575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

9月句会の投句が集まりました。

2020年09月14日 | Weblog
兼題「蓮の実」
① 蓮の実や名乗りは「荷」(はす)と杖横に 
② 蓮の実の 色即是空 穴にあり 
③ 蓮(はちす)の実今に伝へし弥生の美 
④ 蓮の実の放たれてまた花となる 
⑤ 蓮の実や ベトナムの空 想い馳せ 
⑥ 台北の蓮の実の白夜店の灯(ひ) 
⑦ 蓮の実のひとつの飛んで謎ひとつ 
⑧ 行くひとを惜しみ実の飛ぶ蓮(はちす)かな 
⑨ 蓮の実の飛ぶを見たくて出かけたり   
⑩ 源氏の帖読み込み諳んじ蓮の実飛ぶ 
⑪ 蓮の実飛ぶ破顔の奥に如来の眼 
⑫ 蓮の実や次いつまみゆ空の青 
⑬ 蓮の実や次の世待てり泥の中 
⑭ 蓮の実や沼に突っ立ち水面見る 
⑮ 蓮の実の造形片岡珠子かな 


自由題・桔梗
① 惟任の 古城に咲けり 水桔梗 
② 瓶にさす暴風雨の夜桔梗かな 
③ むらさきの 星降るがごと 桔梗咲く 
④ 高原の風の入り口桔梗咲く  
⑤ 桔梗咲く庭にみろくの世界あり 
⑥ 慕情秘めふくらむ蕾花桔梗 
⑦ 桔梗をぽんと鳴らせり肩すぼめ 
⑧ 山桔梗母の羽織の桔梗紋 
⑨ 照りつける日にもきりっと桔梗咲く 
⑩ 石垣の桔梗語らせよ明智城 
⑪ 襟正し風の色きく桔梗花 
⑫ ぱんぱんの桔梗の蕾弾けんと 
⑬ 山積みの所狭し品桔梗の紋 
⑭ 「また来る」と桔梗一輪残されて 
⑮ 黒子猫桔梗の蕾狙う朝 






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美酒を詠む

2020年09月13日 | Weblog


松永貞徳<まつながていとく>江戸時代前期の
俳人であり歌人。母は冷泉「藤原惺窩」<ふじ
わらせいか>の姉。冷泉<れいぜい>家といえば
冷泉流歌道の家元です。そのため、貞徳は幼少
より連歌や歌学に親しみ細川幽斎に師事してい
たこともあります。この幽斎との繋がりで豊臣
秀吉の秘書となり、戦国の名だたる武将たちに
名が知られるようになります。

「皆人の 昼寝の種や 秋の月」<貞徳>

貞徳は、南北朝時代に分かれた下冷泉家に属し、
現在の冷泉家は、京都御所の北面にある同志社
大学より至近。和歌などの古文書は数万点とい
われ「冷泉家時雨文庫」として公家文化の研究
がおこなわれています。

話を戻します。貞徳は、俳諧は連歌や和歌を学
ぶための手段と考えていたようです。しかし、
俗っぽく親しみやすいため、俳諧を独立させ楽
しむ人々が現れます。

上記の貞門派と並ぶのが「西山宗因」<にしや
まそういん>の「談林派」です。宗因は、加藤
清正の家臣に側近として仕えていましたが、主
家の都合で浪人となり、大阪天満宮の連歌所の
宗主となります。この頃から、本格的に俳諧を
詠むようになり、やがて、井原西鶴とともに談
林派を代表する上方の人気俳諧師となります。

「世の中よ 蝶々とまれ かくもあれ」<宗因>

句意は「ケセラ・セラ」世の中などなるように
しかならない、蝶々のようにふわふわと浮かれ
楽しもう。厳しい庶民の生活を前向きに捉えた
明るさが人気を博したのかもしれません。

俳諧は、室町時代より続く連歌に滑稽な部分を
設け、場の緊張を解き笑いを生み出すことが目
的でした。つまり、俳諧には通俗的な滑稽感が
必要。この低俗な俳諧を文芸作品の域にまで高
めたのが松尾芭蕉です。

芭蕉は、生涯で982の俳句を残しています。し
かし、最大の功績は、連歌では添え物でしかな
かった俳諧を、上質な美酒にまで蒸留させたこ
とではないでしょうか。

写真と文<殿>
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植富

2020年09月12日 | Weblog


富安風生<とみやすふうせい>豊川稲荷で知られる
愛知県豊川市で生まれ、時習館高校を経て東京帝
国大学の法科を卒業します。九州の赴任先で「吉
岡禅寺洞」<よしおかぜんじどう>より高浜虚子を
紹介されたことから俳句に興味を持ち、母校であ
る東大俳句研究会の結成に尽力します。

