まず木之本地蔵にお参りした後、北国街道沿いの

古い家並を歩きながら写真を撮ってきました

父の歌に出てくる「 ゲンノショウコ 」は、昔から下痢止めの薬草と

して使われています。

旧本陣は薬局になっており、明治26年、先先代の当主は日本薬剤師の

第一号の免許を取得されたとか。

近くの伊吹山は薬草の自生地としても知られています。


父の第三歌集 「 しらぎの鐘 」( 昭和 57年 ) の中の「 湖北遊草 」より


  びわのうみ その北岸をわれら行く 秋の光はけぶらへるなり


  たたえたる水あをぐろく晩秋の 光あびるびわのみづうみ


  琵琶の水 鈍き銀いろに光りつつ 湛へたりけり さざなみもなく

歌集「 木草と共に 」より



父は師と仰ぐ歌人 若山牧水の「 自分は自然の一部である。また、自分

は自然の裡 ( うち ) にある 」という考え方に共鳴していました。

父は「 自然に溺れた。平凡な雑木雑草に心を惹かれた。私の歌が平凡な

のは、あたりの自然が平凡なのと同じであろう。」と歌集の後記で述べ

ています。

琵琶湖周辺へも飽きることなく歌友と共にで出かけています。

その歌友に 「 同じ道でも四季によって感動が違う。去年と今年 、昨日

と今日、又朝と夕暮れとでも異なる。毎日毎日が新鮮である。」と

語っていたそうです。



  写真は琵琶湖 北岸 筆者 撮影


毎日毎日が新鮮である、という感性は素晴らしいですね。
とくに齢をとってからは。(遅足)
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冷やかや花びんに水の音そそぐ  晴代

2018年11月02日 | Weblog

冷ややか、は秋の季語。
秋も終わりに近づき、冬が迫ってくると
肌に触れる物や空気をひんやりと感じます。
この感触を冷やか、と言います。
「あの人の態度は冷ややかだ」などと使いますが、
これは季語ではありません。

この句、花瓶に水をそそぐ音、ではなく、
花びんに水の音そそぐ、となっています。
これはどういう意味でしょう?

冬の季語「寒し」は体全体に感じた寒さをいいます。
これに対して、冷ややか、は直接、肌に触れるというか、
たとえて言えば、ヴェールを通して感じる寒さのようなもの。
それを踏まえて、音そそぐ、と表現したのでしょうか?

皮膚感覚を聴覚に転じたところに工夫がありそうです。(遅足)

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秋うらら   麗

2018年11月01日 | Weblog
今日から11月です。今年もあと2ヶ月。平成の世もあと半年ですね。
先日、穏やかな秋日和。可児市にある花フェスタ記念公園に出かけました。
折しもバラ祭り開催中でさまざまな品種のバラを楽しめました。主人の両親を連れて行ったので、園内を観覧列車で移動しました。車窓からいろんな景色を堪能。この写真のコスモスも軟らかな日差しを浴びて、とても美しかったです。
寒くなる前の一瞬の行楽日和でした。

           軟らかき光受けとめ秋桜  麗
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