前回訪れた太田宿から二里。御嵩町伏見にある太田宿です。ここは太田の渡しが川止めになると旅人であふれたそうです。現在は本陣もなく伏見公民館の前にこの碑があるのみで街道の面影は少ないです。古い伏見郵便局跡にパンフレットなどが少しおいてあります。でもしばらく行くと正岡子規の句碑がありました。
「すげ笠の生国名のれほととぎす」子規
子規は伏見に宿泊し新村湊から木曽川を下りました。明治の人も通った中山道。次回は御嶽宿をご紹介します。その後はこの暑さでしばらくお休みです。麗子
前回訪れた太田宿から二里。御嵩町伏見にある太田宿です。ここは太田の渡しが川止めになると旅人であふれたそうです。現在は本陣もなく伏見公民館の前にこの碑があるのみで街道の面影は少ないです。古い伏見郵便局跡にパンフレットなどが少しおいてあります。でもしばらく行くと正岡子規の句碑がありました。
「すげ笠の生国名のれほととぎす」子規
子規は伏見に宿泊し新村湊から木曽川を下りました。明治の人も通った中山道。次回は御嶽宿をご紹介します。その後はこの暑さでしばらくお休みです。麗子
あじさいや母のピアノにぬれている
これは、2009年6月の ブログにあった遅足さんの 句です。
それを参考にして
あじさいや「いぬふぐり」の歌にぬれて
としてみました。
いぬふぐりの歌は、1950年朝鮮戦争が勃発し米軍が日本の基地から参戦した時に、戦争反対をと東大音感合唱団のすずきみちこさんが作詞作曲したもので、歌声喫茶などなどで歌われたそうです。
すずきさんの実家の奉公人で兄のように慕っていたくにさんが、南方の戦場で餓死したことに衝撃を受けて 作った歌だそうです。
一番 丘は今も柴山いぬふぐりも咲いている………
三番 くにさんは戦争に行ったいぬふぐりをほうりつけて行った……
五番 いぬふぐりを忘れない 戦争の悲しさを忘れない 戦争が起こらんようにする
となっております。
分かりやすくするために
いぬふぐり平和を願い合唱す九条守れの舞台に立ちて
としてみました。
5月に守山9条を守る会16周年の会で歌われたとき、夫もこれが自分には最後の舞台だと言って合唱に加わりました。
いぬふぐりが単に可愛らしい花だけではなくなりました。 千香子
今回少し読み取れない部分があったかもしれない泉さんのこの句。
実は注釈とともに投句をしてくださっていました。ご紹介します。
紫陽花は、またの名を七変化という、もちろん 夏の季語である。色が次々と変わっていくのは 見ていても楽しい。私もよい方に変化したい。
同じように紫陽花の花の色が変わっていく様子を詠んだ句に正岡子規のがあります。
紫陽花やきのうの誠けふの嘘 正岡子規
(紫陽花が昨日とは違う色に変わっていて、まるで昨日の色が本当で、今日の色が嘘のようだ。)
紫陽花や赤に化けたる雨上がり 正岡子規
(紫陽花が藍色だったのに雨があがると赤に変わっていた。)
正岡子規の句は、さすがに心ひかれるとともに奥が深くて感心するばかりです。 泉
なるほど、そこで紫陽花の異名である ”七変化” を使われたというわけですね
我もまねたいというのは正岡子規にあやかりたいということだったでしょうか
それとも、何か変身願望があったのかな。 またいつか教えてくださいね。 郁子
名古屋の皆様、格別の災難気味の暑さお見舞い申し上げます。
千葉は陽のきつさの割に気温はまだ35度行くかどうかというところで、今朝は千葉公園の大賀ハスを見に行ってきました。水の上に咲く大輪の蓮の花は大きな葉の茂る中で、ほんとに極楽のように別世界を感じさせてくれました。大賀ハスはもうご存知でしょうか。
大賀ハスは世界最古の古代蓮で、千葉市の天然記念物に指定されています。というのは千葉市内の旧東大農場の遺跡から、1951年に見つけられた蓮の種3粒のうちの一粒を、大賀一郎博士が花咲かせたものです。
この遺跡の場所は、戦時中から戦後も 燃料不足を補う草炭が取れたので、たまたまそれを掘っていた泥炭質の地層(地下6m)から舟が発掘され、更に蓮の果托 が見つかったことから大賀博士が目をつけ、ボランティアたちの発掘が行われたそうです。これは2000年前以前のものであり、雑誌ライフに載って世界的に話題になりました。今では日本や世界各地に移植される平和の使いになっています。
花の特徴は一重咲きで花弁は少し細長いようです。
私が初めて蓮の花に出会ったのは、大学一年生の時父の故郷を二人だけで旅行につれてもらった時のことです。米子の蓮の田で桃色の大きな花や大きな蕾が目より高い所に咲いていました。その大きさに本当に感動して、蓮を見ると、若かった父と感謝を伝えていなかった事が思い出されます。
皆さんは蓮の花にどんな思い出がありますか。
蓮の葉に父とふたりでゆらり夢 竹葉
ローカル線のひなびた駅に降りたったのは自分ひとりだけ。千香子さんは情景が浮かんできて寂しさがひとしおとの感想でした。以下等さんからです。
道端や家庭のお庭にはいろいろな花が咲いていますが、この時期は何といっても鮮やかなのは「紫陽花」です。中でも私は可憐で淑やかな白い紫陽花が一番好きです。
お題を頂いたとき、まず頭に浮かんだのは、お殿様が亡くなった時、多くのお小姓が殉死した「定光寺」にもあったでしょう「白い紫陽花」です。
しかし今は免許証がないため、それを確かめることが出来ず、全世界を揺るがしているウクライナ戦争の犠牲者を慰める方向へと変えることにしました。
これでは余分なところが多い感じです。
これをさらに整理しました。
そしてこの句を兼題として投句することにしましたが、直前になっても“それで良かったのか”との思いが消えませんでした。
しかし6月9日、長年掛かっている内分泌内科のお医者さんが高蔵寺にあり、ここで首の動脈検査をするというので、高蔵寺から定光寺へ行くことにしました。そして高蔵寺からの帰りに「定光寺駅」で降り、歩いて定光寺へ向かいましたが、この日はお天気が良くて10分ほど歩いて”とてもとても“と諦め、運よく無人駅の周りに紫陽花も咲いていたのでこれをテーマに切り替えました。
これでは紫陽花のことしか詠んでいない「単純写生」で、無人駅や紫陽花の淋しさも出ていません。
これでもまだ情緒がありません。歳時記を調べてみたところありました。「紫陽花」は「手毬花」とも言うそうです。
そうなれば「客は一人、毬をつく人も一人」です。
こうして「兼題」には「無人駅」の句を、「自由題」には「白い紫陽花」の句を当てることにしましたが、さて如何だったでしょうか。 等
亜子さんのご指摘として、手毬花は紫陽花とはまた別の植物で、実際にあるとのことでしたが、
一人ぼっちでつく毬の寂しい音がオーバーラップしてきてこの花がとてもきいているように思いました。
ちなみに等さんの自由題は
泪して白き紫陽花揺れ止まぬ 等
遅足さんがとられています。 郁子