2014年4月15日
長野県、諏訪大社本宮と前宮にて「御頭祭」が行われました。
午前10時頃から本宮で儀式が始まり、昼休憩後、13時より本宮から前宮へ神輿と行列で向かいました。
14時前に、前宮の十間廊にて「御頭祭」が行われ、15時過ぎに本宮へ行列は戻ってゆきました。
全文と画像はこちら。
「御頭祭」は諏訪大社の数ある神事の中で、出雲系外来氏族と原住系氏族との闘争と融和の結果として生き残った神事です。
有史以前から諏訪の地に住み着いた原住系氏族は、狩猟と木の実などの採集をメインとした縄文人でした。
縄文人の生活様式の伝統は日本で唯一許された「鹿喰免」につながり、往時の神官は「鹿喰免」と言う御札を全国に配り、この御札を持てば鹿や猪の肉食が可能でした。
御頭祭の史実と現状を詳細に記述したサイトはこちらです。
画像は二つのサイトから引用しました。
Wikipediaから部分引用。
御頭祭
4月15日に上社で行われる祭。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。
現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、
鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを「禽獣の高盛」と呼んだという内容が残っている。
前回に掲載した「御頭祭」のエントリーはこちらやこちら。
諏訪大社の鹿食免(かじきめん) こちらから画像共一部引用。
久しぶりに、上諏訪に立ち寄った。一杯やりながら、鹿肉の串焼きを食べたが、店主がいろいろな話を聞かせてくれた。
日本中、鹿や猪が増えてしまって、困っているようだが、食ってしまうのが解決策となるという。冷凍ではないから、美味いでしょう、という。以前にも何度か食べたことがあるが、ほとんどが冷凍であったと記憶している。
諏訪では、諏訪大社に伝わる食文化を現代に生かすため、鹿食免(かじきめん)振興会を設立し、諏訪産鹿肉料理の普及に取り組んでいる。諏訪湖温泉旅館組合の協力で、ホテルでは一般向けの食事会「鹿食免昼会席」を実施したり、鹿肉料理の可能性を探り、飲食店や宿泊施設向けの調理技術講習や試食会を行って、新しい肉材としてアピールしようとしているそうである。
諏訪大社の分社は一万有余社を数え、お諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、全国に分布する。筆者が諏訪に住んでいたころ、どなたか言ったか覚えていないが、日本中に多くの分社がある理由を、「仏教の伝来に伴って、肉食をタブーとする考えが出てきて、肉食を禁止するおふれが出された。しかし、シカ・イノシシなどの獣肉を堂々と食べることができた。それには、諏訪大社が狩猟の神であり、神に捧げる狩猟は許され、お下がりを食することができた。肉を口にしてしまえば、そのおいしさに、たびたび食べたくなる。そこで各地の領主や武将はこぞって、自分の国に分社してもらい、肉を食べることができた。」と説明してくれた。肉食に偏った見方であるが面白い。確かに、日本書記の天武4年次(675年)に、「・・・牛・馬・犬・猿・鶏の宍(しし、肉)を食らうこと莫(まな、禁止を表す、食ってはいけない)。・・・若し犯すこと有らば罪せむ」と記されている。
米国が、牛肉を日本に大量輸出しようとした時の話とまるで同じである。「牛肉を一度食べさせてしまえば、そのうまさに病みつきになる。」といったとか。
諏訪大社の分社に対する説明は、少し違う。
「御射山祭という神事がある。鎌倉幕府は全国の武将をこの神事に参列せしめ、八島高原や霧ケ峯一帯で武芸を競わせたりして祭事を賑わしめ、参加した武将は諏訪大神の御分霊を拝戴して任地に赴き、御分社を奉齋した。」
祭神は武家の守護神と尊ばれた。それ以外にも、雨や風を司る竜神の信仰や、水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰を有する。また水の信仰が海の守り神となるなど幅広い信仰と結びついていることが、日本各地に広がった理由としている。
鹿食神事
本来の祭神は出雲系の建御名方ではなく、ミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。なお、上記の神々は現在では神性が習合・混同されているが、神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
鹿食神事は、神楽殿において宮司、神職たちによって執り行われる。周囲の灯火が消され、殿内のわずかな明かりの中で祭事が進行する。神饌として、かつては鹿の頭が供えられていたが、現在では茄子を鹿の頭に見立てて供えられる。国家安泰、五穀豊穣を祈る神事である。
鹿食免とは
仏教の教えが肉食を禁じていた時代(江戸時代)に、諏訪大社が肉食の免罪符として「鹿食免」というお札を発行していた。このお札を持っていると、シカ・イノシシなどを獲って食べても罰せられなかった。免罪符のようなものである。
信濃毎日新聞の記事によると、現代版のお札は、「鹿食免」の文字を記し、諏訪大社の焼き印が押されている。また、神職からは、鹿食免の札などを収めた「神棚」を調理場に祭ってほしいとの提案もあったそうだ。
こちらはゼラニゥムの葉。25年前に家人が小さな一節を小学校から貰ってきたのだそうだ。
2014.04.13 ~ 2014.04.19
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これは「煎り豆腐」。鶏のひき肉と味噌で。
去年の倍以上の量を送って頂いたので、「ふきのとう味噌」が沢山出来ました。しばらく楽しめます。
これだけのボリュームはお二人で摘んでいただいてもかなりの時間がかかったと思います。有難うございました。
「ふきのとう」は当地の店でも短い期間に店頭に出ますが、柔らかさが違いました。
#1 山菜の季節 阿智胡地亭便り ’02/2/17発信メルマガから引用。
2月、3月は春の山菜の季節です。
最近はこの時期になると[ふきのとう、たらの芽、こごみ、山ウド]などが
スーパーの店頭にも出るので有り難い。昔は、産地に遠いところでは
業務用専門の八百屋にしか置いてなかったのですが。
この山菜に[マイタケや自然薯]などを加えての天ぷらは、旬を食べているという
実感もあり本当においしい。土曜、日曜に家で山菜を冷酒でやるときりがありません。
<ふきのとう>は千葉、茨城に住んでいた13年間は買ったことはありません。
近くの畑の陽当たりのいい法面の同じ場所に毎年必ず<ふきのとう>が
顔を出します。その場所を覚えておいて春の兆しが感じられると見に行きます。
雪の中から顔をだしたところを覚えておき、食べごろになると摘まんで来て、
ミジンにして味噌汁に入れると、台所は一瞬にして春の香りで一杯になります。
またみじんぎりをたっぷり味噌に混ぜて、焼き味噌を作ってごはんに
乗せると、何杯もお代わりすることになるし、酒のツマミにも絶妙です。
何ヶ所も<ふきのとう>が出てくる場所を押さえておいて、次々子供達と取りに行くのは
毎年の楽しみでした。生える場所によって少しずつ成長の速度が違うのです。
神戸に来た当初は<ふきのとう>が手に入らず寂しかったのですが、数年後三ノ宮の
地下商店街の八百屋で見つけ、それから毎年そこに買いに行きました。
ここ3、4年は近くのスーパーの棚にも置かれるようになっています。
<たらの芽>は切り取っても、すぐに新しい芽が吹くので栽培作物としてもペイし、
需要も増えてきているので、最近は熊本の阿蘇山麓などで栽培され、参入する
農家も増えているそうです。
昔から考えると匂いは少し薄くなったような気はしますが、まあそれなりの価格で
買えるので、このシーズンはこの大好物を冷蔵庫に欠かす事はありません。
外で山菜の天ぷらと言うとそれなりの値段を取られますが、このシーズンは
スーパーか近くの八百屋で手に入る材料で家で山菜を楽しんでいます。