【まくら】
題名は主人公馬太郎の仇名に由来する。文政年間(1818~29)mの初期に渡来した駱駝を始めて見た人たちは、まずその図体の大きいのにびっくり、やがて駱駝はのそのそと、ただ食べてばかりで、何の役にもたたないものと速断。そこで早速、怠け者の大男、つまり馬公のようにぶらぶら暮らしている、役に立たない男の仇名に利用した、というわけ。
この噺の最も難しいところは、(聴き手にとっては面白いところは)酒の為に二人の性格が逆転する場面である。
【あらすじ】
とある長屋に住むのが本名を「馬」、あだ名を「ラクダ」と言う男。
そのラクダの長屋に、ある日兄貴分の「丁目の半次」がやってきた。
返事が無いので入ってみると、何とラクダが死んでいる。
そう言えば、夕べ会ったときにフグを持っていたが、さてはそいつに当たったのか……。
「兄弟分の葬儀を出してやりたい」、そう思った半次だが金がない。
考え込んでいると、上手い具合に屑屋がやってきた。
早速、その屑屋の久六を呼んで室内の物を引き取ってもらおうとするが、久六はラクダ宅の家財道具の状態を全て言い当てて断ってしまう。
訊くと、何回もガラクタばかりを引き取らされたらしい。
ますます困る半次。と、その頭にあるアイディアが。
「月番を呼んで来い」
久六を月番の所に行かせ、長屋から香典を集めて来るよう言いつけさせるのが半次の魂胆。
久六は断るが、仕事道具を取られしぶしぶ月番の所へ。
月番は、「一度も祝儀を出してもらった事はない」と断るが、結局「赤飯を炊く代わりに香典を集めてくる」と了承した。
安心した久六だが、ラクダ宅に戻ると今度は大家の所に通夜に出す料理を届けさせるよう命令された。
ところが、ここの大家は有名なドケチ。そのことを話すと、半次は「断ったらこう言えばいい」と秘策を授ける。
「死骸のやり場に困っております。ここへ背負ってきますから、どうか面倒を見てやってください。
ついでに『かんかんのう』を踊らせてご覧に入れます」
仕方なく大家の所へ行った久六。大家は「家賃を何年も貰っていない」と断り、すかさず久六が「かんかんのう」の話をすると「やれるものならやってみろ!!」。
久六がそのことを伝えると、何と半次は久六にラクダの死骸を担がせ、本当に大家の所へ乗り込んでしまった。
そして、死骸を文楽人形のように動かし、久六に歌わせて「かんかんのう、きゅうのれすー」。
本当にやると思っていなかった大家、縮み上がってしまい、料理を出すよう約束した。
これで解放されたと思った久六。
だが、今度は八百屋の所へ「棺桶代わりに使うから、漬物樽を借りて来い」と命令された。
しぶしぶ行くとやはり八百屋に断られた。
「かんかんのう」の話をすると先ほど同様「やってみろ」と言われるが、つい今しがた大家の所で実演してきたばかりだと言うと「何個でもいいから持って行けー!」。
これで葬式の準備が整った。久六がラクダ宅に戻ると、大家の所から酒と料理が届いている。
半次に勧められ、しぶしぶ酒を飲んだ久六。
ところが、この久六という男、普段は大人しいが実は物凄い酒乱だったのだ。
呑んでいるうちに久六の性格が豹変、もう仕事に行ったらと言う半次に暴言を吐き出してしまう。
これで立場は転倒、酒が無くなったと半次が言うと、「酒屋へ行ってもらって来い!断ったらかんかんのうを踊らせてやると言え!!」
何だか分からなくなった半次は言われたとおりに酒を買ってくる。
そうこうしている内に、話はラクダの葬礼へ。
剃刀を借りてきて坊主にし、漬物樽に放り込んで荒縄で十文字。
天秤棒を差し込んで二人で担ぎ、久六の知人がいる落合の火葬場に運び込んだ。
が、道中で樽の底が抜けてしまい、焼き場についたら中は空。
仕方なく死骸を探しに戻ると、橋の袂で願人坊主(にわか坊主)がいびきをかいて眠っている。
酔った二人はそれを死骸と勘違いし、樽に押し込んで焼き場に連行するとそのまま火の中へ放り込んでしまった。
熱さで願人坊主が目を覚ます。
「ここは何処だ!?」
「焼き場だ、火屋(ひや)だ」
「うへー、冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯頂戴……」
出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
【オチ・サゲ】地口落ち(地口=駄洒落がオチになっているもの)
【語句豆辞典】
【かんかんのう】看々踊りの略称。
【頭を剃る】江戸時代の国民は全部仏教徒のため、死者が出家する意味で、納棺の前に男女とも坊主頭に剃った。ただし、形式的に髪の毛の一部を剃ることもあったという。
【火屋】火葬場の古い言い方。江戸中期頃まで使われていたが、その後はいつとはなく焼場と変わり、明治以降は火葬場と焼場が併用され現在に至る。
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同様』
『酒は憂いの玉箒、飲むべし飲むべからず』
【この噺を得意とした落語家】
・五代目古今亭志ん生
・八代目三遊亭可楽
・五代目柳家小さん
・六代目笑福亭松鶴
【落語豆知識】 一枚看板
一人でも客席を一杯に出来る芸人。大看板ともいう。
上方の歌舞伎劇場の前に掲げる大きな飾り看板、外題(げだい)を勘亭流で大きく書き、その上部に主要な役者の絵姿を描き表わしたものに由来する。