風生は、やがて逓信省内の俳句雑誌「若葉」の主
宰者に抜擢されます。そして、ホトトギスの僚誌
である「破魔弓」が「馬酔木」に改題した際、水
原秋桜子と虚子の弟子になります。

風生は、水原秋桜子、高野素十らが持つダイナミ
ックな句風とは一線を画した感があり、師である
虚子も風生の句集「草の葉」の序文で「温雅、穏
健」と評しています。風生は、すべてあきらかに
する表現を避け、読み手の心の広がりを待つ茫洋
とした句風を得意としていたようです。

「よろこべば しきりに落つる 木の実かな」<風生>

上記は風生の代表句。ホトトギスを除名処分され
た「杉田久女」<すぎたひさじょ>は「喜べど 木の
実も落ちず 鐘涼し」と対立する風生の句を揶揄し
ています。しかし、この句を詠んだ風生は笑みを
浮かべ頷いていたそうです。風生は植物に詳しく
「植木屋 富安」から「植富」という愛称で、その
温厚な人柄は他門の俳人からも愛されていました。

官を辞した風生は、山中湖で過ごすことが多くな
ります。そして、地元の句会「山中湖 月の江会」
で活動。なお、風生に関する書籍や愛用品などは、
「風生庵」<山中湖 文学の森公園>に展示されてい
ます。http://bungakunomori.jp/

余談ですが、知人に風生の子孫がいます。豊川の
生家には観光バスが訪れるとの由。しかし、文化
不毛の地といわれる三河。腰丈ほどの石碑がある
のみ。ちなみに、彼女は俳句に興味がなく、風生
の新たな逸話を聞くことは叶いませんでした。

富安風生 享年95歳。2月22日が「風生忌」辞世の
句は最後の句帳から抽出されています。

 「九十五齢とは 後生極楽 春の風」<風生>

写真と文<殿>
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滝しぶき苔皆立ちて踊りたる (竹葉)

2020年09月10日 | Weblog
先月の句会での竹葉さんの一句。
苔が立って踊るという未だ見たこともない表現に脱帽しました。

では皆様からの一言です。
郁子さん「勢いのある句であると同時に水上、水面の丁寧な映像が複眼で浮かぶ。
   踊りたるというおさめかたも好きです。」

フライフィッシングが趣味の殿さま 「岩を掴む指先に広がる情景が浮かびます。」
泉さん「苔は水を浴びると色も鮮やかになり生きかえる。滝しぶきなのでたくさん水を浴びて踊
る感じである。」
能登さん「見たことがある事象ですが、中7~の表現がいいですね。」
等さん  「句の主語は苔ですが、これでは滝の水が踊っているようです。語順に再考を・・。」

ようやくしのぎやすくなってきました。苔のような微細なものにも目を向けられるようになりそうです。
我が家の庭ではぽつぽつと朝顔が咲いてくれます。新しい一日の始まり。コロナでなかなか楽しいことができませんが、ささやかな日常を大切にして過ごして行きましょう。麗子

コメント (1)
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9月16日は静荷さんお別れ句会 

2020年09月07日 | Weblog

俳号「静荷」は嫁ぎ先が蓮根の産地・愛西市。
蓮の花の咲く美しい里だったことに因んだもの。
そこで兼題は蓮の秋の季語「蓮の実」となりました。

植物の多くは花を咲かせ、実をつけます。
花が枯れた蓮は、茎が分厚くなった花托(かたく)が大きくなります。
そして表面にたくさんの通気口となる穴が空き、
この穴の中で、どんぐりのような緑色の実が育ちます。
これが蓮の実です。

蓮の実は、トウモロコシのような食感があって美味しいそうですが、
私はまだ食べたことがありません。

また、自由題は「桔梗」とします。遅足
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猫の素顔

2020年09月06日 | Weblog


夏目漱石。「吾輩は猫である」の著者。本名
は夏目金之助。政岡子規が「七草集」という
俳句の文集をまとめ、漱石が書評を添えたこ
とが縁となり二人は生涯の友となります。ち
なみに「漱石」とは唐の語句で「変わり者」
という意味。素顔の漱石は気分屋でシニカル
な一面があったようです。

