![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/e7/e1ca4f7b84caba8f63a9f4e4e60d915c.jpg)
【原文】
これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入いる余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被づきたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平ひらめて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入いる事限りなし。
しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚の廻り欠けて、血垂たり、たゞ腫はれに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響て堪たへ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足みつあしなる角つのの上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖つえをつかせて、京なる医師のがり、率ゐて行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。医師のもとにさし入いりて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様ことやうなりけめ。物を言いふも、くゞもり声に響て聞えず。「かゝることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。
かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切きれ失うすとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を立たてて引ひきに引き給へ」とて、藁のしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠かけうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病ゐたりけり。
しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚の廻り欠けて、血垂たり、たゞ腫はれに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響て堪たへ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足みつあしなる角つのの上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖つえをつかせて、京なる医師のがり、率ゐて行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。医師のもとにさし入いりて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様ことやうなりけめ。物を言いふも、くゞもり声に響て聞えず。「かゝることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。
かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切きれ失うすとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を立たてて引ひきに引き給へ」とて、藁のしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠かけうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病ゐたりけり。
【現代語訳】
またもや仁和寺の坊さんの話。「小僧が坊主になる別れの名残」などと言って、坊さん達は、それぞれ宴会芸を披露してはしゃいでいた。酔っぱらって、あまりにもウケを追求するあまり、一人の坊さんが、近くにある三本足のカナエを頭にかぶってみた。窮屈なので、鼻をペタンと押して顔を無理矢ねじ込み踊りだした。参加者一同が大変よろこんで、大ウケだった。
踊り疲れて、足ガナエから頭を取り外そうとしたが、全く抜けない。宴会はそこで白けて、一同「ヤバい」と戸惑った。メチャクチャに引っ張っていると、首のまわりの皮が破れて血みどろになる。ひどく腫れて首のあたりが塞がり苦しそうだ。仕方がないので叩き割ろうとしても、そう簡単に割れないどころか、叩けば叩くほど、音が響いて我慢ができない。もはや、手の施しようが無く、カナエの三本角の上から、スケスケの浴衣を掛けて、手を引き、杖を突かせて、都会の病院に連れて行った。道中、通行人に「何だ? あれは?」と気味悪がられて、良い見せ物だった。病院の中に入って、医者と向き合っている異様な姿を想像すれば、面白すぎて腹がよじれそうになる。何か言ってもカナエの中でこもってしまい、聞き取ることが出来ない。医者は「こう言った症状は、医学関係の教科書にも治療法がなく、過去の症例も聞いたことがありません」と事務的に処理した。匙を投げられて、途方に暮れながら仁和寺に戻った。友達や、ヨボヨボの母親が枕元に集まり悲しんで泣く。しかし、本人は聞いていそうにもなく、ただ放心していた。
そうこうしていると、ある人が「耳と鼻がぶち切れたとしても、たぶん死なないでしょう。力一杯、引き抜くしかありません」と言った。金属の部分に肌が当たらないよう、藁を差し込んで、首が取れそうなぐらい思いきり引っ張った。耳と鼻が陥没したが、抜けたことには変わらない。かなり危ない命拾いだったが、その後は、ずっと寝込んでいた。
踊り疲れて、足ガナエから頭を取り外そうとしたが、全く抜けない。宴会はそこで白けて、一同「ヤバい」と戸惑った。メチャクチャに引っ張っていると、首のまわりの皮が破れて血みどろになる。ひどく腫れて首のあたりが塞がり苦しそうだ。仕方がないので叩き割ろうとしても、そう簡単に割れないどころか、叩けば叩くほど、音が響いて我慢ができない。もはや、手の施しようが無く、カナエの三本角の上から、スケスケの浴衣を掛けて、手を引き、杖を突かせて、都会の病院に連れて行った。道中、通行人に「何だ? あれは?」と気味悪がられて、良い見せ物だった。病院の中に入って、医者と向き合っている異様な姿を想像すれば、面白すぎて腹がよじれそうになる。何か言ってもカナエの中でこもってしまい、聞き取ることが出来ない。医者は「こう言った症状は、医学関係の教科書にも治療法がなく、過去の症例も聞いたことがありません」と事務的に処理した。匙を投げられて、途方に暮れながら仁和寺に戻った。友達や、ヨボヨボの母親が枕元に集まり悲しんで泣く。しかし、本人は聞いていそうにもなく、ただ放心していた。
そうこうしていると、ある人が「耳と鼻がぶち切れたとしても、たぶん死なないでしょう。力一杯、引き抜くしかありません」と言った。金属の部分に肌が当たらないよう、藁を差し込んで、首が取れそうなぐらい思いきり引っ張った。耳と鼻が陥没したが、抜けたことには変わらない。かなり危ない命拾いだったが、その後は、ずっと寝込んでいた。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。