
【原文】
亀山殿の御池に大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの銭を給ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたづらに立てりけり。
さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ゆひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入いるゝ事めでたかりけり。
万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ゆひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入いるゝ事めでたかりけり。
万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
【現代語訳】
嵯峨の亀山殿の池に大井川の水を引こうということになり近隣の住民に命令して水車を建設させた事があった。大金をばらまいて時間をかけて丁寧に造った。川に仕掛けたのだが水車は一向に回転しない。色々修理したが、全く回転しないので、とうとう廃墟と化した。
そこで宇治川沿いに暮らす土着民を呼びだして水車を建設させたら簡単に完成させて、思い通りにクルクル回り水を汲み上げる姿が気持ちよかった。
何事もプロの技術は尊敬に値する。
そこで宇治川沿いに暮らす土着民を呼びだして水車を建設させたら簡単に完成させて、思い通りにクルクル回り水を汲み上げる姿が気持ちよかった。
何事もプロの技術は尊敬に値する。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。