「朝貌や 惚れた女も 二三日」<漱石>

漱石は、創設されたばかりの帝大の英文科を
卒業。高等師範学校の英語の教師となります。
しかし、肺結核を発病し辞職。転地療養を余
儀なくされ、四国の松山で中学校の教師とな
ります。都落ちともいえる転身。小説「坊ち
ゃん」でも江戸っ子の自尊心から物事を見つ
めています。結末の卵は自らの不甲斐なさに
ぶつけた比喩のような気がします。

療養後、東京へ戻った漱石は、文部省より英
国への留学を命じられます。しかし、ロンド
ンの下宿に籠り、公務と異なるシェークスピ
アの研究に没頭。神経衰弱と胃潰瘍が悪化し
たこともあり帰国を命じられます。

「罪もうれし 二人にかかる 朧月」<漱石>
(ロミオとジュリエットより引用)

帰国後の漱石は帝大の英語講師を命じられま
す。しかし、前任者のラフカディオ・ハーン
の解雇に反対する学生運動が起こり、漱石は
不貞腐れたような句を詠んでいます。

「能もなき 教師とならん あら涼し」<漱石>

やがて、柳原極堂が発刊する「ホトトギス」
に猫の視点で描いた「吾輩は猫である」を発
表。そして「坊ちゃん」により日本文学界の
寵児となります。「英書と漢書を自在に操る
逸材」と子規は漱石を高く評価しています。
漱石は「吾輩は猫である」を執筆するとき、
日本語と英語で文を考えたといわれています。
知られざる「猫」の素顔かもしれません。

写真と文<殿>
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俳句の穴

2020年09月05日 | Weblog


河東碧梧桐<かわひがしへきごとう>は松山藩
の生まれ。日本海軍の頭脳といわれた「秋山
真之」<あきやままさゆき>とは幼馴染の友人
です。余談ですが、秋山真之も文士を目指し
ています。しかし、学費の捻出が難しく兄で
ある好古<よふる>が軍人であったことから海
軍に入ります。「我、敵艦見ゆ 本日天気晴朗
なれど 波高し」日露戦争で有名な電文は真之
により生まれています。

話を戻します。碧梧桐は、松山東高校で同級
生だった高浜虚子と正岡子規の弟子となりま
す。碧梧桐と虚子は「子規の双璧」といわれ
るほどの盟友。しかし、子規の没後、虚子は
伝統的な俳句に固守します。

碧梧桐は、伝統に捉われない「新傾向俳句」
を提唱。自由律俳句誌「層雲」の荻原井泉水
<おぎわらせいせんすい>と共に、虚子と激し
い論戦を繰り広げます。ところで、虚子は子
規の逝去を碧梧桐に真っ先に知らせています。
論敵であっても友情に変わりはなかったよう
です。

「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」<碧梧桐>

虚子は赤い椿と白い椿が地に落ちている色を
詠んでいる静止画と解釈。碧梧桐研究で知ら
れる栗田靖は、赤い椿と白い椿の花が落ちて
ゆく動画と解釈。しかし、碧梧桐の前に椿な
どなく生命の絶頂の刹那を詠んだ心象風景か
もしれません。俳句は作者の手を離れると自
立して歩きだします。解釈の自由。深淵な俳
句の穴を覗き見る感。

写真と文<殿>
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空蝉や思想史の書にじりじりと   結宇

2020年09月04日 | Weblog

空蝉という文字から「虚しい」という感じが伝わってきて、
厭世観みたいなものにつながりそうでした、
そんな時の「思想の書」は関心 を持ちましたが、
あまりにも大きな問題で、戸惑いました。

この場合は、まず宗教史が浮かびましたが、
宗教思想史を学ぶということは
自分がどのような価値観で生きているのか、
何を目的として、どこに向かって生きるのかを考えること。

社会思想史は「人間社会を歴史的にどのように位置づけ、
これからの人間社会をどのように構築したいか」を考えること。
だそうです。
と、考えるだけでじりじりしてきます。千香子さん。


空蝉の句とともに投句された自由題の句。

  虫食いに文字と認めし夏落ち葉

虫食いのあとを文字と思ってしまった、とあります。
本がスムームに読み進めない苛立ちがあるようです。
思想史の本、読んだ先から頭から抜けてゆく。
そんな感じを季語の「空蝉」に託しているのかも知れません。遅足
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片岡球子の面構え ( つらがまえ )  竹中敬一

