江戸時代の俳人・高井几董は、自分の句
藤散るや猶さかのぼる淵の魚
を推敲して
白藤や猶さかのぼる淵の鮎
と直したそうです。
淵の魚→淵の鮎に。たしかに鮎のほうが具体的でイメージもはっきりして良いですね。
もう一つが、藤散る→白藤、に。こちらは動詞を減らして名詞に。
散文から一歩抜け出した感じがしませんか?
子供のころ、毎日、日記を書く様にいわれて苦労しました。
そして、①起きて②顔を洗って③ご飯を食べました。
と、順々に起きたことを書いていたのを思い出しました。
つまり「叙述」していました。
この叙述に忠実であろうとすればするほど動詞が多くなります。
逆にいえば動詞を減らせば散文ではなくなるとも・・。
俳句も短歌も定型詩。つまり、藤散る、と叙述しなくても、
白藤と名詞によって提示するだけで十分なのです。
と、これは、歌人の高野公彦さんが「動詞の数を考える」のなかで
書いていることです。
参考になったらと思って引用してみました。