題名は主人公馬太郎の仇名に由来する。文政年間(1818~29)mの初期に渡来した駱駝を始めて見た人たちは、まずその図体の大きいのにびっくり、やがて駱駝はのそのそと、ただ食べてばかりで、何の役にもたたないものと速断。そこで早速、怠け者の大男、つまり馬公のようにぶらぶら暮らしている、役に立たない男の仇名に利用した、というわけ。
この噺の最も難しいところは、(聴き手にとっては面白いところは)酒の為に二人の性格が逆転する場面である。
【あらすじ】
とある長屋に住むのが本名を「馬」、あだ名を「ラクダ」と言う男。
そのラクダの長屋に、ある日兄貴分の「丁目の半次」がやってきた。
返事が無いので入ってみると、何とラクダが死んでいる。
そう言えば、夕べ会ったときにフグを持っていたが、さてはそいつに当たったのか……。
「兄弟分の葬儀を出してやりたい」、そう思った半次だが金がない。
考え込んでいると、上手い具合に屑屋がやってきた。
早速、その屑屋の久六を呼んで室内の物を引き取ってもらおうとするが、久六はラクダ宅の家財道具の状態を全て言い当てて断ってしまう。
訊くと、何回もガラクタばかりを引き取らされたらしい。
ますます困る半次。と、その頭にあるアイディアが。
「月番を呼んで来い」
久六を月番の所に行かせ、長屋から香典を集めて来るよう言いつけさせるのが半次の魂胆。
久六は断るが、仕事道具を取られしぶしぶ月番の所へ。
月番は、「一度も祝儀を出してもらった事はない」と断るが、結局「赤飯を炊く代わりに香典を集めてくる」と了承した。
安心した久六だが、ラクダ宅に戻ると今度は大家の所に通夜に出す料理を届けさせるよう命令された。
ところが、ここの大家は有名なドケチ。そのことを話すと、半次は「断ったらこう言えばいい」と秘策を授ける。
「死骸のやり場に困っております。ここへ背負ってきますから、どうか面倒を見てやってください。
ついでに『かんかんのう』を踊らせてご覧に入れます」
仕方なく大家の所へ行った久六。大家は「家賃を何年も貰っていない」と断り、すかさず久六が「かんかんのう」の話をすると「やれるものならやってみろ!!」。
久六がそのことを伝えると、何と半次は久六にラクダの死骸を担がせ、本当に大家の所へ乗り込んでしまった。
そして、死骸を文楽人形のように動かし、久六に歌わせて「かんかんのう、きゅうのれすー」。
本当にやると思っていなかった大家、縮み上がってしまい、料理を出すよう約束した。
これで解放されたと思った久六。
だが、今度は八百屋の所へ「棺桶代わりに使うから、漬物樽を借りて来い」と命令された。
しぶしぶ行くとやはり八百屋に断られた。
「かんかんのう」の話をすると先ほど同様「やってみろ」と言われるが、つい今しがた大家の所で実演してきたばかりだと言うと「何個でもいいから持って行けー!」。
これで葬式の準備が整った。久六がラクダ宅に戻ると、大家の所から酒と料理が届いている。
半次に勧められ、しぶしぶ酒を飲んだ久六。
ところが、この久六という男、普段は大人しいが実は物凄い酒乱だったのだ。
呑んでいるうちに久六の性格が豹変、もう仕事に行ったらと言う半次に暴言を吐き出してしまう。
これで立場は転倒、酒が無くなったと半次が言うと、「酒屋へ行ってもらって来い!断ったらかんかんのうを踊らせてやると言え!!」
何だか分からなくなった半次は言われたとおりに酒を買ってくる。
そうこうしている内に、話はラクダの葬礼へ。
剃刀を借りてきて坊主にし、漬物樽に放り込んで荒縄で十文字。
天秤棒を差し込んで二人で担ぎ、久六の知人がいる落合の火葬場に運び込んだ。
が、道中で樽の底が抜けてしまい、焼き場についたら中は空。
仕方なく死骸を探しに戻ると、橋の袂で願人坊主(にわか坊主)がいびきをかいて眠っている。
酔った二人はそれを死骸と勘違いし、樽に押し込んで焼き場に連行するとそのまま火の中へ放り込んでしまった。
熱さで願人坊主が目を覚ます。
「ここは何処だ!?」
「焼き場だ、火屋(ひや)だ」
「うへー、冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯頂戴……」
出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
【オチ・サゲ】地口落ち(地口=駄洒落がオチになっているもの)
【語句豆辞典】
【かんかんのう】看々踊りの略称。
【頭を剃る】江戸時代の国民は全部仏教徒のため、死者が出家する意味で、納棺の前に男女とも坊主頭に剃った。ただし、形式的に髪の毛の一部を剃ることもあったという。
【火屋】火葬場の古い言い方。江戸中期頃まで使われていたが、その後はいつとはなく焼場と変わり、明治以降は火葬場と焼場が併用され現在に至る。
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同様』
『酒は憂いの玉箒、飲むべし飲むべからず』
【この噺を得意とした落語家】
・五代目古今亭志ん生
・八代目三遊亭可楽
・五代目柳家小さん
・六代目笑福亭松鶴
【落語豆知識】 一枚看板
一人でも客席を一杯に出来る芸人。大看板ともいう。
上方の歌舞伎劇場の前に掲げる大きな飾り看板、外題(げだい)を勘亭流で大きく書き、その上部に主要な役者の絵姿を描き表わしたものに由来する。