2020年09月04日 | Weblog

昨夜、片岡球子の絵に出てくる富士山の夢を二回も見ました 。

球子氏は日本画の巨匠 小林古径から “ あなたの絵はゲテモノと

言われているが、構わずその画風を変えないで “と言われたそうで、

富士山シリーズなどその大胆で力強い作風は存在感があり、今も

人気があります 。

私が特に気に入っているのは、「 面構え 」シリーズです。

徳川家康や北斎、世阿弥などその特長をよくとらえた構図 。

それらは球子氏ご自身の画家としての面構えにも見えます 。

政治家にも面構えが必要だと思います 。

戦後では吉田茂 、田中角栄くらいか 。

今の総理候補には残念ながら見当たりません 。強いて言えば石破氏か 。

私の勝手な推測です 。

片岡球子氏には愛知県立芸大の教授をしておられた平成 3年、ハイビジョン

番組「 名古屋城障壁画の復元 」を制作した時、お世話になりました 。

当時、すでに名を成していた県立芸大の先生方を率いて障壁画の復元に尽力

されていました 。

この様子を追った番組 ( デレクターは遅足さん ) はハイビジョン国際映画祭

1995年のユネスコ賞最優秀賞に選ばれました 。

その報告もかねて神奈川県藤沢市のご自宅を訪れました 。

何しろ、県立芸大の教え子たちも球子先生から一喝されない人はいないと

聞かされていただけに、とても緊張していました 。

しかし、お目にかかって見ると とても気さくで礼儀の正しい方だと思いました。

後日、和紙に毛筆で御礼の手紙をいただきました 。



片岡球子氏から送られてきた手紙の一部 。
和紙に毛筆で球子氏らしい勢いのある書体です 。


この時 、85歳 。

片岡球子氏は長生きされ、平成20年102歳で亡くなられています 。
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盆支度母の残した料理帖 麗子

2020年09月03日 | Weblog
この夏は、春に亡くなった母の初盆でした。コロナ禍にあって悩みましたが、車で帰省することにしました。

母はとても几帳面な人で、季節の行事の献立や法要の際のお料理などきちんとノートに書いていました。(私の結納の時のメニューも。)
そしてお盆には、先祖の供養に毎年かわいいおままごとのようなお霊供を作っていました。

「精進料理だから、出汁にかつお節は使っていけない」という言葉を思い出しながら、今年は私が昆布と干しシイタケで出汁をとりました。
器の並べ方(飯椀、汁椀、平椀、高杯、壺椀)や、お箸を仏壇側に向けてお供えすることもそのノートにきちんと書いてありました。
宗派によってさまざまですが、初盆なので私も母の真似をして作ってみました。晩年、何も食べられなかったので私なりの供養です。

玄関先で迎え火を焚いて、家族で母の霊を迎えました。初盆の夜、家族で母の懐かしい文字を見ながら母をしのびました。

最初に「盆支度母の残したノート見て」という句をつくりましたが、遅足さんに推敲するようアドバイスをいただき「料理帖」にしました。思いがけずたくさんの票をいただきありがとうございました。麗子
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うしろ手を真似てわらべの梅見かな   静荷

2020年09月02日 | Weblog

  2010年の句。
子供を観察する目。時に、ちょっとやさしく。

そして男性に対してはキビシイ。

  母さんと老妻を呼ぶ半夏生  2009年の句。

自分に対する時、ちょっと距離を置いて。

  うかうかと生きて今年も落葉掃く 2007年。

  いずれも塔句会(民放のOBが集まってつくった会)より。


退職後、家庭菜園で野菜つくりに熱中。
その中から句が生まれました。
それが自然を見る目を育てていきます。

  貸農園賑はひ去りて雉子(きぎす)鳴く  2004年。

  田起しの済みて畝間に陽の余る      2007年。

  いっせいに空に声あげ犬ふぐり      2009年。
                    いずれも塔句会より。

  田起しの句はとても良い句で好きです。
  ありがとうございました。お疲れ様でした。遅足
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ままごとに金魚をきざむさみしくて   静荷

2020年09月01日 | Weblog

昨日に引き続き、静荷さんの句を紹介します。
2015年5月にブログでも紹介した句です。

  ままごとの飯もおさいも土筆かな  星野立子

ままごと、といえば、この句を思いだします。
しかし、静荷さんの句の子どもは、金魚を切り刻んでしまいました。

さみしくて、と下五にあります。
子供がさみしかったからなのか、あるいは、子供は無頓着で、
作者のさみしさに主眼のある句なのか?

実際にあったことを詠みました、と作者。
名古屋大学の学生の殺人事件を想いだしました。
大人になると、すっかり忘れていますが、
子供の頃、小さな生き物を沢山殺してきました。
そうして命というものを理解していくのでしょうか?
人間には残酷な一面があるようです。
ままごとで殺すのではありませんが、こんな句も。

  金魚死なせ死なせては子の健やかに  林 翔

                      (遅足)
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