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【一口紹介】
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
北海道に山荘を建てたときからそれは始まった。
屋根の上の足音、ラップ音、家具の移動をともなう様々な超常現象、激しい頭痛。私はあらゆる霊能者に相談してその原因を探った。
そうせずにはいられなかった。
やがてわかった佐藤家の先祖とアイヌとの因縁。霊界の実相を正しく伝えることが私に与えられた使命だったのか。
浄化のための30年に及ぶ苛烈な戦いを記した渾身のメッセージ。
◆出版社の内容紹介◆
心霊世界の実相を疲弊した日本人に伝えること、それが私に与えられた使命だった――。
それは昭和五十年、北海道浦河町に山荘を建てた時から始まった。深夜の足音、鋭いラップ音、電燈の明滅、ペットたちの不可解な死……。驚くべき超常現象に見舞われた著者が三十年余の苦闘の果てに見出したものは? 欲望に身をまかせ精神を荒廃させていった日本人に警鐘を鳴らし、“霊の世界”の実相を伝える渾身のメッセージ。
【読んだ理由】
週刊誌の書評を見て。
【印象に残った一行】
日本人の精神性は無残に干上がってしまった。メディアは日替わりメニューのように日々、警察、官僚、政治家、教師、企業、学生など社会各階層の腐敗を報じるのに忙しい。それらを報じるメディアさえ、本来のジャーナリズムの使命を忘れ、社会の木鐸としての誇りよりも、まず利得を考えるようになっている。
――資本主義だからしょうがない。
それが唯一のいいわけになっている。しかし、日本人が精神性を放棄したことと資本主義とは本来次元が違うこととして考えるべきであろう。恥や誇りや情が地を払ってむき出しの岩肌に囲まれた科学文明に汚染された土壌から、酒鬼薔薇聖斗をはじめとする一連の非人間的犯罪が生まれた。
浮遊霊、地縛霊、怨霊、悪霊はいつの時代にも、どこにもいた。しかし、かつての日本人はそんなものに憑かれない強さを持っていた。日本は貧しく世の中は矛盾や理不尽、不如意に満ちていたが、むしろそのために人は鍛えられ、耐える力を養われ、強くなりえたのである。
一番の美徳は自然の摂理というものをわきまえていたことである。自分たちの欲望のままに自然や他の生きものを破壊しようとは思わなかった。鳥獣は山に、人は里に。共存を当然のこととしていた。神の存在を信じ、怖れかしこみ、感謝した。人間が一番エライなどとは思わなかった。人間の暮らしのためにやむを得ず他を犠牲にすることはあっても、それを当然の権利だとは考えなかった。子供たちはおとなから、「人としての道」を教えられて育ち、それを後から来る者に伝えた。
立派な人とはどういう人であるかを教えたが、どうすれば損をせずにすむかということなどは教えなかった。それが大人の義務であると、皆が考えていたのだ。その頃、子供たちが清らかで高い波動を持っていたのは、社会全体の価値観が統一されていた上での教育の力だったのだろう。
――神様は見ておられる‥‥。
親も先生も誰も見ていないから安心だと思えても、神さまのことを思うと悪さをした子は心が咎めたものだ。その頃、神への畏敬は幼い胸にしっかり植えつけられていた。そしてそれが良心というものに成長した。
だが成人するにつれて、その畏敬は摩滅していく。この世を生きるということは、欲望と連れ立って行くことであるから、神への思いを消し去らねばよろずに厄介なのである。けれども一度「良心」をはぐくんだ者の心の底には、消したつもりでいても「美徳の故里」が痕跡を止めていて、ある人ふとそれが疼き出したりするのである。今の若者には「故里」の土壌がない。その必要を認めて作ってやらなければならないと思う親が年を追って減少しているからである
【コメント】
文章はテンポがよいので、読みやすいが、内容はそれにしてもなんともすごい本だ。
「心霊世界の実相を伝えること、それが私に与えられた使命だった」と言われても、・・・・・。
あのスピリチュアルの江原啓之さんを有名にしたのも著者の佐藤さんだそうだ。
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