兵庫県南あわじ市の松帆地区で採掘された砂の中から、弥生時代前期末~中期初頭(紀元前3~同2世紀)の銅鐸7個が見つかった。
島根県の加茂岩倉銅鐸や神戸市灘区の桜ケ丘銅鐸などに次ぐ品数で、少なくとも1個は全国でも11例しかない最古形。
初期の銅鐸を解明する一級資料となる可能性が高く、研究者は「数十年に一度の大発見」と注目する。
銅鐸:「第一級」7個発見 音鳴らす「舌」も3個 淡路島
毎日新聞 2015年05月19日 17時08分(最終更新 05月20日 07時51分)
◇平野部では初の多数出土 「松帆銅鐸」と命名
兵庫県南あわじ市(淡路島)で、銅鐸(どうたく)が7個見つかったと県教委が19日、発表した。いずれも弥生時代前期末〜中期初頭(紀元前3〜2世紀)の古い型式。3組6個は内側に一回り小さい銅鐸をはめ込んだ「入れ子」状だった。内部に振り子状に取り付けて音を鳴らす青銅製の舌(ぜつ)が3個で同時に見つかり、銅鐸と舌の接触部が摩滅していることも確認された。「鳴り物」としての銅鐸がなぜ埋められたのかを巡って、議論を呼びそうだ。
銅鐸の保存状態は極めて良く、調査に協力している奈良文化財研究所は「数十年に1度の第一級の発見」としている。発見場所は石材加工業者の一時保管用の砂山で、出土地は不明。砂を採取した場所から、島南西部にある同市松帆(まつほ)地区の南北約2キロの海岸部の田畑の下に埋まっていた可能性が高いと推定される。7個は松帆銅鐸と名付けられた。県教委は、土砂の鑑定などでも埋納地の特定を進める方針。
銅鐸と青銅製の舌が同時に見つかったのは全国で過去2例(3個)しかなく、入れ子状では初めて。舌が確認されていない2組4個は、内部に砂が詰まったままで、調査が進めば舌の数が増える可能性がある。同一地での多数出土は加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)の39個(国宝)が最多で、今回は4番目になり、平野部では初の多数出土とみられる。
7個の銅鐸は4月8〜23日、砂利加工場の砂山など市内2カ所で見つかり、発見順に1〜7号と指定された。高さは22.4〜31.8センチと小ぶりで、1個は破損していた。外観から、1個は弥生前期末〜中期初頭の、全国でも出土例が極めて少ない最古級の菱環鈕(りょうかんちゅう)2式。他の6個は、中期初頭の外縁付鈕(がいえんつきちゅう)1式に分類される。
松帆地区の「中の御堂遺跡」では、江戸時代の1686(貞享3)年に銅鐸8個が出土したと伝わる。現存するのは1個だが、外縁付鈕1式で舌と一緒に出土。松帆地区の別の場所では、弥生時代中期初頭以前の作とみられる銅剣も見つかっている。
銅鐸は遺失物扱いで、文化財保護法に基づいて県教委が市内で保管している。近く、奈良文化財研究所が内部に砂が詰まっている2組の銅鐸をCT(コンピューター断層撮影装置)で撮影する。【松本杏】
島根県の加茂岩倉銅鐸や神戸市灘区の桜ケ丘銅鐸などに次ぐ品数で、少なくとも1個は全国でも11例しかない最古形。
初期の銅鐸を解明する一級資料となる可能性が高く、研究者は「数十年に一度の大発見」と注目する。
銅鐸:「第一級」7個発見 音鳴らす「舌」も3個 淡路島
毎日新聞 2015年05月19日 17時08分(最終更新 05月20日 07時51分)
◇平野部では初の多数出土 「松帆銅鐸」と命名
兵庫県南あわじ市(淡路島)で、銅鐸(どうたく)が7個見つかったと県教委が19日、発表した。いずれも弥生時代前期末〜中期初頭(紀元前3〜2世紀)の古い型式。3組6個は内側に一回り小さい銅鐸をはめ込んだ「入れ子」状だった。内部に振り子状に取り付けて音を鳴らす青銅製の舌(ぜつ)が3個で同時に見つかり、銅鐸と舌の接触部が摩滅していることも確認された。「鳴り物」としての銅鐸がなぜ埋められたのかを巡って、議論を呼びそうだ。
銅鐸の保存状態は極めて良く、調査に協力している奈良文化財研究所は「数十年に1度の第一級の発見」としている。発見場所は石材加工業者の一時保管用の砂山で、出土地は不明。砂を採取した場所から、島南西部にある同市松帆(まつほ)地区の南北約2キロの海岸部の田畑の下に埋まっていた可能性が高いと推定される。7個は松帆銅鐸と名付けられた。県教委は、土砂の鑑定などでも埋納地の特定を進める方針。
銅鐸と青銅製の舌が同時に見つかったのは全国で過去2例(3個)しかなく、入れ子状では初めて。舌が確認されていない2組4個は、内部に砂が詰まったままで、調査が進めば舌の数が増える可能性がある。同一地での多数出土は加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)の39個(国宝)が最多で、今回は4番目になり、平野部では初の多数出土とみられる。
7個の銅鐸は4月8〜23日、砂利加工場の砂山など市内2カ所で見つかり、発見順に1〜7号と指定された。高さは22.4〜31.8センチと小ぶりで、1個は破損していた。外観から、1個は弥生前期末〜中期初頭の、全国でも出土例が極めて少ない最古級の菱環鈕(りょうかんちゅう)2式。他の6個は、中期初頭の外縁付鈕(がいえんつきちゅう)1式に分類される。
松帆地区の「中の御堂遺跡」では、江戸時代の1686(貞享3)年に銅鐸8個が出土したと伝わる。現存するのは1個だが、外縁付鈕1式で舌と一緒に出土。松帆地区の別の場所では、弥生時代中期初頭以前の作とみられる銅剣も見つかっている。
銅鐸は遺失物扱いで、文化財保護法に基づいて県教委が市内で保管している。近く、奈良文化財研究所が内部に砂が詰まっている2組の銅鐸をCT(コンピューター断層撮影装置)で撮影する。【松本杏】